言葉というのは本当に難しい。
フワっと使っていると、何を言っているのか分からないのだが、フワっと分かったような誤解を与える感じにするにはフワっとした言い方が効果的だ。
大抵の場合、印象だけで理解した気になって本当の事が分からない。
例えば昨今(2022年9月初旬頃)の日本経済に関するテレビ、新聞のニュースに触れていると、物価高騰と円安で生活が大変だ!と思うに違いない。
確かにガソリン代、電気代等は上がり、スーパーで買い物をしていても物の値段が上がっているのを実感している我々庶民の感覚と、これらのニュースは合致している。
さて、マクロ経済で見てみると、実は、日本のインフレ率は、コアコアCPI(海外の標準で言うコアCPI)は、1.2%に満たない。
あれ? 大手メディアは2.1%って言ってたけど?って思った人は、ニュースをちゃんと見ている人だろう。
日本の大手メディアの物価上昇に関する情報に使っている数値は、「生鮮食品を除いた物価で、エネルギー価格が含まれて」いる。
日本の大手メディアはこれを「コアCPI」とインチキな名称で呼んでいるが、海外の経済関係者では、この定義での数値と呼称は全く採用していない。
実は、日本は、「コアコアCPI」と呼ぶものが海外の経済関係者が「コアCPI」と呼ぶもので、当然、生鮮食品とエネルギー価格を除いた指数だ。
何故生鮮食品とエネルギー価格を除くかと言えば、季節要因や政治要因等でこれらの価格変動のふり幅が大きいからだ。
また日本のマスコミは、物価と一般物価を区別しないで報道するが、物価=個別物価で、一般物価とは、生鮮食品とエネルギー価格を除いた物価全体の平均値だ。
パンの値段やうどんの値段が上がるのは、個別物価の現象で、一般物価とは違う。一般物価には携帯電話や家賃なども入るため、そうした総合的な物価の平均値を取らないと一般物価の動向は分からない。
従って日本では「コアコアCPI(海外のコアCPI)」で物価動向を見るのが正しく、大手メディアが公表するエネルギー価格が入った指数でみるのは誤りなのだ。
マスコミが高い方の数値を使うのは、インフレが加速している空気感を情勢して、政権の経済政策にダメージを与えたいのと同時に世論誘導を行いたいからだろう。
メディアが誘導的に世論を混乱させるのは、自分たちの存在感を誇示したいこともあるが、影響力がどの程度なのかを測っておきたいこともあるだろう。
こうした事例を見ても明らかだが、メディアの連中は、殆ど信用出来ない素人連中の集団なのだ。
現在の日本のインフレ率は1%を超えた程度で、目標としてはあと1%程度分は必要だ。(これは失業率を最低限するのと同意義)
従って日銀が金融緩和を継続すると宣言しているのは当然なのだ。
円安も、主要大手企業の業績を見ればわかるように為替の利益を得ているために、日本のGDPを上昇方向に引っ張ってくれる一因となっている。
悪い円安論を言う連中は、本質ではない別の意図を持った人たちだろう。
円安にはプラスマイナスがあるが、少なくとも日本のGDP上昇による恩恵はプラスの方が大きい。
昨今、資本主義はそろそろ限界だという論調が目立つ。
今更のように30代辺りの学者を中心にマルクス経済学的な発信が目立つようになっているが、そもそもマルクス経済学は前提が誤った学問であり(労働価値説そのものが誤り)、前提が誤りであれば、理論そのものも成り立つはずもない。
研究する必要もないほど無意味な論理なのだ。
共産、社会主義思想に絡めとられて経済成長不要論を唱える人たちもいるのだが、その先にどんな現実があるのかについて、連中の誰も論じない。
経済成長不要論者の主張を受け入れる事は、すなわち失業者が溢れる社会を容認することと同意となる。
失業者が溢れる世の中は、自殺者が増える。
また経済成長を無くして経済困窮者が増える社会は、実に不安定になる。
これは歴史的に疑いようのないほど繰り返されている事実だ。
現在のようなエネルギー価格の上昇は、財政政策で対応可能だし、原発再稼働等でも同様の効果を産み出すことが出来る。
小麦の価格上昇も同様だ。
脱炭素と環境に関する怪しい論拠は、科学的でないホワっとした議論の人たちには美しく見えるのだろうが、ドイツはそれをやりすぎて原発を全廃したツケを払う2022年冬になる。
綺麗ことを言う連中は、現実に晒されると主張を維持出来ない。
時に現実は醜く、不条理だと思う。
だからこそ、それに打ち勝つようにしなければ人が死ぬのである。
表題の答えは簡単だ。
愛と平和をペラペラ語るヤツにロクな奴は居ない。
綺麗事を言う連中は常に答えを持っていない。
愛と平和を維持るために、具体的にどうすればいいのか?、
シュプレキコールを上げているだけの連中は、
答えを持っていない。
本当の事を言っている人たちは現実に対峙しているだけだ。
感覚的な違和感を覚える場合は、思考を深くする以外にない。
それだけだ。