友人を緊急搬送した夜の出来事 (1)
2022年4月13日深夜、私は友人を救急で緊急搬送した。
こんな体験は初めてだった。
事のキッカケは、友人と約15年近く続けていた生存確認電話だった。
私の友人(以後、Aさん)はそれぞれ別の暮らしを送っている。
私とAさんは、独り暮らしなので、将来何かがあった時のために、お互いの家の鍵を交換して保持し、また生存確認を兼ねた電話連絡を毎日定時に行っていた。
この間、Aさんとは、1か月に1度程度会っていたが、それ以外は電話で話すだけの間柄だった。
約15年近く、こうした付き合いが過ぎた。
4月13日の19時半、いつものように定時連絡を入れたが、約30分に渡って電話に出ない。
携帯と自宅の固定電話を持つAさんは、過去に何度か電話に出ない事もあったが、大抵は30分以内に折り返しの連絡を入れてくれた。
しかしその日はナシの粒て。
嫌な予感がした。
私は、明日の出勤準備をした状態で、自宅から約90分かかるAさんの家に向かった。移動中の電車の中で、ベストシナリオとワーストシナリオの両方を考えながら、何もないことを祈ってAさんの自宅に向かった。
21時半頃Aさん宅に到着。
合い鍵でドアを開けたら防犯用のドアロックが引っかかっていて5cm以上開かない。
中を見ると部屋の中の電気はついていた。
ドアの隙間からAさんの名前を叫ぶと暫くして暫くして「動けない…」という反応が返ってきた。
生きていた事は確認出来て安心したのだが、どうやら玄関まで辿りつけない状態のようだ。
私は何度かAさんの名前を呼びながらどんな状況かを知ろうとしたが、Aさんが何を言っているのか分からなくなり、このままでは埒が明かない状況だった。
そうこうしているとお隣の老齢のご夫婦が訝しい顔をして外に出て来た。
私は必死な形相で彼らにAさんが倒れているらしいが、中に入れないで困っていることを伝えると、奥さんの方が、「私の家のベランダから行きなさい」と言うではないか。
その時私は、自分が今、5階にいる事を考えたのだが、他に方法がないのでその案に従って、奥様の補助を借りながらベランダの手すりを伝ってAさんのベランダに移動した。
幸いリビングの窓の鍵が開いていたので、中に入った。
Aさんは部屋の中央に寝巻姿のままうつ伏せで倒れていた。声をかけると反応があった。
身体はこわばったようになって動かす事が出来ない様子だった。
直ぐに玄関に行き、ドアを開けてお隣の奥さんにも入ってもらった。
そしてうつ伏せで倒れていたAさんを2人で仰向けに起こした。
会話が出来ていて、身体を触ると反応があったので、脳の損傷は無さそうだと考えたからだ。
仰向けにすると顔やあふとももには大きな青あざがあった。
まるで殴られたみたいだった。
直ぐに救急車を呼び、やがて救急隊が到着した。
救急隊は、Aさんの体の痣に不審を持って、まるで私がDVをしたのではないか?という疑いを露わにしたのだが、お隣の奥さんと私が、Aさんがうつ伏せで発見されたことを言うと、痣の原因がかなり長時間のうつ伏せ状態が引き起こした事だと納得してくれた。
どうやら20時間近く、うつ伏せで硬直状態のまま動けないままだったらしい。
それを聞いて心が痛かった。
救急車に搬送してからも大変だった。
コロナの影響で搬送先が確定出来ないのだ。約90分、救急隊が病院と連絡をしてくれて搬送が完了したのは深夜0時だった。
搬送後、直ぐに血液検査、CTスキャン等の検査を始める。
またその過程で膀胱に1.5リットルも滞留しており、自力では排尿出来ない状態だったため、カテーテルを入れて排尿させたという。
さぞかし辛かったはずだ。
深夜2時過ぎ、一通りの検査と初期診断が終わり、医師から所見のみを聞き、私は深夜タクシーで帰宅。疲れ果てた。
それから約5週間に渡って入院生活が続く。
病名記載は避けるが、内臓や脳は全く健康だった。
それでも退院時においても、まだ完全に元に戻った感じではなかった。なんとか自力でゆっくりと歩く事は出来き、身の回りの事は、最低限度可能な状態だった。
1点困ったのは、手の震えについては止まっておらず、コーヒーカップなどを持って自力で飲む事が難しい状態だったことだ。
また顔にも痙攣が残っており、言葉がかなり不明瞭になってしまっていた。
退院の夜、トンカツやマグロの刺身を食べながらビールも飲めるほどで、食欲があった事で少し安心を感じた。
その後もいつものように定時連絡を入れながら生存確認を継続。
しかし退院から1週間、また不安を掻き立てる事が起きた。
(つづく)