1960~70年代にデビューし、時代を彩る名作、傑作を残したミュージシャンは多い。
彼らの主要なファンは、現在では50代後半以後の年齢の人たちだ。
こうしたベテランミュージシャン中には、若い時代のヒット作品を
ライブでは演奏しなことに変にこだわっている人たちが少なからずいる。
彼らの主張は様々だが、主として今の自分の音楽を聴いて欲しいというものだ。
それはそれで理解できなくもない。
アーティストは常に進化すべき存在だと考えているからだろう。
しかしファンの本音を言えば、それは過去の作品を超えるような曲やサウンドを作っている場合に限る。
加えて言えば、その新しい作品が、
現在のファンや今を生きる人たちの人生に寄り添っているかにもよる。
今から4年程前、とある超有名ベテランミュージシャンのライブに行った。
氏はかねてからラジオ等で、昔の曲の多くを演奏しない曲を公言していた。
外された曲は、どれもこれも彼のファンが聴きたい曲ばかりだ。
そしてライブ当日に演奏された曲は、
アルバムの中ではそれなりに光っている曲が中心だった。
相当聞き込んでいるファンなら楽しめたかもしれないが、
私のようなそこそこ聞いている程度では知らない曲のオンパレード。
実際、結構多くのファンが聴きたい曲を全然やってくれなかったという不満を口にしていた。
一期一会という言葉があるが、残念な気持ちで帰路についた。
ベテランミュージシャンには彼なりのビジョンがあり、
それはそれで尊重はしているが、
それ以来、彼の音楽に対する興味が失せてしまった。
多くの場合、ヒット作品はファンの生活や記憶と共に生きている。
特に若い時代の記憶は、音楽との結びつきが強く、細胞に浸透していると言っていい。
つまりそれらの曲群は、今日、昨日に付き合った音楽ではなく、
ファンの人生の節目節目で付き合っている音楽なのだ。
ベテランミュージシャンは、自分が過去に生きる事を否定したいのだと思う。
過去の焼き直しをするのは、作業をしている様なもので、
クリエイティブじゃないと言いたいのだろう。
しかし、厳しい事を言わせてもらえば、殆どのミュージシャンのヒット作品は、
概ね30歳中盤までがピークだ。
それ以降は数年~5年に1曲程度でもヒット作が産まれれば御の字というのが現実でもある。
また若い時代のヒット曲群が彼らの基本的な活動を支えるエンジンだった事は記憶すべき事だろう。
中年期以降の作品には別の意味での味わいはあるし、
中には好きな作品もあるが、
若い時代のキレや勢いはどうしてもなくなる。
だから多くのファンにとって、
彼らが作る現在の音楽は、
それを生み出すご本人が考えているほど新鮮でもなければ、
共感を生み出しているという訳でもない。
なお、彼らの名誉のために言っておくが、
ベテランミュージシャンの中には、彼ら自身が他人のライブに行って、
聴きたかった曲が聴けなくて残念だった感じ、
自分のライブでは、主要なヒット作品を飽きずに必ず演奏するという人もいる。
お客さんによっては、自分のその日のライブを見るのが
最初で最後になる可能性を考えているからだという。
コロナ禍でライブ活動がままならない時代なのだ。
まだこの先、どの位の時間がこのまま過ぎるか分からない。
ベテランミュージシャンにも、それらのファンにも、
どれほどの時間が残されているのかと考えれば、
もっと柔軟な発想もあるだろうと思う。
またご本人が毛嫌いしている昔のヒット曲を
オリジナリティを持って演奏出来るのは、
ご本人だけだという事にも気づいて欲しい。
ご本人が自分の曲の演奏、歌唱を拒絶することは、
すなわち自己の一部の否定になるし、
その曲を現代において蘇らせる人も存在居ない事になる。
ミュージシャンとは元来こだわりの塊ではある。
それは十分に尊重する。
それでも年齢を経て成熟した精神や感性の中で、
かつてのヒット作品を唄い、
ファンに喜びを与えるという事を否定するのは、
ある意味で自己否定に近い事だと思っている。
是非、熟慮して欲しい。