第二次世界大戦を演じた人たちは全てユダヤ人
ヒトラー(独)、チャーチル(英)、ルーズベルト(米)、スターリン(露)
そして、ヒトラーはユダヤ・ロスチャイルド卿の孫。
アンネ(13)
欧米ユダヤ財閥がヒトラーを支援
2021-01-16
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12649920513.html
今回記事
ヒトラーはユダヤ系少女と仲良しだった
……写真競売に
2018年11月14日 BBC
https://www.bbc.com/japanese/46204022
にっこり楽しそうに笑う女の子を、男性が抱きかかえている。男性も嬉しそうに笑っている。一見すると、素晴らしく幸せな写真だ。
写っている男性が、アドルフ・ヒトラーでさえなければ。そして、女の子がユダヤ系でなければ。
ヒトラー率いるナチスはユダヤ人を迫害し、後にユダヤ人600万人の大虐殺を遂行した。(註)
(註)アンネ(1)
捏造の歴史を叫び続ける醜態
2020-05-13
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12596774291.html
※私が最初にユダヤ人のことをブログで書いた22年前のイスラエル国のホームページでのユダヤ庁(The Jewish Agency for Israel )の世界のユダヤ人人口は戦前も戦後も1500万人台だった。
処が10年ほど前では、戦前は1500万人台で戦後は1100万人に変わっていた。尚、このホームページを最近では検索できない。但し、ホームページの作成に従事していたとの人のブログ記事はあった。
アンネ(18)
ヒトラーはユダヤ人を殺せとは一言も発していない
2023-01-04
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12782416178.html
ヒトラーもナチス幹部も、無論下士官、最下級の一兵卒でさえ、誰もユダヤ人を殺せなどの言葉を一度足りとも発していないし、無論、証言や記述の証拠も皆無である。
アンネ(4)
喜怒哀楽のアウシュビッツ収容所
2020-05-18
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12597834225.html
※赤色がユダヤ人。青色がユダヤ人も含めた全死亡者数
ナチスの収容所で死んだユダヤ人は600万人ではなく、僅か3万人であり、然も、その死因は毒ガスではなく、ユダヤ人の不潔さから蔓延した発疹チフスによるもの。
それにもかかわらずヒトラーは、ローザ・ベルニール・ニナウさんとの友情を大事にしていた。5年後にナチス高官が介入して、やめさせるまでは。
2人の関係を1933年に記録した珍しい署名入りの写真は、米国でオークションにかけられることになった。
写真は、ヒトラー専属の写真家ハインリヒ・ホフマンが撮影したもの。
米メリーランド州の競売業者アレクサンダー・ヒストリカル・オークションは、13日に始まった競売では1万ドル(約110万円)ほどの値がつくだろうと予測している。
「サイン入りのものが表に出てきたことはなかった」と、同社のビル・パナゴプロス氏は英紙デイリーメール電子版に話している。
「ヒトラーはプロパガンダ目的で、しょっちゅう子供と一緒に写真を撮った。しかし、この作品は衝撃的だ。ヒトラーは本心からこの女の子に、親近感を抱いていたようなので。愕然とした」
「ヒトラーの恋人」
ヒトラーと女の子は、誕生日が同じだった。
それが出会いのきっかけだった。
競売サイトによると、ローザさんは1933年、母親のカロリーネさんと一緒に、アルプスにあったヒトラーの別荘ベルクホーフを訪れた。別荘の外には、ナチス総統の誕生日を祝う大勢が集まっていた。
ローザさんの誕生日が自分と同じだと知ったヒトラーは、ローザさんと母親を別荘に招き入れたとされている。写真はそのとき撮られたという。
それからまもなくして、カロリーネさんの母親がユダヤ人だったことが判明する。ナチスにとっては、ローザさんもユダヤ人ということになった。
ヒトラーは少女がユダヤ系と知りながら、友情を育んだ。
しかしそれでも、ヒトラーは少女との友情を終わらせなかった。一緒に撮った写真は、サインをして送っている。
「親愛なる、そして(思いやりのある?)ローザ・ニナウへ、アドルフ・ヒトラー、ミュンヘン、1933年6月16日」と、ヒトラーは書いた。
ローザさんは後に、この白黒写真に自分で花を足しているようだ。
ローザさんは1935〜1938年の間に、少なくとも17回にわたりヒトラーと側近のヴィルヘルム・ブリュックナーに宛てて手紙を書いた。
ヒトラーの個人秘書マルティン・ボルマンが、ローザさんと母親(ローザさんの父親は死亡していた)に連絡を控えるよう命令するまで続いた。
部下のこの命令を、ヒトラーは気に入らなかったようだと写真家のホフマンは後に書いた。
ホフマンは1955年に発表した回顧録「Hitler Was My Friend(ヒトラーは友達だった)」で、「私のあらゆる楽しみを台無しにするのが本当にうまい連中がいる」とヒトラーが自分にぼやいたのだと書いている。
ホフマンはさらに同書に、「ヒトラーの恋人」とキャプションをつけて、2人の別の写真を掲載。
「ベルクホーフで少女に会えるのをヒトラーは楽しみにしていた。しかしそれは、お節介な誰かが、少女が純粋なアーリア人の血統でないと発見したため、終わってしまった」のだという。
ボルマンが、ヒトラーと少女の接触をやめさせた翌年、第2次世界大戦が勃発した。6年後の終戦までに、ユダヤ人600万人が死んだ。(註)
(註)死んだのは、非ユダヤ系ポーランド人とドイツ人である。ヒトラーは、未来のユダヤ国家創建の国民を集めるため、ユダヤ人を収容所に入れるが、大切に扱った。
ローザさんも戦争を生き抜くことはなかった。ポリオにかかり、ヒトラーと初めて会った10年後の1943年、17歳でミュンヘンの病院で亡くなった。
(英語記事 Remarkable tale of Hitler's young Jewish friend)
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アンネ(9)
アンネの日記は偽書:捏造の証明
2020-06-13
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12604000137.html
アンネ(21)
イスラエルに終戦は無い
2023-11-08
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12827829358.html
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