今回は『大和物語』(註)の中の一つの物語『葦刈』(あしかり)(註)です。我が町に関係があるので書いたのです。

2007/01/18 著

2022/02/22 修正・加筆

 

(私見)元妻が元夫に「覆水、盆に帰らず」と言うのですが、確かにその言葉は当然なのですが、読む私には何となく切なさが残ります。

 

 

(註)葦刈り(あしかり)

葦を刈ること。また、その人

画像は、高槻市『鵜殿』(うどの)の葦(よし)の原。

1000年以上歴史ある「雅楽」がピンチ!楽器の一部に使われる『ヨシ』が育たず...背景に『野焼きの中止』

古来、ここ『鵜殿』の葦の品質は最高で、雅楽器『篳篥(ひちりき)』の材料指定である。『大和物語』の『葦刈』の舞台である葦の原は、ここ『鵜殿』と思われる。


『君なくて あしかりけると思ふにも いとど難波の浦ぞすみうき 』

この壬生忠見(みぶただみ)の和歌は『大和物語』(註)の中の『葦刈』で使われました。

 

(註)大和物語(やまとものがたり)

平安時代の歌物語。源氏物語や枕草子の半世紀前である10世紀の中ごろに成立。約173段の小話から成り,《伊勢物語》とともに歌物語の代表とされる。

 

しかし《伊勢》は在原業平に擬せられる一人の〈男〉の一代記的な構成をもっているのに対し,この作品は一貫した主題や中心となる特定の主人公をもたない,雑然とした和歌説話集という体裁である。

 

147段以後の後半は,およそ古歌をめぐる伝承説話の収集が主眼となっている。多くの伝承がとり入れられて説話集的な性格を呈するに至っている。
 

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『大和物語』百十八段『葦刈』

摂津国難波(なにわ)に若い夫婦がいました。
収入が無くなり従業員も去り屋敷は荒れ放題。

男は、若い妻の貧しい姿を見るに忍びず、「汝は、京に上って宮仕へしなさい」と言い、再開を約して別れます。

 

【本文】さて、とかう女さすらへて、ある人のやむごとなき所に宮たてたり。さて、宮仕へしありく程に、装束きよげにし、むつかしきことなどもなくてありければ、いときよげに顔容貌もなりにけり。

 

ところで、あちこちと女は転々としていると、ある人が立派な場所にお屋敷を建てていました。そうして、女はこのお屋敷(京の貴族の家)にずっとお仕えし続けるうちに、衣装もこざっぱりと上品にし、見苦しいことなどもない状態になったので、容姿も非常に上品で美しくなったのでした。

女(妻)は京の貴族の家に仕えることができたが、夫のことを忘れず、たびたび故郷に手紙を出すが、一度の返事もなく、夫は行方不明でした。

 

【本文】かかれど、かの津の国をかた時も忘れず、いとあはれと思ひやりけり。たより人に文つけてやりければ、「さいふ人も聞こえず」などいとはかなくいひつつ来けり。わが睦(むつ)まじう知れる人もなかりければ、心ともえやらず、いとおぼつかなく、いかがあらむとのみ思ひやりけり。

女のほうは、このような具合だったのですが、例の摂津の国を片時も忘れず、とてもしみじみと夫の身の上を思っていました。

 

都合で摂津へ行く人に手紙を託して送ったところ、「そういう方がいるとはうわさも聞こえませんでした。」などと、非常に空しいことを言いながら戻ってきました。夫は連絡を拒否したのです。

 

自分が親しく知っている人もいなかったので、自分から、知人を行かせて夫の所在を探させることもできず、非常に気がかりで、どうしているだろうかとばかり、夫の身を思いやっていました。


そのうちに仕える家の正妻が亡くなると、女は貴族の後妻に迎へられました。


幸せな暮らしではありましたが、やはり摂津のことは気になってしかたがありません。

あるとき難波の祓(はら)への行事を知り、同行しようと申し出る今の夫を断り、密かに別れた夫を捜しに牛車で難波に出かけました。

難波の祓(はら)へを終えての帰りしな、難波の昔の家付近に牛車をまわすと、昔の家の跡もなく、捜しあぐねて日も暮れかかる頃、牛車の前を蘆刈(あしかり)の男が横切りました。乞食のようないでたちだったが、別れた夫に似ています。

 

だが、その人だと言うこともできないほど、ひどく変わり果てた様子です。

 

女(元妻)は、もっとよく見たいので、伴(とも)の者に、男の葦(あし)をすべて買ひ上げるように言い、男を呼び寄せました。

 

【本文】「いとあはれに、かかる物商ひて世に経る人いかならむ」といひて泣きければ、ともの人は、なほ、おほかたの世をあはれがるとなむおもひける。かくて「このあしの男に物など食はせよ。物いとおほく蘆の値にとらせよ」といひければ、「すずろなるものに、なにか多く賜(た)ばむ」など、ある人々いひければ、しひてもえ言ひにくくて、いかで物をとらせむと思ふあひだに、

 

近寄る男の顔は、間違いなく別れた夫なのですが、涙があふれ、供の者に元夫であることを悟られないように、とてもしみじみとしたようすで、「このような物を商売して世の中を生きていく人はどんな暮らしなのだろう」と女(元妻)が言って泣いたので、供の者は、ただ、身分ある方は、やはり一般的に世間の様々なことをしみじみと感じるものだと思いました。

こうして、奥様(元妻)が「このアシ売りの男に食べ物を与えなさい。品物をとてもたくさんアシの代金として与えなさい。」と言ったところ、「行きずりの者に、どうして多くお与えになるのだろう」などと、その場にいる人々が言ったので、無理にでもとは言いにくくて、なんとかして品物を前の夫に与えようと考えていました。

 

【本文】下簾のはざまのあきたるより、この男まもれば、わが妻に似たり。あやしさに心をとどめてみるに、顏も声もそれなりけりとおもふに、思ひあはせて、わがさまのいといらなくなりにたるをおもひけるに、いとはしたなくて、蘆もうちすてて逃げにけり。

この男が、すだれの下のすきまの空いている所から、じっと見たところ、自分の元妻に似ていました。

 

不思議に思い、気をつけて見たところ顔も声もやっぱり元妻であると確信するも、色々考え合わせ、自分のありさまが、非常に没落した状態になってしまっているのを考えたとき、いたたまれなくなり、葦(あし)を投げ棄てて逃げ出し、近くの家に飛びこんで竈(かまど)の陰に隠れました。

 

なかなか見つからないのに奥様(元妻)は伴の者に「それでも、この男を探して連れて来なさい」と命じました。

伴の者がようやく探し出しましたが、声をかけてもそこを動きません。

 

伴の者がこの男に「このようにお言いつけがあって呼び寄せるのだ。なにも牛車の前を横切った罰にお前を無礼だという理由で牛車でおひきになるつもりではない。品物をお与えになろうとしたのだ。愚かなやつだなあ。」と言った時、男はただ硯(すずり)と墨を乞い、歌を書いて渡すだけでした。

『君なくて あしかりけると思ふにも いとど難波の浦ぞすみうき 』

 

(歌の意味)
君(元妻)がいなくなり、落ちぶれた私(元夫)は、別離などしなければよかったと思うにつけても、芦(あし)を刈って暮らす難波の浦は住みづらいことだ。

 

(水辺の芦(あし)を刈ってしまったので、難波の海岸は水が澄みにくくなってしまったことだ)

 

歌を受け取ると、女(元妻)はこれ以上の悲しみがないほどにオイオイと泣きました。そして、牛車の中で自分の衣服を脱ぎ、それに包んで返信を男に送りました。


その返信とは、
『 あしからじとてこそ人の別れけめ。何か難波の浦もすみうき 』

(歌の意味)
別れることで生活は悪くはなるまい、と言ってあなたは私とお別れになったのでしょうに、どうして今になって難波の浦が住みづらいのでしょうか


そうして元妻(奥様)は京に帰ったということです。尚、その後はどうなったのかは分かりません。

 

(引用)
https://plaza.rakuten.co.jp/masasenoo/diary/201108290001/

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叙事伝説『大和物語』コトバンク
 この『大和物語』は当時から有名で、その他に、『古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)』、『拾遺(しゅうい)和歌集』、『今昔物語集』巻30の15、『宝物集』巻2、『源平盛衰記』巻36にみえ、謡曲『芦刈』
(あしかり)にもなり、御伽草子(おとぎぞうし)『ちくさ』にもある。『神道集』巻7の42の「芦刈明神事(あしかりみょうじんのこと)」はその本地譚(ほんちたん)で、同巻8の46「釜(かま)神事」とともに竈神(かまどがみ)の由来を語る話としてあったものであろう。

 

 尚、能「芦刈」では、結末は異なり、夫婦は再会して互に喜び、連れ立って都へ上る事になるのです。

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「源氏物語」 目次
2024-02-14
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