今回の記事は、一読に値するので掲載する。

 

じつは「老衰死」は悲惨…医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」
2023.11.10 週刊現代 久坂部 羊

https://gendai.media/articles/-/103607

だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。

私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。

望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。

*本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。

人はどう死ぬのか


人気の死因、一位はがん
死ぬのは仕方ないとして、ではどんな死に方がいいのか。

富士氏のように知らないうちに死ぬのがベストかもしれませんが、自殺以外に自分の死に方はなかなか選べません。

以前、いくつかの週刊誌が、ブームのように死に方の人気ランキングを載せたことがありました。答えを求められたのは、いずれも死のプロとも言うべき医者です。

 

回答は、どのランキングでも一位はがん。なぜ、と思う人も多いかもしれませんが、これは消去法による選択のようでした。

一般に、望ましい死に方としてイメージされるものにポックリ死があります。

長い闘病期間を経ずに、あっという間に死ねば、死の苦しみも少ないと思えるからでしょう。

具体的にポックリ死の可能性があるのは、心筋塞か脳塞、あるいはクモ膜下出血などです。いずれも発作が起きたあとすぐ死ぬと思われているかもしれませんが、実際は発作と同時に意識を失うわけではありません。

 

心筋塞なら胸、脳塞やクモ膜下出血なら頭に、激しい痛みを感じます。命を落とすくらいの痛みですから、激烈なと言ってもいいでしょう(クモ膜下出血では、金属バットで思い切り頭を殴られたような痛みとも言われます)。

その痛みを感じながら、これでもう死ぬのかとリアルに意識しなければならないのです。それがどれくらい続くかは人によりますが、取り返しのつかない思いに背筋を凍らせ、深い悔い、気がかり、恐怖と悲しみが一気に湧き上がり、それでもどうにもできず、死神の手に拉致されるままになるのが、ポックリ死です。

当然、ゆっくりと人生を振り返る余裕はなく、覚悟を決める間もなく、狼狽しつつ亡くなるのです。

さらに、ポックリ死は突然の死ですから、死後の準備ができていません。恥ずかしいことや、隠しておきたいこともそのまま、しておかなければならないこともできず、愛人からの手紙やSNSのやり取り、アダルトサイトの閲覧履歴など、死後に家族に見られたくないものも残したままです。

もう一つ、望ましい死に方として思い浮かぶのは、老衰死でしょう。十分に長生きをして、最後は眠るように亡くなる。なんとなく安らかなイメージがあるのでしょう。しかし、実際の老衰死はそんなに生やさしいものではありません。

私は在宅医療で、老衰のため息を引き取った患者さんを何人も看取りましたが、老衰死は死ぬまでがたいへんなのです

 

それまで元気でいて急に衰えるわけではなく、死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、長い間、耐えたあとでようやく楽になれるのです。

視力も聴力も衰えますから、見たり聴いたりの楽しみはなく、味覚も落ちますから美味しいものを食べてもわからず、それどころか食べたら誤嚥して激しくむせ、そのたびに誤嚥性肺炎の危険にさらされ、腰、膝、肘とあらゆる関節痛に耐え、寝たきりになって、下の世話はもちろん、清拭や陰部洗浄、口腔ケアなどを受け、心不全と筋力低下で身体は動かせず、呼吸も苦しく、言葉を発するのも無理というような状況にならないと、死ねないのが老衰死です。

メディアではこういうイヤな事実はめったに伝えません。もちろん、みんながみんなそうなるわけではなく、なかには安らかに息を引き取る人もいるでしょう。

 

しかし、その理想的な状況だけをイメージしていると、心の準備ができず、実際の老衰がこんなに苦しいとはと、余計な嘆きに苛まれる危険性は大です。

がんで死ぬことの効用
そこへ行くと、がんは治療さえしなければ、ある程度の死期がわかるので、それに向けて準備ができます。

 

もう一度行きたいところ、会いたい人、食べたいもの、見たいもの、聴きたいもの、したいことを楽しみ、世話になった人に礼を言い、迷惑をかけた人に謝り(死が前提なのだからたいていのことは許してもらえるでしょう)、ケンカ別れした友とも仲直りする余裕があります。

己の来し方を振り返り、いろいろなことを思い出して、自己肯定したり、苦笑いしたり、感謝したり、自分をほめたりして、人生を慈しむ時間的な余裕もあります。あとは死ぬだけなのですから、何の努力も我慢も必要なく、自由気ままにすごせます。

その上、超高齢の不如意、不自由、情けなさに直面する危険も確実に避けられます。こんな安心なことはありません。

以上のことを知る医者たちが、「死ぬならがん」と言うのは当然と言えるでしょう。先にも書いた通り、私の父ががんの宣告を受けて、ぱっと表情を輝かせたのもご理解いただけると思います。

がんで死ぬときに大事なことは、無理に治ろうとしないことです。かつては、がんは治るか死ぬかのいずれかでしたが、今は、治らないけれど死なないという状態が作られています。いわゆる「がんとの共存」です。

がんを根絶しようと思うと、過度な治療を受けて副作用で苦しんだり、場合によっては逆に命を縮めてしまったりします。過激な治療ではなく、ほどほどの治療でようすを見て、治療の効果より副作用のほうが大きくなったら、潔く治療をやめる。これががん治療の要諦です。

治療をやめたら死ぬじゃないかと思うかもしれませんが、治療を続けても、さらにはがんを根絶しても、人は死にます。死にたくないと思うのではなく、上手に死ぬというふうに発想を変えれば、治療の中止も大いに好ましい選択であることがわかるでしょう。

それをいつまでも治療に執着していると、せっかくの残された時間を、つらい副作用で無駄にする危険性が高いです。

外科医としてがんの患者さんの治療をしていたとき、副作用の危険や患者さんの苦しみようを考えると、治療を中止したほうが患者さんのためになるのにと思いながら、受け入れてもらえず、最後の最後になって、こんなことなら治療をしなければよかったという嘆きを何度も聞きました。

長生きにはよい面もありますが、過度な長生きは決して好ましいものではありません。その事実をしっかりと頭に入れていれば、がんを放置して、人生の残り時間を自分なりに充実させる選択肢も、あながち悪いものではないとわかるでしょう。

しかし、メディアはがんで死ぬことのメリットなど一行たりとも伝えません。がんは人類の敵、がんの患者さんは全員、治りたいと思っていると決めつけています。

 

今、がんを患っている人に、「がんで死ぬことにもいい面がありますよ」などと言うのは残酷なことでしょう。ですが、まだがんになっていない人に、がんのメリットをあらかじめ伝えておくことは、心の準備として有意義だと私は思います。

さらに続きとなる<「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い>では、症状が軽いのに「老いの症状に苦しみ続ける」人と、症状が重いのに「気楽に幸せに生きられる人」の実例を紹介しています。

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