(前回記事)
ジャニ(3) 

東山とジャニーとの関係は?
2023-10-04

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12823129051.html

 

(今回記事)

「薄っぺらい」マッチvs.ヒガシの“溝”が決定的になった「あの事件」と滝沢副社長との“三角関係”  前編
川田 南雲
2021/05/21 文春オンライン

https://bunshun.jp/articles/-/45585?ref=article_link&logly&device=desktop

 5月16日、マッチこと近藤真彦(56)が、自身のレーシングチーム「KONDO Racing」の監督として大分・オートポリスに登場した。

 

近藤は昨年11月に25歳年下の女性社長との5年間に及ぶ不倫が発覚してジャニーズ事務所から無期限謹慎の処分を受け、4月いっぱいで退所。公の場に出るのはそれ以来だった。

 阿蘇くまもと空港で取材に応じた近藤は「本当にできのわるい長男でした。もう少し後輩にも頼られるような先輩でいたかった」とジャニーズへの感謝と謝罪を述べた。

 

芸能活動再開については「まだ準備段階で、あせらずに徐々に少しずつできれば。できればファンの皆さんの前で歌を歌い、コンサートができれば。ファンには申し訳ない。(中略)イチから出直す気持ちで頑張ります」と可能性に言及した。

東山が近藤を痛烈に批判
 しかし、近藤の芸能活動再開には茨の道が待っている。その最大の理由が、退所したジャニーズ事務所との関係だ。

「“ジャニーズの長男”に昇格した東山紀之(54)が、自身がキャスターを務める5月2日の『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)で近藤を痛烈に批判したんです。

 

『後輩たちにもファンたちにも、何の説明もしていない。説明をしたくなかったのか、することができないのか、それともこれからするのか。(中略)

 

すごく薄っぺらく感じる』という口調は極めて強いものでした。普段クールな東山だけに、この発言に芸能界は騒然としました以前ほどの影響力はないですが、いまだにジャニーズ事務所に対するテレビ局の忖度は続いていますから、近藤の復帰は険しい道のりになるでしょう」(スポーツ紙芸能デスク)

 関係が決裂した近藤と東山だが、以前は仲がいいことで有名だった。若手時代の近藤が、もっとも気にかけていた後輩が東山なのだ。

「近藤さんと東山さんには、ジャニーさんに直々にスカウトされたという共通点があるんです。近藤は、中学時代に所属していた少年野球チームの関係者がチームの集合写真をジャニーズ事務所に送り、写真の中の近藤さんにジャニーさんが○を付けてスカウトしたと言われています。

 

東山さんも、小学校卒業直前だった1979年の春に渋谷駅前のスクランブル交差点でジャニーさんの目に留まってスカウトされました。

 それもあって1979年に2人が初めて会った時、近藤さんは東山さんに『お前か? 新しい“ジャニっ子”は』と声をかけたそう。東山は当時の第一印象を『大きい人だなと思った』と後に語っています」(アイドル誌編集者)

 1979年は、まさに近藤がスターの階段を駆け上がった年だ。

『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役でデビューし、田原俊彦(60)や野村義男(56)とのたのきんトリオ(註)で一躍ブレイクした。

 

(註)たのきんトリオ

その名づけ親はジャニー喜多川(享年87)。田原の“た”、野村の“の”、近藤の“近(きん)”に由来する。活動期間は '80〜'83年と意外に短い。
https://www.jprime.jp/articles/-/20882?display=b

 

まだデビューも決まっていなかった東山にとって、芸能界の最前線で活躍する近藤はまぶしい存在だった。

「近藤は1980年に『スニーカーぶる~す』で歌手デビューし、翌年にはレコード大賞最優秀新人賞を受賞してあっという間にトップアイドルの座を手に入れました。

 

当時原宿にあったジャニーズの合宿所に帰るのが深夜になることも増えたのですが、その近藤のために夜食を作ったり、一緒にツーリングにでかけていたのが東山なんです。

 

近藤が苦手だったバク転も、後輩の東山に教えてもらっていました。東山は1982年に少年隊のメンバーになった後も、1985年に『仮面舞踏会』でデビューするまで近藤のバックダンサーとして踊り続けました」(スポーツ紙芸能記者)

少年隊の「仮面ライダー事件」の裏にも近藤が?
 近藤の後を追うようにデビューした少年隊は順調に人気を獲得していたが、彼らの知名度を一躍全国区にするある“出来事”にも近藤が関係している。



「少年隊は1986年の『紅白歌合戦』(NHK)にデビュー曲の『仮面舞踏会』で初出場したのですが、白組司会の加山雄三(84)が曲名を『仮面ライダー』と言い間違えたんです。

 

少年隊メンバーは当惑して満足なパフォーマンスができず、終了後に号泣。しかしそれを見たジャニー喜多川さんが『ユーたちラッキーだよ、これでみんな覚えてくれる』と慰めたことがありました。

 

ただ、この事件の“原因”は近藤にあったんです。リハーサルで少年隊の衣装を見た近藤が『仮面ライダーのショーみたいだな』とからかい、それを聞いた加山が曲名を言い間違えてしまった。東山は後に『マッチさんのせい』と笑い話にしていますが、それほど親密な関係でした」(テレビ局関係者)

 その後も東山は、折に触れて「今の自分があるのはマッチさんのおかげ」と話している。しかし、2人のタレントとしてのスタンスは正反対だった。

「東山は歌も踊りも完璧を追求するアスリートのようなアーティスト。しかし近藤は、『俺の仕事は俺が決める』と言って芸能活動よりもレース活動を優先する奔放なタイプ。恋愛面でも派手に遊んでいました。そして、“あの事件”が起きたんです」(レコード会社宣伝マン) つづく