日本帝国はすばらしい国だった
2013/09/12 著

日韓併合時代(1910~1945)の韓国って素晴らしい社会だったのです。
下記の事件で、改めて思います。

 ☆

[단독] '과한 애국심에..' 일제 찬양 90대 노인, 지팡이로 때려 숨지게
【韓国】95歳老人「日本帝国はすばらしい国だった」

 → 38歳男が激怒、タコ殴りにして殺害

日帝称賛した90代老人から杖を奪い、暴行し殺害

 ―韓国ソウル

90代老人を日帝植民支配を擁護したという理由で殴って殺した30代男性に重刑が宣告された。

去る5月、ファン某(38)氏はソウル鍾路区(チョンノグ)チョンミョ公園でパク某(95)氏と争い事を起こした。

황씨는 당시 술을 거하게 마신 상태였는데 '일본이 한국을 식민지배한 것은 잘한 것'이라는 내용의 박씨 말을 듣고는 화를 참지 못했다.

ファン氏は当時酒を飲んだ状態だったが
「日本が韓国を植民支配したことは良くやったこと」
という内容のパク氏の話を聞いて怒りをこらえることができなかった。 

やがてファン氏はパク氏を蹴飛ばしてパク氏が体を支えていた80㎝の杖を奪い取って彼の頭を数回殴った。(以下省略) 2013.09.12

(原文)
http://media.daum.net/society/others/newsview?newsid=20130912144207777


当時の韓国社会を表したブログ記事があります。

『日韓併合時代の真実』
(全文) 
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi02.htm

以下、一部抜粋

韓国人の女性で、呉善花(お・そんふぁ)さんというかたがいます。日韓関係についてたくさんの本を書いているかたですが、彼女は小さい頃、親の世代から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていました。

 ところが、学校に入学すると、先生から、「日本人は韓国人にひどいことをした」と教わって、すさまじいばかりの反日教育を受けたのです。それでいつしか、学校で教えられるままに、「日本人は韓国人にひどいことをした」という認識が、彼女の中で常識となっていました。

 彼女はその後日本に渡って、日本で生活するようになりました。すると、かつて親から教えられた「日本人はとても親切な人たちだった」という言葉が、再びよみがえってきたのです。(中略)

たとえば阿部元俊さんは、大正九年、三歳のときに朝鮮に渡り、そこで学生時代を過ごした人です。文字通り、日本統治下の朝鮮を体験したのですが、彼はこう言っています。

 「私が朝鮮にいたころ、日本人による朝鮮人いじめの話は、噂としてもまず聞いたことがありません。とくに、ソウル郊外の水原にいたころは、日本人が少ないからと珍しがられて、地域の人たちはみな親切にしてくれていましたしね。(中略)

たとえば、生まれも育ちも朝鮮の新義州(今日の北朝鮮北部)という林健一さんも、こう語っています。

 「日本人による朝鮮人差別ということは、まったくありませんでした。学校で生徒同士は完全に対等で、上級生の朝鮮人が下級生の日本人を呼び寄せて、『お前は服装がなっていない』とか説教することなんかがたびたびありましたね。……

 朝鮮を出て、日本の内地に行きたいとも思いませんでした。朝鮮の人々はよかったですし、私も居心地がよかったですから。……骨をどこに埋めるかと聞かれれば、『朝鮮』と答えたものです」

また、新義州の中学や高校に通っていた李萬甲さんは、こう語っています。

 「朝鮮人は私一人でしたが、日本人の同級生みんなに親切にしてもらいました。……日本人の先生には立派な方がいらっしゃいました。……

 創氏改名は昭和一五年からのことでした。ほとんどの人が変えていましたね。……しかし、官庁に務める人でも、変えないからといって首になるようなことはありませんでした。……

 日本人が韓国人の生活を侵害するとか、略奪するとか、そんな類のことは日本人は全くしませんでした。日本人は法に反することをしないようにと、非常に気をつけていました」(中略)

日本はなぜ朝鮮を統治したのでしょうか。

 それはごく簡単にいえば、当時の朝鮮は、国家的な破産状態にあったからです。日本はその朝鮮に、助け舟を出したのです。

 これはちょうど、生活力を失った家庭に、国が生活保護を適用することにも似ていました。生活保護法では、その家庭がひとり立ちできるまで、国が保護を加え、援助をしていきます。また職員が生活や仕事に至るまで、事細かに指導していきます。

 同様に、かつて日本は朝鮮をひとり立ちできる国家にするために、朝鮮を統治していったのです。

 これは、朝鮮と日本との間の国際的合意のもとで行なわれたことでした。また、当時の世界の多くの国々が賛成し、承認したものでした。(中略)

実際、たとえば朝鮮殖産銀行の頭取として働いていた有賀光豊さんも、ふだんから、
 「朝鮮は、我々がお手伝いして立派な国に育て上げ、そのうえで本来の持ち主に返すべきだ」 という信念で働いていました。

息子の敏彦さんがそう述べています。朝鮮に経済的な自立をもたらし、やがてひとり立ちできるようになったら、独立国へ導いていこうと彼は願っていました。

 これは、当時朝鮮で働いていた多くの日本人たちの共通意識だったのです。韓国人の李萬甲さんも、日本統治時代を振り返ってこう語っています。

 「私が通っていた高等学校には、上村先生という日本人の先生がいらっしゃって、立派な方でした。先生は、韓国人の生徒たちが集まっている場で、よく言ってくださった言葉があります。

それは、『君たちが独立するためには経済の力だ』 という言葉でした」


 このように日本人は、朝鮮が力をつけて、やがて独立国家となれるよう、自立させるために働いていたのです。(以下省略)