前回記事の補足です。

戦後、朝鮮人による典型的な不法占拠の例です。

 

(前回記事)

韓国(40) 戦後朝鮮人による主な殺傷事件:GHQ戦略
2022-11-08

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12773160160.html

 

(本文)

私が田舎から京都に来た昭和39年(1964年)、用事で京都駅から大阪駅へ行き、ホームからホームへと乗り換え通路を歩いていた時、通路の右側だけ目隠しされていました。

 

立ち止まり、ひょういと背伸びをして見下ろすと、何と、何と、日本二番目の大都市大阪駅の南側は、無数のバラック。

 

 

その数、京都鴨川堤防の数十数百処ではない。

その先から視界の届く左右遥か向こうの手前までだから、凡そ、数千のバラック。然も、見える道の幅はせいぜい1m。

これが大阪とは、何という街だ。

私には、このように見えました。

 

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梅田界隈の歴史と変貌ーその3-
https://blog.goo.ne.jp/ganbaro433/e/d92af1748adc1f16ee90aa6a1a532bf5

(一部抜粋)

終戦後の闇市の時代からの不法占拠のバラックだったのです。不法占拠しているのは、いわゆる三国人(朝鮮人、中国・台湾人)。

 

この地の大地主であった吉本氏は、一向に立ち退かない不法占拠された土地に業を煮やして、ブルドーザーで強制的にバラックを破壊、撤去させました。

 

裁判沙汰になったのですが、最終的には吉本氏が勝訴し、逆転無罪を勝ち取ったという一連の出来事を「梅田村事件」と称しているのです。

もちろん、暴力団も絡んでいたようですが、「力には力を」で、自分の財産を取り戻し、世間の人々は、拍手喝采をしたとか・・・・

 その吉本氏は「ドケチ社長」としても有名で、自ら「大日本ドケチ教」の教祖と呼んでいたとか・・・・・

 

 但し、大阪市の行政は、不法占拠している彼ら三国人に多額の立ち退き料を血税から支払い、ここ「ダイヤモンド地区」と呼ばれる広大なエリアに再開発事業を起こし、1970~1981年間に4つのビル「大阪駅前ビル」を建設したのです。
 

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成程、京都人が大阪を嫌いで大阪に行かない理由が、この大阪駅南側のバラックのドヤ街にもあったのかとつくづく感心した次第である。

 

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ほっこり京都人(6)だから京都人は京都が好きなの
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12586775899.html?frm=theme

当時の京都人の最も嫌いな県民は、お隣の大阪人。
腰低い大阪商人には、口で丸め込まれるのを京都人は恐れていましたね。それに柄が悪い。
それ故に京都人はあまり大阪には行かないのです。

大阪に行かないもう一つの理由に、道路があります。京都は碁盤の目。大阪に行き、京都に帰ろうと北の方向へ道なりに進みますと、いつの間にか南に向かっているのですから。

京都人は碁盤の目の路で育ちましたから、曲がっている大阪の路には腹が立つのです。実は、私もそうでした。

 

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私、以後10年間、大阪市街地に入ったのはたった一度だけ。昭和41年(1966)洛中のうなぎの寝床の仲間たちと、電気街日本橋で電気毛布を買い田舎に送った時だけ。

 

当時の我らの感覚は、「洛中市民はダニに悩まされるが、朝鮮人がうろうろしているガラの悪い大阪には近寄るべからず」であったし、飯炊きおばさんに「大阪に行ってきた」と言うと、白眼視されたものである。

 

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在日(1)京都の街での「在日コリアン」の辛苦:序文
2020-04-17

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12590322230.html

阪神淡路大震災(1)大震災で隠蔽された犯罪
2020-01-14 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12566893575.html

放火され、弧を描く連続した出火地点

 

韓国(3) 日本ヘイト国家戦略
2019-10-18 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12536890502.html

반크,‘일본 디스카운트’ 운동   게재 일자 : 
2005년 03월 25일(金)
VANK(バンク)の「日本ディスカウントジャパン運動」