血族結婚と言えば、欧州貴族ですね。

今でも血族結婚と妻の浮気による出生はお盛ん。

(今日の前回記事)
血族結婚で生まれるバブル・チルドレン
2018/01/22 著

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12751906717.html
 

それでは古代の日本での血族結婚はどうだったでしょう。

 

(今日3回目の記事)

日本書紀:天地創造は兄妹の近親相姦で
ー セキレイに学んだ和合 ー

 

日本書紀では、天地創造のイザナギ(兄、男神)とイザナミ(妹、女神)の兄妹夫婦神が、四国や本州などの8つの大島+6島を産み、次に風・火や夫婦の神など合計35神産みます。


天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯・画、明治時代)
右がイザナギ、左がイザナミ。二人は天の橋に立っており、矛で混沌をかき混ぜて島(日本)を作っているところ。ウィキペデア


 但し、最初の子はヒルコと称し、ヒルのような骨のない子でした。血族結婚による弊害が出たんです。


 尚、イザナギはアマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされている。古来天皇家です。
 

余談を言えば、現、上皇のことですが、当時皇太子明仁親王が美智子妃を迎えた理由として、血族・同族結婚で血が濃くなりすぎ、馬鹿な子や虚弱児(大正天皇)しか生まれないから皇族以外から迎えたとの記事を読んだ記憶があります。

 

然し、これはプロパガンダです。米国の指示でカソリックの朝鮮部落出自の美智子妃は婚約者と別れさせられ、二人は成婚されたものです。

 

更に余談を言えば、独身時代の次代のMasa子妃は、外務省コストで昭和58(1983)年から2年4カ月、英国オックスフォード大学に留学。当初は寮生活を送るも後半は東南アジア人(?)と同棲していたんです。小泉純一郎も英国留学するも、英語をまともに読み書き出来ないから、1年間女漁りに執着。1単位もとれず。他方、かの女性は2年4カ月の英国留学で同じく1単位もとれずとのうわさがあったが。

さて、その記事の一部抜粋

712(和銅5)年にできた『古事記』の場合、

 

イザナギ(兄)が「自分には成り成りて成り余れるところ(凸勃起)がある」と語ったところ、イザナミ(妹)は「自分には成り成りて成り合わぬところ(凹穴)がある」と答えたので、イザナギが「汝が身の成りあわぬところを刺し塞いで国生みをなさん」といって近親相姦したという。

 

※ 「成り合わぬところ」は女性の性器。「成り余れるところ」とは男性の性器。「刺し塞ぐ」とは性交すること。

こうして最初に淡路島が生まれ、続いて四国、九州、本州などが次々に生まれた。

その意味では「国生みの神話」は日本の発祥を示す根幹のエピソードだが、実はこの話には出典があって、紀元600年頃に成立した中国の『洞玄子』という本の中に、-

 

- 「天は左に転り、地は右に廻る。男唱えて女和し、上為して下従ふ。此れ物事の定理なり。故に必須男は左に転り、女は右に廻り、男は下に衝き、女は上に接すべし」という一節がある。

男が左回りで女が右回りという点など、『日本書紀』の記述は明らかにここから採られたと思われる。さらに付け加えると、『洞玄子』は古代中国の代表的な性の指南書である。

 

つまり日本創世の神話は中国の性書からパクったものというわけである。

 

”一書曰。陰神先唱曰。美哉。善少男。時以陰神先言故、為不祥。更復改巡。則陽神先唱曰。美哉。善少女。遂将合交、而不知其術。時有鶺鴒飛来揺其首尾。二神見而学之。即得交道。“

「(兄イザナギ、妹イザナミは)遂に交合せんとす。しかし、その術を知らず。時にセキレイありて、飛び来たりその首尾を揺す。二柱の神、それを見て学び、即ち交の道を得つ」

 

(注)兄妹の二人は、セキレイから学んだ後背位で結ばれた。


画像  http://tswata.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html

たとえば静岡県三島地方や広島県などではセキレイを神の鳥と称し、みだりに捕まえてはならないものとされている。

その理由は神に交合の道を教えた万物の師であり、神の使い以上の存在とされているからという。

 

※淡路島・おのころ島神社 鶺鴒(セキレイ)石

これに類する風習は熊本県南関地方や岐阜県高山地方でも報告されている(能田太郎編『肥後南ノ関動植物方言及民俗誌』一言社、ほか)。

『倭訓栞』(わくんのしおり)は江戸時代中期の国学者谷川士清が著わした国語辞典だが、その中で士清は伊勢神宮の神衣である「大和錦」にはセキレイの模様があると指摘している。

小笠原流といえば室町時代から礼儀作法の流派。
新婚初夜の決まりごともその一つで、寝所に比翼(ひよく)枕、犬張子、乱箱、守刀、セキレイ台などを置き、床盃(とこさかずき)が行われることになっている。

 

 

それが終わると新婦が先に、新郎が続いて床に入るという。

(画像説明)

婚礼の有職造花:徳川将軍の婚礼に際して用意される品々を記した巻物。この画像の左上を拡大すると、

 

画像中央左右に番のセキレイが向かい合わせしている。

http://oki-suju.com/type/konrei.html

 セキレイ台というのは床飾りの一つで、全体は島の形をしている。台上にはセキレイの一つがいが飾られ、根固めとして岩が置かれているというものである。

 

これもイザナギ・イザナミの故事に習ったもので、新婚夫婦が上気してうまくいかない時、これを見て落ち着くようにという配慮から置かれたものといわれている。

 江戸の町民も小笠原流に習ったのか、セキレイ台が結婚式の調度品として欠かせないものになった。(以下省略)

 

(復元画像)

セキレイの番

 

 

(抜粋記事)神様は鳥からセックスを学んだ 下川 耿史
http://www.gentosha.jp/articles/-/5234

 

(画像)婚礼の有職造花
https://oki-suju.com/type/konrei.html

 

古代史(4) ニッポン(日本)の起源
2022-01-08 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12719939370.html