(前回記事)

心の履歴(136) 
新しい彼と東京を去り京都へ
2009/03/15 著

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12744141962.html

 

(今回記事)

心の履歴(137-1) 

ロッキード事件・金丸信の秘書
2009/03/22 著


民主党小沢党首の第一秘書が逮捕されて、いよいよ起訴となるかどうかは明日の24日に判明します。


小沢一郎さんと言えば、思い出されるのが田中元首相と元副総理の金丸信です。これに関して、当時の事を思い出しましたから、書き残しておこうと思います。

1974年(昭和49年)東京に着任以降、

ちょくちょく訪問していたのがユニマット。


青山一丁目の青山ビル十一階。

ビル売店コーヒーからオフィスコーヒーへの展開の時です。

当時の青山ビルと言いますと、このビルへの入居が一種のステータスでした。


事務所は広大なワンフロアー。

事務所に入りますとカウンターでその左奥が社長室。

カウンターの右奥向こう側の窓を背にして、コの字の形の三方透明ガラスで囲まれた取締役室が三つ。
一つの広さが十畳。

形はサンルームです。

秘書に案内され、そのサンルームの一つに入って取締役との交渉です。これが米国のスタイルかと、いたく感心したものです。

取締役室を出ると社長室に案内され、浅黒・182cm・90kgの社長シグ・片山氏と先ずはシェイクハンドからでした。


シグ・片山氏と言えば、思い出すのが田中首相が米国の意向に反して中国との国交回復し、更にソ連と北方領土返還交渉した故に米国が激怒。米国政府が田中首相追い落としを謀り、米国政府が仕掛けたロッキード事件。

 

NHKアーカイブス
ロッキード事件 田中前首相逮捕

https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030141_00000
 

シグ・片山氏が証人喚問されたのが、1976年(昭和51年)6月、衆院ロッキード問題に関する調査特別委(田中伊三次委員長)にて。「ピーナツ・ピーシーズ」のトンネルで。

同年7月、ロッキード事件で元田中角栄首相が逮捕されました。次から次へと登場するテレビの生中継での証人喚問には固唾を呑みました。

この事件で他に思い出す言葉と言えば、「記憶にございません」「蜂の一刺し」「はしゃぎすぎ」。ジェット旅客機の名前では「トライスター」「DC-10」「ボーイング747」

人名では「コーチャン副会長(ロッキード社)」「檜山広会長(丸紅)」「大久保利春専務(丸紅)」「児玉誉士夫」「小佐野賢治(国際興業社主)」「大庭哲夫元社長(全日空)」「若狭得治社長(全日空)」

 ★★★

同じ頃です。都内にダイレクトメールを流しましたら、何故か山梨の大月インターを降た都留の人からマシンの問い合わせ。当時の中央高速道は、東京高井戸から大月までと記憶しているのですが。

オーナーとの交渉・打ち合わせは、午後八時以降。
和光市の自宅で夕食をとってから大月へ。

これが三度となるも進展せず。

この時、金丸信の私設秘書二人と出会いました。

彼等は甲府のお客さんを紹介すると言うのです。

私設秘書の給料は無い。

名刺の威力を活用し、自分で稼ぐしか収入は無いのだそうです。彼等と甲府市内や韮崎(にらさき)などを同行訪問しました。

彼等と彼等の指定した顧客を数回同行訪問しましたが、結果は出ず。私設秘書の力は、大したことが無かったです。

甲府からの帰路はいつも午前零時をまわっていました。高速道路ではもう前が見えない。寝不足と疲労による睡魔に襲われて。

途中の高速バス停に停めて眠りました。

八王子~三鷹の間でしょう。
目が覚めたら東の空がしらじらと明けてきたことが二度。その時は、その足で会社に出勤しました。

 

つづく

心の履歴(137-2)
白馬から志賀高原へ
2009/03/22著

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12744228727.html
 

心の履歴30代①入社編:目次
2022-04-08

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12736672224.html