(前回記事)
心の履歴(北-追3)北海道の社員の給与問題
2022-03-17
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12728005948.html
(今回記事)
だが、斎藤君にはこれだけは言いました。
「君の感謝している塩見支店長を何年経とうが私は許すことはできないのだよ。-
- 私が札幌から本社営業本部に転勤し、それまで各営業部は個々の企画部署を持っていたが、営業本部として全体の営業企画課を新設。その課長に私が着任。-
- そして社長を初めとする全役員と全本社部長が列席する営業本部会議や支店長会議にも出席。-
- その席上での私の後任の塩見所長の発表には呆れた。
悉く『前任者(私の事)のやってきた(あれやこれや)は、経費の無駄遣いだから止めました』とか、『前任者はメンテナンス体制に問題があるので、私が拠点を増設しました』とか、毎月毎月、それも1年半もだよ。」
続けて「処が、二年目が近くなると、『新しい顧客開発の手段として、道内の建設情報2紙を定期購入し、その情報を各支所に流しました』と報告したのにはびっくり。-
- 君も知っているように、それをしていたのは私で、彼は着任当時の支店長会議では『建設情報2紙の定期購入は前任者の経費の無駄使いだから止めました。』と発表していたのだよ。」
斎藤「そのことでしたら、私が旭川から札幌に行ったとき、塩見所長が支店長会議で報告する何かいい話はないかと聞いてきたので、水無瀬所長のしていた建設情報2紙のことを伝えたら、『それを今度の支店長会議の時に報告しよう』と言っていた記憶があります。そうだったのですか。」
私 「あれには驚いたね。かって自分が何を言っていたのか分からないんだ。誹謗することで頭がいっぱいだからね。」
更に私 「それだけではないんだ。私が帯広の商業組合の佐藤事務長と交渉し、組合事務所の二階を我が社が事務所として借りることを約し、組合側は、二階の物を片付けている時に、私が札幌から本社に転勤。-
- 無論、私が塩見への引継ぎで道内を回り、帯広にも行き、佐藤事務長にも引き合わせ、その旨を引継書にも書いてあるのに、支店長会議の席上、『前任者が何もできなかった帯広で自分が帯広商業組合と交渉し、商業組合事務所の二階に我が社の事務所を開きました』と発表。毎月毎月がこんな繰り返しだったよ。」
斎藤「逆に塩見所長は何もできないという話が吉田専務に伝わったから、札幌営業所会議に水無瀬さんに来てもらったのでは?」
私 「そうなんだよ。私の札幌出張を禁じていた吉田専務が、突然、私に、『札幌に行って指導してくれ』と要請されたので、急遽、私が札幌営業所会議に出ることになったのだよ。-
- 私の札幌出張を禁じたのは、札幌から本社に転勤して間もなくであり。その時、吉田専務は私にこう言ったのだよ。
『もう札幌の社員たちは、君の札幌入りを歓迎するどころか、君への反発心で溢れている』と。吉田専務と甥の塩見の二人は、札幌で何らかの策動をしたことは確かだ。-
- 処が、私への反発心で溢れているはずのその会議が始まるなり、塩見は『あとは任せた』と言って、会議室から出て行ったのだよ。毎月、どんな会議だったかを皆に聞いたら、『各自の当月の最終販売見込み額の発表』と、『支店長会議で発表する何かいいことはないか』、の二点だけだそうだから開いた口が塞がらない。-
- そうそう、札幌が支店に昇格してからも、札幌の厚生省OB組織を自分が開発し、数百万円の備品の受注があったと支店長会議の席上、自慢げに発表していたね。」
斎藤「あそこは厚生省本省につながりがある水無瀬さんが、部長時代、札幌に来て、私たちを連れていったところですね。」
私 「万事が万事、この調子だ。処が、塩見の後任の伊吹支店長と、更に次の岸支店長の私への評価は全く違うのだよ。-
- 彼等二人は、私と会う都度、必ず『水無瀬さんは、素晴らしい部下を育てましたね』という。-
- 特に伊吹支店長の場合は『札幌では楽をさせてもらいました。私(伊吹支店長)の主な仕事は、草野君や魚住君がセットした主要取引先や業界の役員連中とゴルフをすること。おかげさまでゴルフの腕はシングルになりました。-
- それに、仕事上で何か問題が起きると、彼らで話し合い、解決策を持って私に相談にくる。私はイエスと言うだけ。こんなに出来る一般社員などにお目にかかったことは未だにない。』と。」
斎藤「そういわれると、皆であれやこれやと話し合っていましたが、札幌だけだったんですか。」
私 「塩見の言動に、いまだこだわる自分は確かに了見が狭いと言われるかもしれないが、一年半にわたって支店長会議で繰り広げられた私への誹謗は、 何年経とうが私の脳幹奥深くに焼き付いていて、消えることはないんだよ。」
斎藤「・・・・・・・・・・・・」
私 「私は君の姿をみて気が付いたのだが、札幌時代、してこなかったことがある。」
斎藤「それは何ですか?」
私 「君達には孫子の兵法やランチェスター戦略、問題解決手法TQC、ナポレオン・ヒルの自己実現などを教えたが、『人の上に立つ』ことと、『人を動かす』ことについては教えてこなかった。但し、世子へは多少なりとも教えた記憶があるが。」
心の履歴(303)
有能女子実践教育の場クラブハイツ
2010/08/08 著
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12629834832.html
「この光景を記憶に留めておくべきだね」
「どうしてですか?」
「君の未来では、このようなステージが君を待っているからさ」
それから長い沈黙が続きました。
まんじりともせず。
恐らく彼は彼の現在の、或は今後の事について私に相談に来たのであろうが、彼の相談に乗るような私のその時の心境ではない。
私は「もう帰ろう」と言い、レジに行きました。
斎藤「今回は割り勘でお願いします」
(画像)https://icotto.jp/presses/505
それから階段を上がって地上に出ると、街はいつもの酔客たちであふれていました。
そこで彼と別れたのですが、以降、彼からは二度と電話はありませんでした。
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『心の履歴』40代北海道編 目次(1)
(自) No.241 1987年1月
(至) No.323-2
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html
『心の履歴』40代北海道編 目次(2)
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12720330612.html
(自) No.324~
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