心の履歴(384)
自己の思考異常が分からぬ男たち
2022-02-21 (2011/06/28著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12727930521.html

 

心の履歴(385)

旅費交通費余禄の使途
2022-02-21 (2011/07/01著)

ダイアリーを見開くと当時の色々なことが思い出されます。

くだらんことも。

 

その中でも私が本社への転勤直後、本社古田管理部長と私の後任の塩見所長が、私を追い落とそうと北海道内各出先を回り、根掘り葉掘り聞きたくったそうです。

私が各支所を訪問したときの飲み代として、私が予め各支所に裏金を作っておくように指示していたのではないかと。

彼等にとって誠に残念にも、微塵だにも見出すことはできませんでした。

 

古田管理部長が何故に執拗に私の粗探しをしたかというと、かって北海道が子会社時代、本社管理部から北海道の子会社再建のために矢継ぎ早に役員を送り込んだものゝ、何一つプラスとならなかったのに、水無瀬が3年で再建してしまい、管理部の能力が問われるものであるから、何とか一矢報いたかったのでしょう。それに古田と塩見は同年齢で仲が良かったのもあって。

 

私が支所へ出張し、部下と飲む時に使う金は、先ずは接待交際費なのです。

この接待交際費に価値があるのです。例えば旭川に出張した場合、一次会は顧客接待宴席。大半の客はここで帰宅します。


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その後、我らは、二次会接待費用で今で言うキャバクラ「ステラ」に行き、当時(1987年)、広島の流川や仙台の国分町ではお目にかかったことのない色白で薄化粧、細面・鼻がスラリ、然もナイススタイルに薄色のワンピースを身にまとった別世界と思える素敵な女性たちとチークダンスをするのです。今の小汚い厚化粧とは全く違うのです。

無論、接待のない時は、私の出張費余禄で居酒屋で彼らと乾杯ですから、古田部長と塩見所長が追及の仕様がなかったのです。恐らく地団駄を踏んだでしょう。

その出張費余禄とは、

北海道の四年間、よく飛行機を使いましたから「マイレージ」の質問がありましたが、当時、マイレージは国際線のみで国内線には未だ適用されていなかったのです。

マイレージが一般化したのは私が東京に単身赴任した1995年以降です。1987年からの札幌時代の航空券は主に回数券を使いました。
 
道内は四枚回数券で15%引き。差額(余禄)は一枚(1回)に付き@2,000円前後です。

千歳⇔伊丹空港は六枚回数券で20%引き。この場合の差額は@7,000円前後。

だから道内出張の場合の運賃差額・宿泊費差額・出張手当を合算すると、一回の出張につき、余禄は一万円から三万円でした。

その出張旅費清算基礎数字
 
A)交通費の請求金額は割引無しの普通料金(領収書不要)
B)宿泊費 所長は@12,500円/泊(領収書不要)
C)出張手当 所長は@3,500円/日
 
これだけでは分からないですから具体例で。

例えば、道東釧路根室に二泊三日の出張した場合の清算の差額金額は
 
①飛行機代差額(千歳⇔釧路・中標津空港) 片道差額@2,000円×二回(往復)→4,000円

②宿泊料金の差額(@12,500-@6,000→) @6,500×二泊→13,000円
注)当時、道内、温泉1泊2食付きで@6,000円前後
ビジネスホテル1泊 @4,000円~6,000円

③出張手当 @3,500円×三日→10,500円
 
④ 以上を合計すると ①+②+③→27,500円
つまり、一回の道東出張で、27,500円の余禄となる。

このように、出張で毎月十万円強の余禄があるものゝ、全額部下との飲食代で飛んでいきました。
部下を持つ男の宿命です。
 
出張先での使途は、
 
イ)出張先での部下との昼食代。
ロ)接待でない夜の飲食代。
ハ)温泉での会議後の酒代。
 
出張後の札幌での使途は、
 
ニ)夜のすすき野での部下達との飲み代。
ホ)部下の車に同乗した場合の昼食代。


例)小樽での亜子との昼食代は、@3,000円前後でした。
心の履歴(323-2) 
同行での世子・亜子との昼食は
2022-01-09 (2010/09/19 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12631574464.html

 

へ)事務所で飲み会などをする時の寄付金。
 
余談ですが、過去出張で一番余禄が出来たのは、1996年頃の東京時代の福岡出張です。

福岡の旅行会社にFAXで搭乗予約をします。
そして当日、指定された羽田の搭乗カウンターに行き、搭乗券を受け取り搭乗。ツアー扱いです。
だから搭乗券には私の名前は無く空欄になります。
 
当時、片道@32,000円(2011年現在は@36,870円)程のものが、ツアー扱いで@15,000円でした。
この往復航空券の差額と二泊の宿泊費差額に出張料で約5万円の余禄でした。尚、この当時の出張余禄は全てパカパカ代(競馬)で消えました。
 
尚、1990年当時の航空券入手と運賃支払方法・額
 
旅行会社「北都交通」が、JAL・JAS・ANAから千歳発着便の回数券を買います。

私が搭乗する前日に該当する回数券の綴りを北都交通の社員が事務所に届けてくれます。

出張から帰ってきたら、北都交通の社員が残りの回数券の綴りを回収に来ます。

翌月上旬、前月使用した回数券の代金を支払います。つまり、一つの綴りの回数券を北都交通の顧客何人かで使うのです。
 
同一路線で価格が異なるのは、ジェット機の場合とYS機の場合の違いで600円。
それと、時季毎、航空運賃が変わったはずです。

北都交通が各航空会社から買い取る回数券の価格は、各航空会社の決算月直前の1月と2月が一番安かったはずです。
 
下記は千歳空港又は丘珠空港発着便で私が1990年に北都交通に支払った額です。
注)カッコ内の@数字は2011年現在の航空運賃
 
例1)⇔伊丹(大阪)空港の場合(@41,300) @28,750円、@27,900円、@26,350円
例2)⇔釧路空港の場合(@21,900) @11,970円
例3)⇔女満別空港の場合(@23,500) @11,790円
例4)⇔中標津空港の場合(@23,000) @14,500円
例5)⇔函館空港の場合(@17,900) @9,250円、@9,180円、@8,330円
例6)⇔稚内空港の場合(@22,600) @13,450円、@12,100円、@8,100円

例7)⇔紋別空港&仙台空港&名古屋空港の場合 北都交通の顧客でこの路線に搭乗するのは私だけ故、回数券を用意出来ない。

然し、余禄の事ではないですが、札幌時代のダイアリーを眺めていますと、よくぞまあ色々なことが頻発に起き、急遽飛んだりし、手を打ち続けてきたものだと今更ながら感心しています。

時には、会議の場所ではマンネリ化防止のために、ちょくちょく場所を変えたり。中央区での開催が多いのは、会議終了後、すすき野で飲み会をしますから。
 
かって使用した会議室
豊平区民センター (平岸6の10)
中央区民センター (南2西10)
雪印健保会館 (南4西8) 注)今は無い。
北農健保会館 (北4西7)
JT北星会館 (北3西18) 注)今は無い。
北海道ハイヤー会館 (南8西15)
その他、民間の貸し会議室。
 
これ以上、ダイアリーを見て書くと、懐かしさにかまけて、くだらぬ話まで書き始めましたので、これで打ち止めにします。

つづく
心の履歴(北-追1)
誰も勤(つと)まらなかった仙台支店長
2022-02-22 (2013/01/12 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12728005678.html

『心の履歴』40代北海道編 目次(1)
(自) No.241 1987年1月
(至) No.323-2

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html

『心の履歴』40代北海道編 目次(2)
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12720330612.html
(自) No.324~