(前回記事)
心の履歴(323-1)
顧客との更なる接点を深めるために
2022-01-08 (2010/09/19 著)
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12631237470.html
(今回記事)
心の履歴(323-2)
同行での世子・亜子との昼食は
2010/09/19 著
2020-10-19 掲載
世子(よこ)や亜子(あこ)の車の助手席に乗って顧客を挨拶訪問する日の昼食は、彼女等の見つけた美味しい食事処でした。
世子の場合は、洋食系でした。
或る日、世子が夕張・岩見沢方面に新しいスパゲッティの店が出来たと言うので世子の運転で行きました。
そもそもこのエリアは関沢社員の担当ですから一種の越境です。
国道から離れた田んぼの中。
イタリアンレストランでした。
確かここへは二度行きました。
世子はいつもシャキシャキっと喋(しゃべ)る。
時には、お互い、無言の時が流れたり。
私はいつもうなずきながら聞いているだけ。
尚、二度目に行った時の話は、後日、記事にします。
☆
翌朝、メンテナンス部署の野崎君が言いました。
「所長と世子さんは、昨日、変な所を走っていたでしょう」
「あぁ、何処かの田舎道を走ったね」
「所長と世子さんは危ないですね」
「どうして?」
「あそこは世子さんのエリア外で、それにラブホの近くですよ」
実は、田んぼの中のイタリアンレストランから山手を見ると赤い屋根が見えていました。それがラブホテルだったのです。
「そうか! そう言えば、何でこんな場所にレストランがあるのかと不思議だったよ」
「世子さんがあの店を知っていると言うことは、彼氏と入ったことがあるからですよ」
以後、世子の管轄エリア内でしか移動しないことにしました。
次回のランチは支笏湖での予定でしたのに。
☆ ☆ ☆
他方、亜子の動けるエリアは、札幌市内、小樽・岩内や倶知安も含みますから小樽方面は気兼ね無しでした。
亜子の助手席に乗った場合も、午前中にその日の予定を終了させ、それから小樽に移動し、午後1時過ぎから昼食です。
写真は小樽市祝津 高島岬日和山灯台
「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地。
2010年3月31日に明治44年以来99年の歴史を閉じる。
三度も行ったのが、小樽港の北にある高島港。
その港の北端にあるのが、海鱗丸(かいりんまる)フィッシャーマンズハーバーのレストラン。注)2006年末に閉店した様です。
ここの二階は青い海と港が見渡せる海鮮レストラン。
暖かい日はテラスで食事。
昼でも夜でも、絶好のデートスポットでした。
☆
実は、彼女達は私と同行するのを喜びました。
理由は、昼食代の払いが私だからかも。
会社の旅費規程での私の道内宿泊費は、温泉ホテルに宿泊をしてもその半額で済みましたし、それに出張手当に、飛行機は回数券を使用していましたから、余禄充分でした。
つづく
心の履歴(324)
伝授されていく指導内容と方法
2010/09/20
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12720067977.html
『心の履歴』40代北海道編1⃣ 目次
(自) No.241 1987年1月~
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html
(画像)
夕日ケ丘レストラン善生 ※行ったのはこのレストランではないと思うのですが、よく似ています。
http://www.yuuhi-zenshou.com/
http://nikoniko7977.blog81.fc2.com/blog-entry-673.html
https://www.air-g.co.jp/bubu/16420/
支笏湖
https://www.welcome-to-chitose.jp/attractive/shikotsu.html
高島岬日和山灯台
小樽フイルムコミッション
http://www.otaru-fc.jp/
フィッシャーマンズハーバー海鮮丸入口
フィッシャーマンズハーバー海鮮丸店内
http://www.infosnow.ne.jp/kairinmaru-beer/restaurant.htm
http://beer-cruise.net/beer/970718.html
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