本記事は、2020-09-12 に掲載したものですが、今回、これに加筆し、再掲載し、北海道編の最後の記事とします。

 

(前回記事)

心の履歴(北-追4)ある別れ
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12728540775.html

 

(今回記事)

私の札幌勤務時代の1988年に雇用し、札幌を去る1991年までの3年間、部下だった雇用当時22歳の女子営業社員世子(ヨコ)(仮称)が、30年後2018年、突然、私の夢路に二度現れます。

 

それから二年後の2020年9月10日(木)の明け方、再度、現れます。この時も、昔のまゝの世子です。

 

白い部屋の中、世子と二人で並んで椅子に座ります。

それから 私は一人で部屋を出ます。

世子は私を追い抜きざま、私に手の平程の丸い物を渡します。

それは赤や青の毛糸で編まれた民芸品のような人形でした。

 

この色鮮やかな人形の意味は分かりませんが、恐らく、30年前の思い出が色鮮やかに蘇(よみがえ)るということなのでしょうか。

   ☆

 

 

   ☆

 

先ずは、2018年7月23日(月)の夢から。

 

丑三つ時を過ぎた午前3時40分の目覚めの時のこと。

私は白い階段を上がっていきます。

 

 

途中、白い布で頭からすっぽり覆われた幾人かの人たちと擦れ違います。それはまさに目や鼻の書かれていないテルテル坊主のような姿でした。

 

 

階段を上がると、そこには後ろ向きのすらりとした和装喪服の女性が立っていました。

 

 

こちら斜め横におもむろに向きを変えたその人は、紛れもなく北海道時代の世子(ヨ子)だったのです。

 

それも、顔の装いは30年前の二十四歳前後の当時のまゝで、薄化粧、すらりとした筋が通っている鼻と小顔で。

右横に背の低いタクシー運転手が立っていました。
私は直感しました。


世子はタクシーに乗っていて事故に遭遇したと。

私は「世子、な(亡)・・・・・」 と言いかけた時、覚醒しました。
恐らく世子は亡くなったものと思われます。

 

それから110日後の、11月4日(日)、ふと目覚めの時の午前0時40分のこと。映像が現れました。

 

私は事務所で電話帳を開き、電話番号を転記していました。

遅くなったのでそろそろ帰ろうかと窓を閉め、車のキーを確認。

処が、世子の机の上には、何故か赤い腕時計や車のキー等が依然と置かれています。

どうしたんだろうと思いながら事務所を出ようとし、落ちていた白いタオルを拾った時、一人の社員、野崎君が帰ってきました。

「世子を知らないか?」と問うと「車の中で寝ている。」と言います。
その車の中を覗くと、確かに車の中の世子は後部座席で横になり眠っているように見えます。

彼は 「子供を堕ろしたばかりなのに大丈夫かな?」と言います。
私は 「大丈夫だろう。」と答えます。

ここで覚醒しました。

やはり世子は、7月の夢の通り、タクシーに乗り、後部座席で亡くなったものと思われます。


   ☆

 

そしてそれから数日後、世子が再度現れます。

場所は、旅館の20畳程の宴会場です。

座敷テーブルの幾つかを縦に並べたいつもの形。

そこでは社員20名程が座っての夕食です。

一泊二日の社員研修でのいつもの夕食パターンです。

 

(画像)着物のYAMATO

 

その一番手前の右の席に、世子が元気な姿で座っていました。紺の絣(かすり)の着物姿で。

 

私の北海道時代、最も力を入れたのが一泊二日の社員研修でした。何故社員に戦略教育や問題解決手法、自己実現の教育をしたかと言うと、部下の販売目標=ノルマが達成が出来ないのは、上司にである私の部下教育と指導にあると思うからです。

 

持論として、部下にとり、販売目標=ノルマとは、自己実現のプロセスに過ぎないと言うことです。

 

分かりやすい例で言えば、目標とは、ゲームに夢中な少年にとり、任天堂やソニーのゲームでのゴールへの幾つも待ち構えるステージの中の一つに過ぎないのです。

 

少年はあの手この手を使い攻略を図る。これが戦略です。

 

無論、どうしても簡単にクリアーできない段階が次から次へと現れる。ここに問題解決手法が必要となります。

 

そして低次元の障害でも、先ずは一つをクリアしたなら、自らの力でクリアした喜びを味わうことができ、次のステップにも果敢に挑戦していく。これがゲームの面白さの根源です。

 

少年にとり、何度失敗しようが、くじけることはありません。

親から叱られてもゲームを止めません。

ゴールまでは肉体的精神的に疲労困憊(こんぱい)であろうが、眼を真っ赤にしようが、それを厭(いと)わず。

 

つまり、仕事(販売目標=ノルマ)をゲーム化することで、仕事を戦略的に、意欲的に、面白くとらまえることが出来るのです。


故に、部下が目標を達成できなかったからといって叱ることはありません。できなかったのは、達成への戦略シナリオに問題があったか、もしくは、自分が打ち立てた戦略に基づく活動量の消化不足です。

 

叱るのは戦略通りの活動を何故せず、或は、しなかったのか、達成に必要な活動量を何故にできなかったのかであり、販売目標額に未達だからと言って叱ることはありません、

 

他方、部下にとり仕事をゲームとする段階まで到達させることが私の責務であり、もしも部下が到達できず、然も目標をも達成できないならば、それは私の教育や指導に何かが欠けていることを意味するのです。

 

 

ここでの優秀な生徒が世子。

ひょっとして、世子は、あの世で社員研修をしているのかもしれません。                

 

          40代北海道篇おわり

 

※次回は『心の履歴:30代編』です。

   ★

 

心の履歴(287) 
二人目のスーパーレディとの遭遇
2021-12-18 (2010/07/13 著)

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12625715520.html

 

(画像)

白い階段
https://blog.ameba.jp/ucs/analysis/analysis.do?unit=today

てるてる坊主画像
https://tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.html
和装喪服画像
http://www.haregino-marusho.co.jp/products/list.php?category_id=14

走馬灯(アリス~走馬燈~)

https://www.youtube.com/watch?v=6u4Q2W57fYQ
 

『心の履歴』40代北海道編 目次(1)
(自) No.241 1987年1月
(至) No.323-2

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12712060251.html

『心の履歴』40代北海道編 目次(2)
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12720330612.html
(自) No.324~(北-追5)