マスコミが報道しない歴史

ソ連(現ロシア)の原爆やロケット・戦車などの軍事技術を含む大半の技術能力と製造技術は、米国が与えたもの。

 

(前段記事)

日本危機(13) 歴史を学ぶ意味
2020-08-30 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12621353864.html

その具体例としては、

チェリノブイリ原発事故で、真っ先に駆けつけたのはアメリカ。
この事は、当時のソ連に原発の技術者がいなかったことを意味。


イコール、原発の設計並びに建造はアメリカ企業がしたことを意味している。

それを証明した人

アントニー・C・サットン(Antony Cyril Sutton、1925年2月14日 - 2002年6月17日)は、イギリス生まれのアメリカの経済学者、歴史学者、作家。

彼はソ連発足初期から欧米諸国もその発展に深く関与したことを証明した。

またサットンはソ連が持つ技術的能力や製造能力も多数の米企業の支援と、米国民が納める税から融資を受けたことも指摘した。

※サットンの言う上記のことは、米国公文書などの調査により解明されたもの。尚、その全原文(英字)は、下記URLでダウンロードできる。

”Western Technology and Soviet Economi ”
https://archive.org/stream/Sutton--Western-Technology-1917-1930/Sutton--WesternTechnologyAndSovietEconomicDevelopment1917To1930#page/n0/mode/2up

例えば、米国の原爆製造技術と原料の重水やアルミニウム・チューブなどは、米国が日本に原爆投下した翌年の1946年に早くもソ連に与えている。

ロシア革命にロスチャイルドなどの国際金融資本家が金を出した。(参考)他方、同じ国際金融資本家たちはヒトラーにも資金援助をした。


The first Soviet Union 5 year plans were written in the United States. 
最初のソビエト連邦5年計画は、アメリカ合衆国で書かれた。

Lenin and Trotsky were financed wholly by Rothschild and Rockefeller interests. The United States built the Soviet Union to a very substantial degree. 

レーニンとトロツキーは、ロスチャイルドとロックフェラーの収益金により、全て融資された。

 

アメリカ合衆国は、相当に力を入れてソビエト連邦を建設した。

帝政ロシアの崩壊からボルシェビキ革命などの歴史を記述するには長文になり過ぎますので割愛しますが、簡単にはしょると下記のようになります。

当時、レーニンとトロッキーは亡命していてロシアにいなかったのです。そして二人共ロックフェラー傘下の組織から資金援助を受けてロシア革命の準備をします。

 



そして、彼ら二人はロックフェラーなどの国際金融資本家たちによりロシアに送り込まれます。無論、国際金融資本家たちは、ボルシュビキに大量の資金援助をします。

更にロックフェラーは、1917年以降も、現在に至るまでソビエト体制(現在はロシア体制)と中国共産党体制を強力に支援してきております。

このユダヤであるロックフェラーが資金援助をしてきたことの一つの証(あかし)として、ー

 

ー ソ連の首脳部や政府要員の過半数は、ソ連人口の約10%前後にも拘らず、ユダヤ人であり、且つ、その大半は、米国から送り込まれたユダヤ人なのです。

Wall Street and the Bolshevik Revolution
ウォール街とボルシェビキ革命 アントニーC.サットン

Why did the 1917 American Red Cross Mission to Russia include more financiers than medical doctors? Rather than caring for the victims of war and revolution, its members seemed more intent on negotiating contracts with the Kerensky government, and subsequently the Bolshevik regime. 

ロシアへの1917年アメリカ赤十字の派遣では、何故医師よりも多くの金融業者が含まれていたのですか? 

そのメンバーは、戦争と革命の犠牲者のケアをするよりも、むしろケレンスキー政府、及びその後のボルシェビキ政権と、より真剣に契約を協議するようでした。


In a courageous investigation, Antony Sutton establishes tangible historical links between US capitalists and Russian communists. 

アントニー・サットンの勇敢な調査によると、米国の資本家とロシアの共産主義者との間で実態的歴史的な連結を確立します。
(以下省略)
(英字全文は下記URL)

http://www.voltairenet.org/IMG/pdf/Sutton_Wall_Street_and_the_bolshevik_revolution-5.pdf

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In 1934, according to published statistics, 38.5 percent of those holding the most senior posts in the Soviet security apparatuses were of Jewish origin.

 1934年に、公開された統計によると、ソ連の治安機関の中で最も上級のポストを保持している人の38.5パーセントは、祖先がユダヤ人でした。

Douglas Reed writes: “The Central Committee of the Bolshevik Party, which wielded the supreme power, contained 3 Russians (including Lenin

ダグラスリードは書いている:「最高権力を振るったボルシェビキ党の中央委員会は、レーニンを含む3人のロシア人です。(注)レーニンの祖母はユダヤ人。

The next body in importance, the Central Committee of the Executive Commission (or secret police) comprised 42 Jews and 19 Russians, Letts, Georgians and others.

重要性の次の組織、中央執行委員会の委員(または秘密警察)は、42人のユダヤ人(69%)と19人のロシア人、レッツ、グルジアその他の人で構成されでいました。

The Council of People's Commissars consisted of 17 Jews and five others.
The Moscow Che-ka (secret police) was formed of 23 Jews and 13 others


ソビエト連邦人民委員会議は17人(77%)のユダヤ人と他の5人で構成されていました。

 

モスクワチェ-KA(秘密警察)は23人(64%)のユダヤ人と他の人民13人から構成されていました。

Among the names of 556 high officials of the Bolshevik state officially published in 1918-1919 were 458 Jews and 108 others.

1918-1919年に公式に発表されるボルシェビキ国の高級官吏556の名簿の内訳は、458人(82%)のユダヤ人と108人のユダヤ人以外の人でした。

Among the central committees of small, supposedly 'Socialist' or other non-Communist parties… were 55 Jews and 6 others.”

おそらく『社会主義』、または他の非共産党員の党の中央小委員会では… 55人(90%)のユダヤ人と6人のユダヤ人以外の構成でした。

According to Donald Rayfield, in 1922, the Jews “reached their maximum representation in the party (not that they formed a coherent group) when, at 15 per cent, they were second only to ethnic Russians with 65 per cent.” 

1922年に、ドナルドRayfieldによると、ユダヤ人は人口の15パーセントにすぎないのに、65パーセントのロシア民族に次いで二番目ではあるものゝ、ユダヤ人は「政治集団で最大の議員団に達しました 。(彼らが首尾一貫したグループをつくったというわけではありませんが) 

The London Times correspondent in Russia, Robert Wilton, reported: ”Taken according to numbers of population, the Jews represented one in ten;
among the commissars that rule Bolshevik Russia they are nine in ten
if anything the proportion of Jews is still greater.”


ロシア、ロバート・ウィルトン、ロンドン・タイムズの特派員報告:

「人口の数に応じて考えると、ユダヤ人は国民10人に対し1人を表します。


ボルシェビキ・ロシアを統治する人民委員の構成でのユダヤ人は10人中9人です。


どちらかといえばユダヤ人の割合は依然として大きいです。」

On June 9, 1919 Captain Montgomery Shuyler of the American Expeditionary Forces telegrammed from Vladivostok on the makeup of the presiding Soviet government: 
“… (T)here were 384 'commissars' including 2 negroes, 13 Russians, 15 Chinamen, 22 Armenians, and more than 300 Jews. 
Of the latter number, 264 had come to Russia from the United States since the downfall of the Imperial Government.” 


1919年6月9日、アメリカ遠征軍のキャプテンモンゴメリーシュイレァは、統治しているソ連政府の構造についてウラジオストックから電報を打ちました。

… 「(T)ここには、384人の『人民委員』がいるが、2人の黒人、13人のロシア国民、15人の中国人、22人のアルメニア人と、300人(78%)以上のユダヤ人で構成されています。

後の数(300人以上のユダヤ人)の内264人(80%強)はロシア帝国の没落以降、アメリカ合衆国からロシアに来ました。」 


So complete was the Jewish domination of Russia as a result of the revolution that it is a misnomer to speak about the “Russian” revolution; 
it should more accurately be called the Russian-Jewish revolution.


それ故に、ロシアの革命について『ロシア革命』と言うのは誤った名称です。

 

その革命の結果として、ロシアのユダヤ人による支配が完了したのです。

そのことは、より正確には『ロシア系ユダヤ人革命』と呼ばれるべきなのです。

 

                つづく

※この記事で、今の世界、特に今秋、民主党バイデン(Joe Biden)が大統領になった場合のアメリカが見えてくるでしょう。