GHQ(連合国軍総司令部 /SCAP) 幕僚部の部局の一つである『CIE』(民間情報教育局 Civil Information and Education Section) -)所属の日系人とのインタビューによると、共産主義者の野坂参三が毎日CIEに来ていたとのこと。
野坂 参三(のさか さんぞう)とは、ウィキペディア
1892年〈明治25年〉3月30日 - 1993年〈平成5年〉11月14日)は、日本の政治家。衆議院議員3期、参議院議員4期。コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記と議長を経て、同党名誉議長を務めた。かつてソ連のスパイであったことが最晩年に発覚し、日本共産党から除名処分を受けた。
その下で創られた日教組。
その日教組から学んだ私達の、そして今の児童の自虐史観。
私達は本当の歴史を子供や孫に伝える使命があるのではないでしょうか。
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(先日の記事)
『日本近代史(3) 差別なき日韓併合時代と満州国』
2020-07-21(2015/3/24(火) )
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12612324704.html
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『日本の近代史(1) 朝鮮統治時代の真実の証言』
2019-09-13
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12524758647.html
日本に統治されて良かった
もし、韓国が日本でなくロシアの属国になっていたら。
今回は、この記事の続編です。
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韓国の老人が語る日本統治の真実
産経新聞
12月2日付朝刊 読者投稿欄より(ネット上のソースなし)
"併合時代"の話を聞き感動 会社経営 辻本貴一 63
韓国・ソウルに月に二回ほど出張します。日本のメディアの過敏な報道のため身構えて韓国に出張しますが、韓国人と接するたびに、みなさん優しくて親切で当初のイメージとあまりにもかけ離れているのにびっくりしてしまいます。
ある韓国人の自宅へ食事に招かれたとき、その人のお母さん(75歳から80歳ぐらい)から韓国併合時代の話を聞いて、目からウロコが落ちました。
「日本の統治時代は生活が安定し、お互い親戚同士のような付き合いをしていた」
「特に学校の日本人先生には本当によくしていただいた。 先生が日本に帰るとき親も泣いて見送った」
「貧しくて授業料が払えない生徒からはお金を取らなかった」
「子供を学校に行かさない親には先生が説得に行った」
「誰もが教育を受けられるように学校をいっぱいつくった」
「学校では日本語を強制するのではなく、むしろ積極的にハングルを教わった」
お母さんの話を聞いて、感動で涙が止まりませんでした。戦後、韓国政府のとった反日教育と、それに共同歩調をとった日本の一部の人たちの罪は本当に大きいと思いました。
(ソース)
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50248978.html
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『僕が親日になった理由』
金智羽(キム・ジウ)
1967年韓国釜山生まれ。韓国東国大学(ソウル)卒業。卒業後、オーストラリアにて2年間留学.。その後、日本(東京)での2年間の留学生活を終え、一時帰国、再度約7年間日本在住。年数回韓国と日本を行き来し、現在韓国釜山在住。
●日本統治時代を体験している父親から、「生徒に体罰を与えるのは朝鮮人の先生であり、日本人の先生は体罰をしないどころか、むしろ止める側だった」と聞かされた。
(金智羽氏のその他の著書)
『韓国男性に恋してはいけない36の理由』 2005年
成甲書房。
『なぜ日本人は韓国人にこんなになめられ続けるのか?』 2015年、夏目書房新社。
『韓国人による自傷論:亡命覚悟で暴く韓国男性の真実』 (鹿砦社ライブラリー) 新書 – 2018/3/23
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醜い韓国人 歴史検証編―これは本当のことではないのか
朴 泰赫《パク/テヒョク》/加瀬 英明【著】
「日帝が両班階級による横暴を取り締まったので、民衆の生活は楽になりました。
民衆の側から見れば、李朝時代よりも日本統治時代の方が、生活があらゆる面でよくなったから、対日感情は決して悪いものではなかったんです。
だから、独立運動が広範な支持を受けることがなかった」とは、ある韓国人の証言。
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正論2002/2月号
呉 善花(お・そんふぁ)拓殖大学教授
1956年、韓国・済州島生まれ。83年来日
●特に教養もなく素朴な田舎人として生きてきた私の母たちが、なんのてらいもなく感じたままの「日本および日本人へのよき印象」を語るのはなぜか。
そこには何ら植民地コンプレックスはなく、ただ自分たちの体験を通しての率直な日本人観・日本観があるだけだからなのである。
●統治し善政を敷く外国人支配下の生活よりも、たとえ悪政の限りを尽くされたとしても同国人支配下の生活の方がいい、などという考え方は庶民のものではあり得ない。
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諸君!2003/7月号(呉善花)
●日本は統治後しばらくして、初期の武断統治的な姿勢を根本的に改めた。そして事実、生活の蹂躙(じゅうりん)に至るような統治をしないことを一貫させ、法治主義に徹していった。
過酷な統治を布いたのは日本ではなく、日本統治以前の李朝政権であり、戦後の金日成政権や李承晩政権だった。
日本統治はそれらとは凡(およ)そ比較にならない善政だったし、人々はそれらの時代とは比較にならない平和で豊かな一時代を過ごした。
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『捏造された日本史』
日中100年抗争の謎と真実
黄文雄(こう ぶんゆう)
●朝鮮総督府の武断政治は、大韓帝国の皇帝や両班(官吏)による政治ほど『武断』ではなく、憲兵警察との二本立ての制度がフランスと同じで、主な目的は朝鮮人警察に対する汚職防止と治安維持だった。
併合初期の治安維持には大きな貢献をしている。
たとえば1908年10月から翌年の初年度に発生した ー
ー 傷害事件は780回、
延べ34,400人にのぼったが、
ー 5年後には5回、
延べ45人にまで減少したのである。
つづく
(参考)
日韓併合前の李氏朝鮮
韓国(13) 朝鮮人は人種の滓(カス):バード旅行記
2020-07-09
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12609629770.html
韓国(14) ある韓国人の日本に帰化する心とは
2020-07-19
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12610292315.html
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