「ほっこり京都人」、今まで、誰も書かなかった京都ですからね。
ショックの方、ごめんなさい。
でも、今度、京都に来られましたら、鴨川のせせらぎに
感傷的になるかもしれません。
祇園白川にひらりと舞い散る桜の花びらに、ものゝあわれを感じるでしょう。
今まで観た京都とは景色は同じでも、全く違った京都が現れるのです。
さて、改めて何処から話をすればいゝのか迷います。
以下は昭和40年代前半(1965年から1970年)のことです。
《誇り高き京都の人》
先ずは、不思議に思った事から。
どういうわけか、当時21~23歳の私、京都では年配の人に好かれました。
ひょっとしたきっかけで、京都東山の中腹の農家のご主人にお会いしました。
日時を指定し、自宅に遊びに来いと言うのです。
その時の雰囲気からお愛想言葉でないと判断し、坂を上って行きました。
そこは、京都市街と言うよりも、夕陽を浴びる京都の街を見下ろせる絶景の場所。
私が遠慮して座敷に上らないものですから縁側でお茶。
ご主人は古文書を出して来ました。
そこには家系図が延々と。
平安時代からでした。
いつの間にかお茶を持ってきたお嬢さんが同席しました。
背の小さな、そうですね、150cmに満たない人。
女子短大の一年生。
後から考えると、一種のお見合いだったのです。
こういう風なケースで、他のお嬢さんとのお見合いは、その後、続いて二度ありました。
《血族同士結婚だった旧家》
その頃、左京区でリタイアされた看護婦さんの組織のトップの方(70歳位)と何故か知り合いました。
元助産婦さんが大半で、旧家の老人の介護をするのが主のようでした。
お見合いを盛んに勧めてくるのです。
お相手は、洛中の旧家のお嬢さん達でした。
着物姿のお見合い写真を、呼ばれる度、何枚も見せられて。
京都の旧家は、結婚相手にも伝統ある血筋を重んじます。
歴代、格式ある旧家姻戚同士の婚姻の繰り返しでした。
皇室の実態はさて置いて、皇太子の妃に民間人である美智子さんが選ばれた当時の巷への弁明は、「皇室は血族結婚の繰り返しでもう血がどろどろ故」と同じ理由なのです。
もう血がどろどろとの事です。
極論すれば、数十人しかいない皇族とか旧家とかいう村社会で、何世代にもわたり、それは単なるいとこ同士ではなく、血が血を重ねて、寧ろ、兄妹が結婚するようなものだったのですね。
他の血を入れなければ、一族が血で滅びてしまう!
東北出の私は、三男でもありますし、婿養子として白羽の矢だったのでしょう。
《京都の旧家の町屋のこと》
東映のスタントマンをしていた西川君(仮称)を、月に二度、夕方四時になりましたら大きな黒塗りの立派な車が迎えにくるのです。
どこに行くのか聞いても、教えてくれません。
秘密なのだそうです。
黒塗りの車では目立ちすぎ、我等に再々追及されるからでしょうか。そのうち、黒塗りの車のお迎えではなく、タクシーを拾って行き出しました。
彼は、秘密にしておくのが苦しくなったのでしょう。
或る日、一緒に我等をタクシーに乗せ、四条通りからちょっと入った所で我等のみは下車。
彼は、そのまゝ乗り、数軒向こうの大きな町屋で下車。
その町屋に入って行きました。
我等は、知らん顔をしてその町屋を通りから垣間見ました。
奥がかなり深そうな旧商家の町屋でした。
案の定、奥は相当深いとの事。
彼は、その一番奥の部屋へ。
実は、彼は、そこの町屋の20歳代後半のお嬢さんと夕食を共にするためでした。
ここの旦那さんは、かっ幅のいい人で、奥さんは京美人との事。
そしてこのお二人さんは縁戚同士の結婚。
旦那さんが涙を流して言う不憫(ふびん)なお嬢さんは、生まれてから一度も外に出た事が無いそうです。
これ以上の彼の任務を、この紙面でお話しすることが出来ませんが、皆様の想像したことは恐らく悉く当たっているでしょう。
あのことも、このことも、そのことも。
京都の町屋には、他人に入ってもらっては困る秘密があったのです。
2008/03/14 著
つづく
ほっこり京都人:目次
2020-03-23
https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12584192022.html
(町屋画像)
尚、この町屋は、本記事とは無関係です。
http://261814.seesaa.net/article/443933244.html
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