これ、アメリカ人の友だちと討論した内容。

その人によると、鬼滅の刃のとあるエピソードで見たシーンに不快感を覚えたそう。





「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。」





それは日本の悪しき文化・慣習だと言う。

彼は皆平等に産まれるという。

強い弱いと差をつけるのは身勝手な定義であり、差別だと。




私は言いました。

皆んな同じに産まれるなら個性も違いもない。障がいもなければ身体的特徴の違いもない。そういうこと?



彼は、強い弱いの定義は何?



私は続けました。

肉体的、精神的の強さを指すことが多いよね。



彼はこう言いました。

生まれた時にそれは分かる?どうやって分かる?



私は反論を続けました。

もちろん、見た目だけでは判断できないよ。でもDNAは人それぞれ違う。産まれた時にすぐ分かる病気や障がいもある。基礎疾患だってある。それはどうしてもこの社会で生きていくには弱者になる。健康に産まれた者はその大変さを感じてる人に助けようとする努力は差別なの?


体は健康でも、心は弱いかもしれない。でも逆に、基礎疾患や障がい、難病がありながら強い精神力を持つ人もいる。そういう人たちが心の弱い人たちに助けようとする努力は差別なの?




彼はアメリカで一流の教育を受けたエリートだ。

そのプライドが傷ついたのか、自分は博士号を持っている。あなたは持ってないじゃないか。



と吐き台詞。



これって

議論なの?討論なの?





アメリカの分断が進んでいく理由…。

余計に理解が深まりました。