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4)『歴史は勝者が作る』今も生きている歴史の中の“ウソ”⑲

 

 第二に、戦争末期の1945年8月6日に広島に、そして、同年8月9日に長崎に投下された原爆についてです。広島では十一万以上が死に、長崎では七万以上の人が死にました。そのほとんどが民間人でした。老若男女問わず、また、戦闘員と非戦闘員の区別もなく、無差別に約20万人もの大量の人々を一瞬にして殺してしまったのです。そして、さらにその後も原爆の放射能の後遺症による生き地獄に多くの人々が苦しみました。

 

 この原爆の投下について、読者の皆さんは、「戦争を早く終結させて米国人と日本人の犠牲者を少なくするために原爆を用いた」というアメリカ側の説明を信じますか?

 

 結論を言えば、このアメリカ側の説明は“真実”ではありません。昭和20年3月10日の東京大空襲のときから、アメリカの軍部は、日本に既に戦争遂行能力のないことを明白に認識していたと言われています。

 

 実際、アイゼンハワー連合軍欧州最高司令官は、「原爆投下は全く不必要だった。もはやアメリカ兵の生命を救う手段としては必須ではなくなった。」と明白に述べており、その後も、第三艦隊司令官ウィリアム・ハルゼー大将は、「史上初の原爆投下は、全く必要のない実験だった・・・そもそもあれを落とすこと自体が間違いだった。」と述べていたのです。さらに、原爆投下当時、トルーマン大統領の首席補佐官だったウィリアム・リーヒ海軍大将は、1950年に沈黙を破り、「私の意見では、広島と長崎に対してこの残忍な兵器を使用したことは、対日戦争で何の重要な助けにもならなかった。日本は既に打ちのめされており、降伏寸前だった。」と述べています。(「原爆投下決断の内幕」上巻・下巻)

 

 また、原爆を開発した科学者たちは、当初その原爆は、広島の呉などの軍港の、それも沖合に投下すると説明を受けていました。ところが、その後米国軍部は、原爆の威力を測定するために都市部に、しかも、それまで空襲を受けていない都市部に投下することに変更したことが、米国側の資料から明らかになっています。つまり、原爆の目的は、その実際の効果を測定するための『人体実験』だったのです。だからこそ、広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型と種類の異なる原爆を投下し、終戦直後に、原爆の効果を詳細に調査するために、専門家チームの調査団が広島と長崎に来て、調査を実施しいるのです。

 

 ただ、原爆の投下には、恐らくもう一つの隠された目的があったのではないかと考えられています。それは、急速に軍事大国化しつつあったソ連に対して、アメリカが戦後の世界の覇権を握るために、完成させた原爆を日本に投下してその威力を見せることによって、アメリカの原爆開発技術を誇示し、ソ連を牽制するためであったと考えられるのです。もっとも、アメリカは、大戦中、ナチス・ドイツを打ち負かすために、『敵の敵は味方』とばかりに、ソ連に武器製造ノウハウや軍需工場まで提供してきました。ところが、その結果、想定外にも、ソ連が軍事大国化し、戦後の世界において、アメリカの脅威となることが明らかになってきていたからです。自ら育てた軍事モンスターに驚き、脅威を感じて、示威行動(間接的な先制攻撃)を採ったものと考えられるのです。

 

 この問題の最後に考えてみたいのは、次の点です。非戦闘員である民間人に対してかくも残虐な行為をアメリカがなぜ敢行できたのか、と考えてみたときに、浮かび上がってくるのは、次のような考えです。例えば、アメリカはドイツに対して原爆を投下する機会があったとすれば、果たして投下したであろうかと考えてみれば、恐らく投下しなかったのではないかと思われます。

 

 では、日本とドイツの差は何か?それは、人種差別です。病死したルーズベルト大統領の後を継いで、原爆投下の命令を出したトルーマン大統領と実際に原爆投下を推進した国務長官ジェームズ・F・バーンズは、いずれも人種差別主義者であったことが知られています。キリスト教の神が創った人間は、”白人”であり、それ以外の有色人種などは動物と同じ扱いでよいとする人種差別の考えがあったからこそ、このような残虐な行為を平然と成し得たものと思われるのです。

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