”経営の神様”松下幸之助の経営哲学-その現代の諸問題への応用
  • 07Mar
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!64

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!64 著者が上記の原稿を書いた後、昨年11月13日にパナソニックの社長が津賀一宏氏から楠見雄規氏に交代する旨の発表がありました。これは、通例よりも約4カ月も早い社長交代人事でした。楠見次期社長は、2021年4月1日付けで、CEOに就任し、6月24日付けで社長となり、津賀一宏社長は、4月1日付けでCEOを退任、6月に取締役会長に就任するということです。また、パナソニックは、2022年4月から持株会社制へと移行し、社名をパナソニックホールディングスに変更することも発表されました。 正式に社長交代する2021年6月まで半年以上も任期を残したまま発表する異例の前倒しとなった理由として、津賀氏は会見で「新たな経営体制に移行するため、さまざまなことを決める必要がある」と説明しました。『引き継ぎ期間を長くすることによって、35以上もの事業を抱えるパナソニックの経営の難しさや進むべき方向性を確実に新社長の楠見氏に伝え、共に議論する狙いがある』との説明があります。(2020年11月16日付け日経ビジネスWeb記事)しかし、これまで述べてきたことから明らかな通り、『進むべき方向性』は、津賀氏から引き継ぐべきではありません。もしそれが正しいものであるならば、津賀社長の8年間に成就していたはずですが、結果は“失敗”であったことは先に見た通りです。それ故、『進むべき方向性』は、新社長となる楠見氏自身が自ら“とらわれない素直な心”になって、“自分の利害や感情”などの“私心”から離れたところで『社会が真にパナソニックに求めるもの』を感じ取るべきものです。 楠見雄規新社長は、自身の経験を踏まえ、『私が学んだことは、現場の人が事業を動かしていることであり、それは深く理解したつもりである。現場がやる気を出し、改善することが、競争力につながる。』と述べており、また、津賀社長による楠見新社長の人物評は、『彼の方が現場に密着するねちっこさがある』とのことです。 また、楠見氏は、『新しい会社の形は、創業者のころに似た形である。だが、私の世代にとっては、新しいチャレンジになる。創業者がやってきたことを勉強しなおす。』とも述べています。これは津賀社長を含めて歴代社長が就任直後に必ずやってきたことですが、これが、『創業者のやってきたこと』の表面的な勉強に止まらず、その背後にあった創業者松下幸之助の“心の持ち方”にまで迫り、それらの本当の意義を正しく理解した上で、自分自身の腹に落とし、“強固な信念”としてもらいたいと願うばかりです。そして、他の経営陣に対しても、同じことを要求すべきでしょう。 楠見次期社長は、一方で、津賀社長と同じR&D出身の技術者で『情より理を重んじる理論派』とされ、『その合理性と頭の良さ』という点で、“徹底した合理主義者”の津賀社長に似ている面もあるようです。次の言葉からは、松下幸之助の経営理念を理解した上で、合理的な観点からも考えているようにも思われます。曰く、「パナソニックには、低収益の事業がある。創業者の理念から言うと、社会に貢献した結果で、利益を得ることができる。利益が低いということは、社会貢献の度合いが少なくなっていることであり、競合他社に比べて、貢献度合やスピードなどが後手に回っていたり、負けていることだといえる。その観点から、競争力を徹底的に強化することが必要である。利益を伴った成長をするには、他社の劣後にまわらない要素があったり、他社が追いつけない要素を1つか、2つ持つ必要がある。他社が頑張っても追いつけない、というものがある事業がコアになる」 ただ、これが松下幸之助の経営理念を一応は理解しながらも、結局“建前”に止まり、自身の本音(信念)である“徹底した合理主義”に引き摺られて、『物心共に豊かな人間社会の実現』という最終目的を見失って、“人間大事の経営”を壊してしまった津賀社長と“同じ過ち”をすることのないよう祈るばかりです。 楠見新社長には“松下幸之助の経営理念”の経営陣及び全社での復活とそれを踏まえたパナソニックの真の再生発展を期待しつつ、筆を置くこととします。最後までお読みいただき有難うございました。(2021年3月7日)

  • 06Mar
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!63

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!63 津賀社長は、ある機会に「ビジョンがないわけではない。このままではヤバいということもわかっている。ただ、具体的に何を作ればいいのかはまだ決まっていない。」と述べています。“ないわけではないビジョン”とは一体何でしょうか?残念ながら、それは“社会が真にパナソニックに求めるもの”(大戦略)とは言えないでしょう。もしそうなら、どのような製品・サービスによって人々が心から喜んでいるのか、その具体的なイメージがくっきりと見えるはずです。少なくとも『具体的に何を作ればいいのかはまだ決まっていない。』ということにはなりません。なぜそうなるかと言えば、それは、“自社の立場”に立って、頭で理屈で考えているからぼんやりしたビジョンになるのです。それで本当にお客様が心から喜ぶのかどうか、自信が持てないのです。真にお客様の立場に立って考える、否、むしろお客様に成り切って感じ取ることができていません。 昨年年2月10日の日経新聞朝刊の記事の中で、津賀社長は、「現在の危機感はもう200%、深海の深さだ。今のままでは次の100年どころか10年も持たない。」と述べています。先にも述べた通り、元々の長年の安定した経営の歴史と津賀社長の止血により普通の会社に戻ったことによって、津賀社長の感じるほどの危機感が全社で共有されていません。それ故、改革に向けたエネルギーが生まれてこないのです。 津賀社長としては、できるだけ早い時期に引き継ぎたいが、「次の社長が『困ったな、弱ったな』という形でバトンタッチはしたくない」と話していると言います。ここにも、津賀社長自身の『経営者として有終の美を飾りたい』との“見栄”あるいは“自分の利益”が垣間見えるのです。パナソニックにとって何が最もよいのかを客観的に考えてみることが必要でしょう。 既にパナソニックの慣行とされている社長の任期の6年を過ぎ、さらに2年の『特別延長戦』(本人談)を加えた8年間もの間、津賀一宏氏は、社長の座に座り、会社の方向を定めて、組織を決め全社の事業活動を行うほぼすべての権限を与えられながら、パナソニックを復活発展させることができなかったのです。彼の経営は失敗したと言わざるを得ません。 しかも、その失敗の原因が自分にあること、特に自分自身の“心の持ち方”にあるということにも津賀社長は気づいていないのです。 松下幸之助は、『人生も仕事も心の持ち方次第だ』と喝破しましたが、それは“心の持ち方”というものが、その人の物の考え方や物の見方を規定し、それらに従って、人間は物を考え、行動するものだからです。つまり、“心の持ち方”こそが、人間の考えと行動の“源泉”となるもので、良い“心の持ち方”をしていれば、良い考えと行動が自然と生み出されるし、悪い“心の持ち方”をしていれば、悪い考えと行動が自然と生み出されるというわけです。そして、悪い“心の持ち方”の典型例が、自分の利害や感情などの私心を中心に置き、それにとらわれることでした。この場合、人間は、”私心”を軸として、”自分の見たいものを見たいように見て、決めつける”ため、視野狭窄となって、肝心のものが見えなくなったり、自分に都合のいいように歪めて見えてしまうからです。それ故、“心の持ち方”を最も大切なものとみなし、それが人生や仕事の成否を左右すると考えたのです。 自身の経営の経験から、“事業の経営”についての良い“心の持ち方”を集大成したものが、『松下幸之助の経営理念』でした。松下幸之助は、この点『私は経営というものは、このような基本の考えに立って行うならば、必ず成功するものだと体験的に感じているのです。』(「実践経営哲学」“まえがき”)と述べています。 津賀社長は、『松下幸之助の経営理念』を一応理解していましたが、先に述べた通り、それは知識のレベルに止まっており、自身の“信念”には至っていなかったのです。自身の信念は別のところにありました。それは、“人間をモノやコストとみなす人間不在の徹底した合理主義”でした。それ故、口では松下幸之助の経営理念を語りながら、その採る施策は自分の“信念”に基づくもの、リストラや賃金カットであり、“儲かる仕組み”作りでした。 方針や施策の過ちならば、それを正すことで軌道修正をすることができるでしょう。しかし、それらを生み出す“源泉”である“心の持ち方”自体に欠落や歪みがある以上、軌道修正をすることは不可能です。このような状態で、社長の地位に居座り続けることは、傷口を広げる一方とならざるをえません。 さらに言えば、彼が社長の座に拘泥する間、新たに社長となる人の時間を潰してしまい、新社長の下でのパナソニックの再建を遅らせ、その打つ手の効果をも減じさせてしまうという重大な弊害をも生み出すのです。 事ここに至っては、津賀社長は、リーダーとして潔く“辞任”という形で経営の責任をとるべきであり、しかも、次期社長によるパナソニック改革への着手を遅らせないよう、一刻も早く社長交代を実施するべきでしょう。

  • 05Mar
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!62

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!62 『君は、2020年3月期の減収減益の見通しについて、“不本意な数字の8割は米中貿易摩擦など外部要因にある”と言うていたが、うまくいかないときに、経営者は、その原因を環境や他人のせいにしてはいかん。そう考えると、打つ手がないこととなるし、それ以降も外部要因の影響に翻弄されることとなるからや。経営者たる者、常に、うまくいかない原因は自社に、そして、自分自身にあると考えないかん。また、初めから“失敗の原因はわれにあり”との覚悟を持って事にあたらないかん。そうすれば、全く違った対応となるやろう。』 『パナソニックの社長を引き受けた以上、君がパナソニック全社について経営責任を負うのが当然や。白物家電などの事業は、不得意分野やから得意な部下に任せるのはいいとしても、その分野が安定しているからと勝手に決めつけて、任せっ放しにしてはいかんよ。“任せて任さず”、常にその分野が上手く行っているかどうかということには気を配っておくことが必要や。それで、何か問題を見つけたら、直ぐに手を打つことや。ところが、君は、多くの分野を任せっ放しにしておいて、今頃になって“モグラ叩き”に忙殺されているようやが、それでは経営者の責任を全うできんよ。』 『社長には、社員みんなの注目が集まっているんや。言うてることとやってることが違とったら社員はついてこんで。君自身が社員たちをどのように思っているかという心根や君が実際に採っている行動から、君の本音が“言動のひびき”を通じて社員たちに伝わるもんや。そのことを一刻も忘れてはいかん。』 『“経営”を単なる金儲けとか、合理的な経営という観点だけから見てはいかん。君はわが社の伝統の“人間大事の経営”を破壊してしまったんや。君の経営には、人間の要素がないか、あったとしても、薄い。しかし、経営というものは、“人間が相寄って人間の幸せのために行う活動”や。そして、お客様も人間やし、社員たちも人間や。そやから、君は、“人生”とは、“人間”とは何なのかというところ(人間観)から見直す必要があるな。』 『2年に亘って巨額の赤字を出すという経営の危機にありながら、全社に“危機感”がないのは、なぜか。それは長年の安定経営ということもあるが、君がまずは“止血”して“普通の会社”になることを優先したことも原因の一つになっていると思う。普通の会社になったことで、当初の危機感も失われ、現状に安んずる傾向を強めてしまったのや。しかし、危機感というものは、全社員を団結させ、改革へのエネルギーを生み出す源泉となる、いわば重要な経営資源や。そして、我が社の伝統は、経営の危機に直面した場合に、その危機を逆に利用して新たな進むべき道を示し、全社一丸となって実現することで、むしろ発展につなげるという“禍転じて福となす”経営やった。ところが、君は“新たに目指すべき道”を示さず、止血してしまうことで、大きな発展へのチャンスを台無しにしたのや。』 『君は、我が社の大赤字を止血して“普通の会社”に戻したが、他方で、私があれほど口をすっぱくして言ってきた我が社の経営理念を経営層が忘れてしまったという悪い意味での“普通の会社”にもしてしまった。そのことが、今の経営危機を招いていることを深く自覚しなければいかん。“理念なき普通の会社”が大きく発展することはないよ。』

  • 04Mar
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!61  

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!61 『“お客様大事に徹する”ことを自分の言葉で全社に求めたのはええことや。しかし、言葉だけでは不十分やし、言いっ放しではいかん。自分の言うた方針を事業部が実行するような仕組みを作る必要もあるやろうし、また、事業部がその方針を本当に実行しているかどうかということは、絶えず気にして自分の目と耳で確かめんといかんな。“見える化”とか言うて、その指標だけに頼っていては駄目や。現場がおかしいという萌しをいち早く敏感に掴まんといかん。少しでもおかしいと感じたら、直ぐに手を打つことや。今頃になって気づいて“モグラ叩き”をしているようではいかんよ。』 『特に、我が社は、これまでのテレビやビデオの成功体験から、いつの間にか“お客様の求めるもの”よりも、自分たちの利害や都合を優先してモノ作りをするようになってしもうとる。“将来いかに大をなすとも、一商人なりとの観念を忘れてはならない”と口をすっぱくして言うていたことが、すっかり忘れ去られている。いわゆる大企業病やな。商売の本質(人々の役に立つこと)と使命(社会に必要があるから商売をさせていただいている)が忘れられ、相手の立場に立って考えることを忘れ、感謝の心、謙虚な気持ちを忘れている。当社創業の原点に帰って、この“一商人なりとの観念”を再び全社員に浸透させること、つまり、自社中心の考え方からお客様大事の考え方に戻すことが当社の復活のためにはどうしても必要や。』 『また、“お客様大事の心に徹する”ことを担うのは社員たちや。社員の気分が悪くなって、“やる気”を失えば、お客様は大事にされん。社員に余裕がなくなるからや。お客様を大事にするためには、社員を大事にすることや。社員をモノやコストとみなしていてはいかんよ。利益が上がらんからと言うて、社員の賃金をカットするなど言語道断や。社員たちも、究極の目的である“物心共に豊かな人間社会”の一員やということを忘れたらいかん。簡単にリストラや賃金カットをする前に、社員たちを活かせないのは経営者たる自分自身の責任やと自覚することがまず先決やな。人間には無限の可能性があるし、人間を使いこなす能力もあるんや。社員たちが持てる能力を発揮するかどうかは、経営者である君次第なんやで。そのためには、経営者たる君自身が社員たちをどのように見るか(人間観)というところから見直すことやな。』 『事業部制を復活して、見える化することで経営の姿が分かり易くなったのはええことや。そやけどな、何を見える化するかというところに経営者の力量が現れるよ。また、経営をしていく上で、“目に見える要因”だけを考えていてはいかん。そういうことだけでは、経営というものは決してよくはならん。“目に見えない要因”、その中でも、特に大切な“社員たちの気分や心の持ち方”も併せて考えんといかんよ。君は、自分が方針を示せば、社員たちがそれを実行するのが当然やと思っとるようやが、それは間違いや。君の方針に社員が共鳴できん場合とか、使命感が持てない場合、あるいはリストラや賃金カットでやる気を失ってしまった場合などは、社員は最低限の仕事しかしなくなる。社長一人がいくら気張っても、あかんのや。社員たちがやる気を出して、その持てる力を存分に発揮することがどうしても必要なんや。社員たちが、やる気を出し、その能力を最大限に発揮するようにするために、“社員たちの気分や心の持ち方”に気を配り、手を打つことも、君の仕事なんやで。業績が悪い時に、経営者が自分の経営責任を棚上げして、社員たちにリストラや賃金カットで責任を負わせるなどというのは、そもそも何のために事業をしているのかわからんようになるし、武士道の精神にも悖る卑劣な行為や。また、責任を取れない者は、リーダーとして失格や。それでは、社員たちがやる気を失うのも当たり前やし、社員たちはついて来んやろう。』  『そのためには、君は、社員たちが使命感を感じられるような大きな目標を社員に示すことが大切や。その際、単に方針を指示命令するんやなくて、頭を下げてお願いするんや。そして、端の人がみて「気の毒な」と思うくらい一生懸命に働く姿を見せることや。そうすれば、全社の社員が一致団結していきいきと懸命に働くやろう。』 『また、君は、方針を出して、計画を策定するだけで安心してはいかんな。それらの方針や計画は実行されて初めて意味があるもんや。やり遂げることにもっと拘って、現場が期待通りに動いているかどうかを見届けること、動いていなければそこで直ぐに手を打つことも考えないかんな。』

  • 03Mar
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!60

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!60 さらに具体的に、松下幸之助は、津賀社長を次の様に叱るかもしれません。 『津賀君は、どうも“手っ取り早く成果を出したい”とか“経営者としての成功”というような君自身の利害や“収益を伴う成長をしたい”とか“儲かる仕組み”というような自社の利益にとらわれ過ぎておるようやな。そうした自分とか自社という私の立場や利害にとらわれた状態で世の中を見ても、客観的に正しく実相をつかむことはできん。とらわれたことしか見えんようになるし、見えても自分に都合のいいように歪めて解釈してしまうからや。そやから、私心つまり私的欲望によって経営を行う経営者は必ず失敗するんや。』 『そうした私の立場、私の利害・都合から離れて、“とらわれない素直な心”になることが、経営者として何よりも大切な基本の心構えや。素直な心になれば、物事の実相が見える。経営者として成功するための鍵は、公の心でどの程度ものを見ることができるか、ということやと言うてもええ。』 『その上で、今大きく動いている時代の変化を読み、その中でパナソニックが社会(の人々)から求められているもの、つまり、人間社会の発展のためにパナソニックが為すべきことは何かということをつかみ取ることや。素直な心になれば、物事の実相が見えるから、為すべきこともわかるようになる。頭で理屈で考えるんやないで。』 『次に、その為すべきことを中長期の目標として全社員に示して、使命感と社会的責任感を持って断固やり遂げるのや。“為すべきを為す”それをするかしないかが成否の分かれ道や。うまくいかんのは、為すべきことを考えていないからや。まず“普通の会社”になってからなどと言うて、そこから逃げたらいかん。』 『確かに商売というものは、利益を抜きにしては考えられん。しかし、“利益最優先”と君は言うが、利益を得ること自体が商売の目的やないで。あくまで根本の目的は、その事業を通じて共同社会の向上を図ることにあるのや。利益というものはその目的をよりよく遂行していく上で必要となるもので、それを究極の目的にしてはいかん。』 『利益が上がらんのは“社会へのお役立ち”が不足しているからや。“社会が真に求めるもの”に気づいていないか、実現できていないということや。そこを反省することが先決なんや。大事なことは、社会に奉仕してゆくということ、つまり、暮らしを高めるために世間が求めているものを心を込めてつくり、精いっぱいのサービスをもって提供してゆくことや。そこに商売の尊さがあり、使命があるんや。その使命に基づいて商売を力強く推し進めてゆくことができていれば、いわばその報酬として自ずと適正な利益が世間から与えられてくるものなんや。』 『君は、“暮らしアップデート”とか“サブスクリプション型ビジネスモデル”などというて“儲かる仕組み”を先に考えておるようやが、そのように“自社の利益”にとらわれて、自分の立場から“どうすれば売れるか儲かるか”を頭で合理的な観点だけから考えてはいかん。それでは、“使命感”を持つこともできんやろ。“私”を心の中からすっと抜いて、相手の立場に立って、“どうすれば人々に心から喜んでもらえるか”をまず心で感じることが大切や。そうして掴んだものを実現して行く過程で、君の合理的な頭を使うのや。そうすれば、利益は後から自然についてくるもんや。この順番を逆にしてはいかんよ。』

  • 24Feb
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!59

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!59 上に見た通り、残念なことに、津賀社長は、『松下幸之助の経営理念』を頭で知識としては理解していながらも、それは自身の『強固な信念』のレベルには達していなかったわけです。社長がそうですから、周りの役員たちも、同様でした。例えば、毎年経営理念の役員研修というものが行われていましたが、自分たちはもう卒業したと言わんばかりに形ばかりのものと化しており、ある年の役員研修には“ワインの研修”までが付いていました。このようにパナソニックでは、松下幸之助の亡き後、特に経営層において『松下幸之助の経営理念』はほぼ形骸化してしまっており、その本当の意味を正しく理解し、自身の“強固な信念”として経営の中で実践しているというような経営幹部はもはやほとんどいないと言っても過言ではないと思われます。 しかし、世の中を見れば、会社によっては、自社の経営理念を本当に大切にし、実際の経営に活かしている企業も少なからず存在しています。例えば、Johnson & Johnsonという米国企業は、『すべての顧客に対する責任を第一の責任とする』とし、従業員、地域社会、そして最後に株主の順でそれらに対する責任を置くOur Credo(“我が信条”)という経営理念を大切にし、実際に事業運営の中核として位置付けています。例えば、この会社では、経営理念のみをテーマとして、毎年全役員が集まって徹底した議論を行っており、また、それぞれの部下たちがその役員のクレドの実践度合いを評価し、悪い評価を取った役員は役員から外されると言います。それほど厳しく日常の経営の中で具体的に実践されているのです。同社では、“我が信条”という経営理念は単なる“飾り物”ではなく、実際の事業運営の中で“実践すべきもの”なのです。 『松下幸之助の経営理念』を忘れて“飾り物”と化してしまった現パナソニックは、真のV字回復も、さらなる発展も望むべくもありません。経営理念のない(あるいは実践されていない)パナソニックは、もはや悪い意味での“普通の会社”に過ぎないからです。 最近では、“社会に貢献する”ということを経営理念として掲げる会社は多くあります。この点について、松下幸之助は、次のように述べています。「しかし、大切なのは、それにどれだけ徹しているかということではないだろうか。その徹し方によって、その会社の経営の実態というものにも差が出てくるような気がする。」(「思うまま」p.181) “社会貢献”が単なる“建前”で“外向けの飾り物”として掲げているだけで、日常の事業活動は、全く別の、あるいは、むしろその対極にある“自社の利害”中心の(“自社ファースト”の)価値観によって行われている“普通の会社”やそれを方針としていても、多くの社員たちが、心から納得しておらず、日常の業務の判断基準とはなっていない“普通の会社”では、V字回復や大きな発展成長は望めません。なぜなら、正しい方向から外れており、しかも社内の力も十分に発揮されておらず、また、バラバラになっているからです。 誠に残念ながら、今のパナソニックはそのような“普通の会社”になってしまいました。これでは、世界の政治経済社会情勢の変化や景気の波に大きく左右され、その波とともにただ浮き沈みするだけです。 そのような今のパナソニックを見れば、松下幸之助は、津賀社長初め現在の経営幹部を次の様に叱るのではないでしょうか。 「あれほどすっぱく言うてる経営基本方針(経営理念)を、最高幹部の連中が、最近になって、理解してるのか、理解していないのか、理解していないような形において、次々と失敗を重ねてきている。やったことは、松下らしくない、松下電器のやるべきことではないということをあえてやっていると。そうして一向にそれに対して自覚をしないと、反省しないと。」 「最近、経営基本方針というものを逸脱して失敗を重ねているということはきわめて顕著なものがあると。」 「皆さんが自らを信じて、松下の経営の基本方針を堅持して、その精神を発揚せんことには、自らを低くすると、自らを卑しめることになると思う。それは同時に松下電器30万の人の活力を減退させることになる。」 「もっと飛躍できるのに、それをとめているのは案外最高幹部の君らやないか。責任は従業員ではなくして、経営者にあると。そう感じている。」

  • 23Feb
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!58

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!58 21世紀の現代は、以前とは比較にならないほど経営環境が大きく変動し続けています。このような激変する経営環境の下で、経営のかじ取りをすることは容易ではありません。しかし、その際経営者にとって大切なことは、このような時代の変化に対して、『変えるべきもの』と『変えてはならないもの』を明確に区別することです。 この点、松下幸之助は、「正しい経営理念」というものは、「基本的にはいつの時代にも通じるもの」であり、それは「不変である」とします。そもそも“経営”というものが、『人間が相寄って、人間の幸せのために行う活動』である(「実践経営哲学」p.19)以上、そしてまた「人間の本質がいつの時代においても変わらないものである」以上、『物心共に豊かな人間社会』の実現を目指して、“人間の本質”に基づき、それを最大限活かそうとする「正しい経営理念」(“人間大事の経営”)は、どんなに経営環境が変化しても、「不変である」というわけです。(「実践経営哲学」p.101)そのためには、『人間とはいかなるものか、どういう特質を持っているのかということを正しく把握しなくてはならない。いいかえれば、人間観というものを持たなくてはならないということである。』(「実践経営哲学」p.19)と強調するのです。 その一方で、松下幸之助は、「その経営理念を現実の経営の上にあらわすその時々の方針なり方策というものは、これは決して一定不変のものではない。というよりも、その時代時代によって変わっていくのでなければならない。いいかえれば“日に新た”でなくてはならない。」(「実践経営哲学」p.101)と述べています。 即ち、松下幸之助の経営理念から言えば、“人間大事の経営”は不変であり、あくまでそれを基礎として踏まえた上で、その時々の“方策”である経営戦略を“大戦略”として構築すること、これこそが津賀社長に求められていたことでした。ところが、津賀社長は、自らの信念である“自分の利害”という“私心”と“徹底した合理主義”にとらわれたことの反射的効果として、“変えてはならない”不変であるべき基礎の“人間大事の経営”そのものを無意識の内に認識から削除し、喪失してしまったのです。 松下幸之助は、経営者に対して、この不変の経営理念を『強く願う』こと、つまり何度も自分に言い聞かせて“強固な信念(血肉)”とすることを求めました。先に述べた通り、人間は、“自分の信念(自分が本当に正しいと信じていること)”に従って、考え行動するようになっているからです。 例えば、「衆知を集める」ということについて、松下幸之助は、次のように述べています。曰く、「衆知を集めようと思えば、やはりまず、“衆知を集めたい”という気持ちを強く心に持つことです。そういうものが心にあれば、それはその人の態度物腰にあらわれて、おのずと衆知が集まるようになってくるものです。」(「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」p.69)======================================ホームぺージ「経営の神様松下幸之助の経営哲学-すべては心の持ち方次第-」の方もぜひご覧下さい。

  • 21Feb
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!57

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!57 以上様々な観点から津賀社長の経営の問題点を見てまいりましたが、冒頭に申し上げた通り、一言で言えば、津賀社長の“リーダーシップの欠如”ということにつきますが、津賀社長の様々な言動は、さらに遡れば、津賀社長自身の“物の見方”と“物の考え方”、さらに遡れば、津賀社長自身の“心の持ち方”にすべての原因があったものと考えられます。 会社の経営者には、その会社の経営について、基本的に自分の思う通りに“目指す方向”を定め、それに則した組織を作り、経営資源を投入して、全社の社員の行動を導いて行くすべての権限が実質的にあります。(法的な手続きは当然踏む必要がありますが)その意味から、ある会社が“目指す方向”及びその“組織”と“行動”は、すべて経営者たる社長の“物の見方”と“物の考え方”によって、さらに遡れば、経営者自身の“心の持ち方”によって、大きく左右されるものだと言えるでしょう。言い換えれば、会社の目指す方向とその組織や具体的な意思決定と行動は、すべて経営者の“心の持ち方”の現われであると言っても過言ではありません。 それ故、松下幸之助は、『人生も仕事も心の持ち方次第だ』と喝破し、経営においては、経営者自身が持つべき“心の持ち方”こそが鍵となるとして、自らの経験からそれらを集大成したものを『経営理念』としてまとめ(『実践経営哲学』松下幸之助著)、経営者に対して、それらを自らの“信念”とし実践することを求めたのでした。 津賀社長は、これらの経営理念に時々言及しており、頭では良く分かっているということがわかります。特に前述した『お客様大事の心に徹する』という松下幸之助の言葉を『お客様価値を徹底追求する』と言う自分の言葉で表現し、その意味も“逆算”と言う言葉を使って正しく表現していました。 ところが、先に見たように、その行動はむしろそれに反するものが多かったのです。ということは、津賀社長は、松下幸之助の経営理念を“知識”として頭では分かっていても、結局自身の“信念”とはなっておらず、それ故“行動”として現れてはこなかったということになります。この点、松下幸之助は『経営理念というものは、単に紙に書かれた文章では何にもならないのであって、それが一人ひとりの血肉となって、はじめて生かされてくるのである。』と述べています。ここで、“血肉”とは、“信念”と置き換えることができるでしょう。“信念”とは、潜在意識のレベルに形成される、いわば“心のソフトウエア”であり、人間というものは、自分の“信念”に従って物を考え行動するようにできているのです。 つまり、津賀社長にとって、『松下幸之助の経営理念』は頭で理解はしていても、自分が本当に正しいと信ずる“信念”は別にあって、その“自分の信念”に従って物を考え、行動していたということなのです。それは今後も変わらないでしょう。そして、津賀社長の“信念”とは、これまでの分析から明らかなように、“私心へのとらわれ”とその下での“徹底した合理主義”です。“自分の立場”や“自分の利害”にとらわれて(トランプ流に言えば”自分ファースト”)、経済合理性を徹底して追求したことの結果として、従業員やお客様(顧客)がそれぞれ考えと感情を持つ“人間”であることを忘れ、自分の考えに従わせるために指示命令できる存在、若しくは、誘導できる存在と見て“非人間的な(モノやコストとしての)扱い”をしたことによって、松下幸之助の経営哲学の中核である“人間大事の経営”を喪失してしまったのです。

  • 20Feb
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!56

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!56  さらに言えば、松下幸之助は、『宇宙や自然だけでなく、その中にある人間社会も物心両面にわたって限りなく発展していくものだ』(生成発展の原理)という考えから、“経営の危機”や“困難”をむしろ“発展への転機”と前向きに捉えました。曰く、「行き詰まっている仕事は、新しいものを生み出す一つの転機に立っていると考えたらええと思うんです。そういう考えを持てば画期的な躍進・・・に変わっていくと思うんです。」このように松下幸之助は、“禍転じて福となす”ことで、経営の危機を何度も乗り越えるとともに、むしろ逆に大きな発展へと導いてきたのです。その意味で“禍転じて福となす”ということは、松下電器(現パナソニック)の伝統であると言っても過言ではありません。 “経営の危機”や“困難”をネガティブにしか捉えられないのは、“素直な心”を欠いているからだとして、「危機に直面しても、志を失わず、よりよき道を素直に私心なく考えつづけていくならば、よき知恵も集まってきて、画期的なよき道がひらけてくる、また、これをチャンスとして受け止め、“禍転じて福となす”こともできるようになる。」(「素直な心になるために」p.89)と断じているのです。津賀社長がパナソニックの危機と“為すべきこと”への挑戦に怖気づいたのは、“自分の利害”にとらわれた目で見ていたからだと思われるのです。 “危機感”というものは、社員に“改革”の必要性を自覚させ、かつ、それを“実行”させる“エネルギー”や“知恵”を生み出す“経営資源”の一つとも言えるものです。先にご紹介した電化事業部の例のように、お尻に火がついて初めて人間は、本当に真剣に死に物狂いでやるべきことをやるのです。ところが、津賀社長は、先に述べたことから明らかな通り、全社で最優先すべき“大戦略”を示さず、“危機感”を全社に広げるための有効な手立ても打たず、むしろ赤字事業に“部分治療”を施し“普通の会社”に戻すことで、“危機感”を萎ませてしまったのです。それは、全社で“正しい危機感”を共有することで生まれるエネルギーや知恵という経営資源を“経営改革”に有効に活用することに失敗したことを意味します。 特に、津賀社長の“監視の目”も届かなくなったテレビ以外の事業では、それまでと同様、『自分たちの立場』に立って、『自分たちの利害』を重視し、『自分たちの都合』で事業を運営していくことができるようになっていました。いわば、“社内自治区”が誕生したわけです。そこが、自分たちにとって、“最も居心地のいい領域(コンフォートゾーン)”となって、その中に閉じこもり、そこから出ようとしなくなるのです。それが、事業部やその中の組織、そして社員個人とそれぞれのレベルで“自分の利害”にとらわれて、“自分”や“自組織”、そして“自事業部”の都合で仕事を進めていくのです。そこには、顔の見えない“お客様の姿”はありません。それが、“全体最適を阻む事業部の縦割り志向”を強め、津賀社長の繰り返し強調した『お客様価値を徹底追求すること』の実践を妨げたものと考えられます。

  • 18Feb
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!55

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!55 むしろ、逆に津賀社長の言動の中には、『全社で危機感を共有する』ことに反する言動すらあったのです。 例えば、第一に、先に述べた通り、津賀社長が“大戦略”を示さなかったことも、目指すべき戦略目標と現状とのギャップが示されることがないため、現状のままではだめだとの“危機感”を持ちにくかった原因の一つとなったものと考えられます。そのような全社で目指す“大戦略”がないと、それぞれの事業部では、自分たちで勝手に都合のいいように解釈をすることとなります。「パナソニックはよろず屋。各事業・製品で“ぼちぼち”稼げればいい。」というのが、多くの社員の声だったと言われているのはその例です。 第二に、自ら主導した“経営改革”の対象を全社とせず、問題のあったテレビ事業とその周辺に限定してしまい、それ以外の事業については、津賀社長自身『安定的に稼げればいいか』と決めつけて、特に“問題視”することもなく、担当の役員に任せ切りにしてしまいました。このことは、実は津賀社長自身が、テレビ以外の事業について、“危機感”を抱いていなかったことを意味します。 しかしながら、松下幸之助は言います。「危機がないのではない。危機を発見する努力を怠っているのだ。どのような組織にも危機は必ず忍び寄っている。」そして、“危機”とは、「今まで通りに安住し、転機の自覚のないことをいうのである。」(「続道をひらく」p.109) とすれば、先に述べたような大きな時代の変化の流れの真っただ中にある現在において、テレビ以外の事業について“これまで通りでよい”という津賀社長の経営判断は、経営者としては甘過ぎました。『時代の変化に適応していくこと』を『日に新た』であれと強く経営者に求めた松下幸之助の厳しさからすれば、許されないことでした。そのこと自体が危機だと松下幸之助は言うのです。 松下幸之助が、このような甘い判断をした津賀社長に接していたならば、次の様に叱るでしょう。「今までの考え通りで、今までのやり方通りで、それで事がすむならばよいけれど、天地は日に新たであり、人の営みもまた日に新たである。だからほんとうは、昨日の考えは、きょうは一新されていなければならないし、きょうのやり方は、明日にはもう一変していなければならない。刻々に新しい考えを生み出し、刻々に新しいやり方で事に処していく。それが自然の理法に則した生成発展の道というものであり、そこに人間としての真の歓喜というものがある。その歓喜が失われたとき、人の成長はとまり、社会の生成発展もとまる。・・・とまるということはジリジリと崩壊するということである。」(「続道をひらく」pp.108-109) 実際、苦心の末にようやく開発できた新製品の説明に来た技術者に対して、松下幸之助は、『そうか、ようやってくれたな。そしたら、明日からこの製品よりもいいものを作ってくれ。』とすぐさま要求したというエピソードがあります。 そのような津賀社長の“甘い判断”の結果、それ以外の事業に関して何らの働きかけもされず、任せっきりになってしまったため、それまでの事業部内に出来上がった“コンフォートゾーン”もそのまま維持されて、社員たちも“危機感”を持つことができなかった原因となったものと思われます。恐らく、それらの事業部の社員たちは、『確かに危機はある、あるが、それはテレビ事業だ、自分たちは“危機”の“当事者”ではない』と考えていたものと推測されます。 第三に、津賀社長は、延長戦の現在でも「中期計画で一気に大きな成長を見越すよりも、ビジネス・モデルを変革しながら赤字事業を処置し、成長できる体質に戻す。これが今の段階だ。」と述べて、まずは“病気の治療”に専念し、“健全な体質に戻すこと”を優先すべきだと考えています。しかしながら、ここで赤字事業を処置し、成長できる体質に戻してしまったら、会社の悪いところは応急処置が施されて見えなくなり、社員たちの“危機感”は益々薄れて、安心してしまい、“改革”へのエネルギーも萎んでしまうこととなってしまいます。その時点では、“危機感”をエネルギー源として経営改革を実行することはもはや難しくなってしまうのです。これを喩えて言えば、粉飾決算をした会社が、問題点が隠されてしまい、“経営改革”をすることができなくなるのと同じです。 この点、松下幸之助は、一般には悪い事だと思われている“不況”にもいいところがあるのだ、「不況またよし」として、「不況だからこそ、会社の悪いところがよく見えるようになるし、社員たちも“何とかしなければ”と思うから、一致団結して“改革”もやり遂げることができる。」としています。そうだとすれば、2年連続巨額赤字のときにこそ、将来のパナソニックの“為すべきこと”を“大戦略”として提示し、それに向けて全社で“危機感”を共有し、その“大戦略”を実行し、やり遂げるべきでした。そのような危機のときこそ、全社員が“危機感”を持つことのできる絶好の機会であったのに、津賀社長の治療優先の考え方によってその好機を逸してしまったのです。

  • 16Feb
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      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!54

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!54 それでは、津賀社長の言動は、『全社で危機感を共有する』ためにどのような効果があったのでしょうか? 津賀社長は、「当社は普通の会社ではない」、あるいは、「主力のデジタル家電では負け組である」と一応全社に対して警告を発しています。しかしながら、“言葉”だけに終わり、“行為”が伴っていないのです。人間というものは、自分の身の安全が直接脅かされるような“脅威”が目に見えない限り、“言葉”だけでは変わりません。逆に言えば、大会社となったパナソニックにおいて長年の安定した経営の下に形成されてきた社員たちのコンフォートゾーンは、それほど安定していて居心地がいいからです。この点、松下幸之助も次の様に述べています。「お互い人間は、とかく現状に安んずるというか、現状をもって事足れりとするような傾向に陥りがちではないかと思われます」 自分の身に直接火の粉が降りかかってくるというように、このコンフォートゾーンが破壊されたときに、人間は真の意味での“危機感”を持つのです。 この点、松下幸之助は、社員たちが“感謝の心”を忘れるのは、大会社になって“安定しすぎる”ことにその原因があると考え、『会社の中に敢えて“不安定な部分”を創り出して行くこと』が、その“対処のための処方箋”となると指摘しています。(「経営秘伝」pp.167-168)まさに心の中に出来上がった、安定した“コンフォートゾーン”を破壊することが必要だと松下幸之助は見抜いていたのです。 それを実践した有名なエピソードがあります。それは、奈良の電化事業部をたまたま訪問し、色々と話を聞いているうちに、5年連続赤字に陥っていることを知って激怒した松下幸之助は、その場で直ぐに本社の経理担当副社長に電話をして、本社の電化事業部への融資を直ちに引き揚げよと指示する一方、電化事業部の責任者に対しては、自分が紹介状を書いてやるから、住友銀行へ行って融資をお願いせよと突き放したのです。仕入先への支払いや従業員への給与の支払いにもすぐに困る責任者は、『それだけは勘弁して下さい。』と懇願しましたが、松下幸之助は一切聞く耳を持ちませんでした。 それから、その電化事業部の責任者は、課長以上の幹部を緊急に招集し、『このままでは事業部が潰れる!』と檄を飛ばして、改革案を一から作り直すこととなったのです。それまでにも事業部改革案は作成されていたのですが、今回は社員たちが『事業部を潰してはならない』と危機感を共有し、死に物狂いで改革案を白紙から見直した結果、無事住友銀行から融資を受けることができ、改革も成功して黒字化に成功したと言う次第です。松下幸之助のいわば“ショック療法”によって、初めてその事業部の責任者と全社員が自分たちのコンフォートゾーンが破壊された結果、文字通り本気になって真剣に改革案を考え、それを徹底して実行したというわけです。 津賀社長が、『全社で危機感を共有する』ことが本当に大切だと考えたのであれば、“言葉”だけではなく、全社の事業部や社員たちのコンフォートゾーンを破壊するほどの“ショック療法”を行う必要があったものと思われます。例えば、『人事の硬直性』という“大企業病”が指摘されていますが、逆に思い切った人事異動によって、“安定”を壊すということも考えられたでしょう。 残念ながら、津賀社長からはそのような『会社の中に敢えて“不安定な部分”を創り出して行く』というような手が打たれることはありませんでした。(執行役員の数の削減は2019年に実施されましたが、遅きに失した感があり、また、むしろ“罰則”的効果によりモチベーションを下げて逆効果となったものと考えられます)

  • 15Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!53

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!53 次に、津賀社長の『リーダーシップの欠如』の要因としては、全社に『正しい危機感』を抱かせ、それを活用して全社改革を実行することができなかったことです。「危機感なきところ、成長なし」と松下幸之助は断言します。実際、ソニーや日立と比較したときのパナソニック凋落・停滞の原因の一つとして『全社的に危機感の乏しいこと』という“大企業病”の症状が、指摘されていました。津賀社長は、この経営危機を克服するために、パナソニックが目指すべき新たな方向を“大戦略”として示すとともに、“正しい危機感”を全社で共有させて、それを『パナソニックの再生』への“情熱”若しくは“エネルギー”と“知恵”に変えて、“大戦略”実現に向けて経営改革を断行するべきでした。しかしながら、津賀社長はそれをやらなかったのです。 全社に危機感が乏しかったことについては、津賀社長自身も、社長就任直後から分かっていました。そのことは、就任直後を振り返った津賀社長の次の言葉から明らかです。「しかし、困ったことに社内には『パナソニックは大きい会社だからつぶれない』との意識がはびこっており、社員、さらには役員にすら危機感が欠如していました」 そこで社長就任から4か月後の中間決算発表の場で、「当社は普通の会社ではない」、また「主力のデジタル家電では負け組である」という非常にセンセーショナルなメッセージを発信したのだと言います。これは社員に伝わることも意識したもので、「社員全員に他責ではなく自責、すなわち自分事としてこの危機を捉えてほしいと考えたからだ」と言うのです。 津賀社長就任後、“一応の回復”を果たした2016年の時点で、津賀社長は、円安の効果や利益最優先の経営とともに次の様に述べています。「会社をシンプルに見える化し、スピーディに改革の手を打ち、危機感を共有した社員が努力してくれた結果にほかなりません。」  では、本当に、全社で危機感は共有されたのでしょうか? 残念ながら、その後の業績の低迷を見る限り、また、『週刊東洋経済』や『日経ビジネス』の特集記事に紹介されていた社員の声を見る限り、経営陣と現場との“温度差”は意外に大きく、全社で危機感を共有するには至りませんでした。7500億円を超える巨額赤字を2年連続で出しながら、全社で“危機感が乏しい”、つまり、『自分たちが変わらなければならない』という自覚がないというのは、およそ信じ難いことですが、その原因は一体何なのでしょうか? 一つの要因は、会社が大きくなったことによる“安定”です。この会社の安定した状態が“自分たちの居心地のいい心の領域(コンフォートゾーン)”を形成し、『経営環境がどのようになろうとも、パナソニックは大丈夫』と考える強い傾向を生み出すため、危機感が生まれ難いのです。これは“大企業病”の症状の一つと言えます。 この点、松下幸之助はそれ自体が危機だと言います。「危機とは、今まで通りに安住し、転機の自覚のないことをいうのである。」(「続道をひらく」p.109)つまり、“経営危機”とは、会社を取り巻く客観的な状況をいうのではなく、“居心地のいいコンフォートゾーン”に安住し、そこから外に出て新たなことに挑戦しようとしなくなるという経営者や社員の“自ら変わろうとしない”消極的な心の状態自体をいうのだと言うわけです。 会社が大きくなって、事業が安定してくると、経営者も社員の心も安定してきます。そうすると、自分たちだけでここまできたのだと自社の力を過信し、自社の商売や事業を支持し支えていただいてきた“お客様”への“感謝の心”を忘れ、だんだんと態度も“横柄”になっていくのだと松下幸之助は指摘し、将来如何に会社が大きくなっても、“一商人なりとの観念”を忘れるなと警告を発していたのは、前にご紹介した通りです。 松下幸之助は言います。「やがて大きな~会社になってくると、次第にそういう最初の感激、商人としてのほんとうの心というものを忘れてくる。そうなってくると、お客様が自分のところの商品を買うてくださるのは当たり前というような、~無意識のうちにそういう態度になるんやね。」「経営者も社員もだんだんと態度が横柄になり、会社としてもいきいきとした活動ができにくくなる。」「これはあかんね。いつもいつも最初の商品が売れたときの、そのときの気持ち、感激、心やな、そういうものを忘れたらあかん。」(江口克彦著「経営秘伝」pp.165-166より) 言い換えれば、会社が大きくなってくると、お客様への“感謝の心”を持って“相手(お客様)の立場に立って考え(る)”て、“人々(お客様)の役に立つ”製品を開発し、製造、販売するという『会社としていきいきとした活動』ができにくくなり、むしろ『自分たちの立場』に立ったまま(“自分たちのコンフォートゾーン”に居ながら)、『自分たちの利害と都合』を中心に置いて事業を進める“プロダクトアウトの発想”が強くなってくるということです。 特に、家電業界において長い間トップメーカーの地位を維持し続けてきたことによる自信と安心感から、そのような状態を“正常な状態”と認識するようになり、それを否定することになる情報を受け入れず、“危機感”が持てないとも考えられます。心理学では、これを『正常性バイアス』と言い、人間には、災害の際に自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価する傾向があると言います。この点について、先にご紹介した古池進元副社長は、『国内で長年、テレビや家電のシェアトップや上位にいて安定成長してきた成功体験が強すぎるのではないか』と“成功体験へのとらわれ”に原因があると指摘しています。

  • 13Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!52

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!52 もう一つ大切なことがあります。それは、“相手の立場”に成り切って、『人々の役に立つこと』を考える際には、そのことだけに集中してアイデアを出すということ、言い換えれば、それを実現するのに必要な“コスト”については考えず、一旦脇に置いておくということです。そして、次の段階で改めて『収支を立てる』ことを考えるのです。そのアイデアを実現するためのコストを削減し、あるいは、不要な機能を削ぎ落すために知恵と工夫をするのです。このようにすれば、アイデアは無限に出てくるものです。最近の家電ベンチャーが次々と出すヒット商品を見ていると、そのことがよくわかります。 ところが、これらの二段階の検討を初めから同時にやろうとすると、“コスト”に足を引っ張られて、『そんなにコストをかけられない』と、『人々の役に立つこと』(機能やサービスなど)を犠牲にしてしまい、アイデア自体が制約されて、何等特徴のない“当たり前の商品”になってしまうのです。恐らくこれが事業部の現場で起こっていることではないかと思われます。『週刊ダイヤモンド』が指摘した『イノベーションの芽を摘む企業風土』には、このようにコストアップや失敗を恐れて“挑戦すること”を避け、特に若手の“斬新なアイデア”をベテランが潰し、結局“過去の成功したモデル”を焼き直して、お茶を濁すというような商品開発の現場の姿が見えてくるのです。それは、“自分の立場”を引き摺ったまま“相手の立場”に立っていることから生ずる問題なのです。 それでは、津賀社長以前のパナソニックはどうだったのでしょうか? この点、特に日本全国に張り巡らされた販売網に支えられた『規格大量生産型のビジネス・モデル』で成功してきたパナソニックは、経営戦略の立案に際しても、自社の都合で“規格製品”を定めて開発し、効率よく大量生産し、販売網に乗せて一気に売っていくという、いわゆる“プロダクトアウトの発想”が強く、中村・大坪両社長時代までは、“相手の立場”に立つどころか、“自分の立場”に立ったままで製品開発を考える傾向が強かったのです。“効率的な生産”が重視され、世界の各地域から“お客様の声”としてあるいは営業の声として出てくる製品の改良の要望なども無視されることが多かったと言います。このことは、津賀社長自身も認めています。曰く、「日本メーカーがなぜ世界を席巻する商品を出せていないか。答えは単純だ。日本のお客様の声を聞いてきたから。」つまり、世界各国からの個別の要望を無視してきたのです。 そのことは、中村邦夫・大坪文雄両社長時代に副社長を務めた古池進氏の次の言葉からよくわかります。『市場が何を求めているかから考え、そのためのビジネス・モデルを発想することから事業の改革をする戦略がなかった。自分の反省点でもあるが、作り手の考え方が強すぎた』 この当時既に“大企業”となっていたパナソニックでは、松下幸之助の『お客様大事の心に徹する』という“経営理念”は、『一商人ナリトノ観念』とともに忘れ去られ、“自社の立場”にとらわれた“プロダクトアウトの発想”しかすることができなかったのです。 そして、それを引き継いだ津賀社長もまた、『お客様価値を徹底追求すること』という正しいスローガンを掲げながらも、そのような真逆の現場の実態を知らず、また、知ろうともしなかったが故に、“体質改善”の“根本治療”という“全社改革”の必要性にも気づかず、“全社改革”を実行することもないまま、言いっ放し(スローガンだけ)で終わってしまい、松下幸之助の経営理念の最も重要な概念である『お客様大事の心に徹する』ことの全社を挙げての実践に失敗したのです。

  • 12Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!51

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!51 それでは、津賀社長が繰り返し強調した『お客様価値を徹底追求すること』が事業部において必ずしも十分に実行されなかったのはどうしてでしょうか、あるいは、やり方に問題があったのでしょうか? 社員たちのモチベーションという“心”の状態が『お客様価値』を徹底追求する準備ができていなかったことは先に述べた通りです。ここでは、そのやり方について、いくつかの問題を指摘しておきたいと思います。 松下幸之助は、1935年に松下電器基本内規というものを作り、その第15条で「松下電器カ将来如何ニ大ヲナストモ 常ニ一商人ナリトノ観念ヲ忘レス 従業員又ソノ店員タル事ヲ自覚シテ質実謙譲ヲ旨トシテ業務ニ処スルコト」と現在の“大企業”となったパナソニックの“大企業病”を見越していたかのように“警告”を発していたのです。松下幸之助のいう『一商人ナリトノ観念』の意味は、第一に、商売の本質と商人の使命がわかっているということ、そして、その上で収支を立てること、第二に、お客様の心が読める、即ち相手の立場に立って考えること、第三に、感謝の心、謙虚な気持ちを忘れないことの3つです。『一商人ナリトノ観念』を実践するには、実はこれら3つを逆の順に実行して行くのが理にかなっていると考えられます。(この点、松下幸之助は明確に述べていませんが) 結論から言えば、業績結果が示す通り、津賀社長があれほど強調した『お客様価値を徹底追求すること』は十分に実践されなかったと言わざるを得ません。最近の事業部内部の具体的な情報については、著者は持ち合わせておりませんので、推測になりますが、恐らく以下の点において、実践面に不十分さがあったのではないかと考えられます。 先に、社員の心に失敗への恐怖やリストラへの不安があると、『お客様価値を徹底追求すること』は難しいと述べました。心に余裕がなくなるからです。『感謝の心、謙虚な気持ちを忘れないこと』はその点を解決する手法でもあります。人間は二つの感情を同時に持つことはできません。それ故、顧客への“感謝の心”を持つことができれば(簡単ではなく、相当の訓練が必要ですが)、会社や経営者への不平不満などの感情は消えて、顧客に対して感謝の気持ちを返して行こうという外向きのベクトルが生じるのです。 その上で、『相手の立場に立って考えること』、そして、“商売の本質”である『人々の役に立つこと』を追求するわけですが、その際に重要なことは、“自分の立場”に立ったままで“相手の立場”を考えてはならないということです。“自分の立場”に立ったままでは、“自分の立場”やそこにある自社の技術や過去に成功した自社の製品やビジネス・モデルなどといったものにとらわれて、それらを引き摺り、それらを中心に物を見て、考えるため、視野が狭くなり、あるいは、目の前の情報をそれらのとらわれていることに都合のいいように歪めて評価・解釈して、その結果、“本当にお客様が求めるもの”が見えなくなってしまうからです。恐らく、それが事業部の現場で起こっていたことです。つまり、ここでは、“自分の立場”を完全に離れて、“相手の立場”に成り切るということが最も大切なのです。 その意味で、津賀社長が『お客様価値を徹底追求すること』について次の様に“逆算”すべきだと述べている点は、極めて正しい理解です。「売上を維持するために製品を出すということはしない。お客様が、「本当にこれが欲しい」「これを使って仕事や暮らしぶりが変わった」と思ってもらえるものを作りたい。」「コア事業という意味は一体何なのか。これまでパナソニックは、テレビ事業に徹底的に選択と集中して、一本足で成長と収益を勝ち取ろうとしました。私は必ずしもこういう方法は採りません。あくまでもお客様が何を求めているか、ということから逆算したほうが、間違えることが少ないのではないでしょうか。」 ところが、事業部の現場の実態は、津賀社長のこの言葉とは裏腹に、“自分の立場”から離れないままにそれを引き摺っていたと推測されるのです。売上と利益が思う程伸びていないからです。つまり、津賀社長の言う、お客様が「本当にこれが欲しい」と思うような製品が各事業部から次々と出てくれば、それは当然売上と利益に反映するはずだからです。ところが、実際には、前に見た通り、売上と利益は一応の回復の後は“鳴かず飛ばず”でした。

  • 10Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!50

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!50 津賀社長が現場の実態を把握していなかったことの例として、津賀社長自身がこの8年間最も力を入れて発信してきた『お客様価値を徹底追求すること』という方針の全社への浸透度(実践度合い)ということを採り上げてみたいと思います。これは、松下幸之助が『お客様大事の心に徹する』という言葉で強調した“経営理念”の一つの津賀社長なりの表現ということになります。 先に述べた通り、津賀社長が繰り返し強調した『お客様価値を徹底追求すること』が、文字通りパナソニックの全社で実践されていれば、“大戦略”がなかったとしても、各事業部からお客様のニーズを満たす新製品が次々と開発されて、パナソニックは一定の成長軌道に乗ったことでしょう。しかしながら、結果は先にご紹介した通り、2014年までに一定の回復をした以降は、泣かず飛ばずの業績でした。この結果から見れば、残念ながら、『お客様価値を徹底追求すること』が全社で十分に実践されたとは言えません。むしろ、それは実施されなかったと言わざるを得ないのです。 『お客様価値を徹底追求すること』は、津賀社長自身があれほど強調してきた全社方針ですから、それが本当に全社のカンパニーや事業部の“現場”において適切に実行されているのかどうか、されているとして、どの程度実行されているか、そこに問題はないかということに常に“関心”を持って見届け、その実行を確実なものにしなければなりません。ところが、津賀社長は、自らそれらを確かめようとした節がありません。結局、言いっ放しで終わっているのです。その後、最近になって自身の“想定外の”不採算事業が次々と現れて、津賀社長はそれらの“モグラ叩き”に追われる羽目に陥り、『もう許さない』と怒り心頭に達しているというわけです。 しかしながら、そのような現場の状態はもっと早い段階で知ることができたはずであり、知ろうとしなかった、あるいは、“見える化”の副作用としての“隠れる化”によってわからなかったのだとすれば、それは経営者としてあまりに“怠慢”若しくは“鈍感”と言う他ありません。 この点、松下幸之助は事業の経営について「大胆にして小心であれ」と強調し、次の様に述べました。「事業の経営は気宇を大きくし、しかも一面、神経質でなければならない。“大胆にして小心”でなければ真の仕事はできない。~大胆である反面、あたかもメーターの針の如く、わずかの電流にも針がふれる程、神経質でなければならない。各位は経営に対して、このメーターの針の如く鋭敏であってほしい。すべて事には“萌”がある。小さいことが大事に至る。この“萌”を敏感に把握して、善処していかなければならない。さらにいえば、匂いによって嗅ぎ分け得るほど鋭敏であってほしい。」(昭和20年1月松下電器経営方針発表会より) それ故、松下幸之助がこのような津賀社長の姿を見れば、次の様に叱るのではないでしょうか。『言いっ放しではいかんな。自分の言うた方針を事業部が本当に実行しているかどうかということは、絶えず気にして自分の目と耳で確かめんといかんな。見える化とか言うて、その指標だけに頼っていては駄目や。“目に見えない要因”もあるんやで。現場がおかしいという萌しをいち早く掴まんといかん。少しでもおかしいと感じたら、直ぐに手を打つことや。』と。 先にも述べた通り、松下幸之助は、『事業部制』を導入した際、『任せて任さず』という考え方を採りました。つまり、一つの事業についてその製品の開発・製造・販売すべてを事業部に任せる一方、事業部長には必ず二君に使える経理責任者(本社経理担当役員にも仕える)を置いて事業部の情報を取り、また、ショップ店(販売店)等から直接情報を取るなど複数の情報ソースから、事業部の状況に関する情報を多角的に把握しており、ラインから上がってくる報告だけを“鵜呑み”にするということはありませんでした。それ故、現場の実態の把握も早く、必要な場合には本社が手を打つこともできたのです。 これも、松下幸之助が、人間である部下を使いこなすためには、人間の特質を的確に把握していなければならないとしていたことの一つの実践例と言えるでしょう。つまり、人間というものは、自分の都合のいいことを上に報告し、都合の悪い情報はできるだけ報告せず(いよいよ隠せなくなったときを除いて)、都合のよい情報を、場合によっては、誇張や脚色して上に報告しがちであるということを踏まえた対応をしていたわけです。そのような人間の特質を踏まえれば、組織のラインの報告を鵜呑みにして他の情報ソースを持たないことが如何に危険なことであるかは論を待たないところでしょう。津賀社長は、『見える化』の情報に依存し過ぎて、安心し、松下幸之助が重視した『目に見えない要因』などをそもそも重要とは考えず、それ故、それらの重要な現場の情報を自らあるいはスタッフを使って取ろうとしなかったために、“大企業病”と言われる“社員の心の持ち方”の現れとも言える様々な現場の症状を把握することができなかったところに問題があったのです。その結果、本人の予想外の不採算事業が次々と現れることとなったわけです。

  • 08Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!49

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!49 『実行力の欠如』の要因として第二に、津賀社長が事業部の現場の実態を十分に把握できていなかったことを挙げておきたいと思います。“現場の実態”がわからなければ、それに則した対策を打つことはできません。津賀社長が現場の実態を把握できていなかったことは、最近になって、次々と不採算事業が現れて、津賀社長が本人の想定以上に“モグラ叩き”に追われていると自ら告白しているという事実から明らかです。 なぜこのようなことになったのでしょうか? 津賀社長は、『会社をシンプルに見える化すること』を重視し、事業領域ごとにBU(ビジネス・ユニット)の上にドメイン・カンパニーを置くドメイン制の下で屋上屋を架すこととなって見えにくくなっていた組織の重層構造をシンプルにして事業部を本社と直結する『事業部制』を復活しました。本人も、その効果を「ドメインでは1兆円単位という「どんぶり」でしたが、事業部制に移行してからは、大きくても4000億円規模。その結果、いままでよりも早く課題が見え、改善に向けて早く取り組みはじめた。」と自画自賛していたのです。 ところが、蓋を空けてみると、津賀社長の“想定”以上に次々と不採算事業が現れてきたのです。しかも“家電”だけではなく、各社内カンパニーでも「既存で安定的に成長できる、もしくは維持できると思っていた事業」で“痛み”が出ているというのです。一体何を見ようとして、何がよく見えるようになったのか、筆者には情報がないため、定かではありませんが、はっきり言えることは、津賀社長の行った『見える化』によって、一定の情報が良く見えるようになった反面として、それ以外の情報が切り捨てられて、逆に見えなくなってしまったということです。いわば、『見える化』の副作用と言えます。 そもそも『見える化』というのはあくまで“手段”に過ぎず、それを使う人が“どのような考えで何を見たいのか(目的)”によってその効果は大きく左右されます。その意味で“経営者の力量”が問われる手段だと言えるでしょう。『見える化』するためには、何を見たいかに応じて“関連する指標”を選択する必要があります。例えば、これを使う経営者自身の“経営の捉え方”に問題があれば、“指標”の選択を誤り、その問題点を拡大してしまうのです。つまり、選択された“指標”だけでその事業部の経営のすべてが見えたものと“勘違い”して、それ以外の情報が“削除”されて見えなくなってしまうのです。 “想定外のモグラ叩き”という結果から逆に見れば、津賀社長が行った『見える化』によって逆に切り捨てられ見えなくなった情報の中に、少なくとも、後に不採算事業となって表面化するに至る原因となることや『週刊ダイヤモンド』や『日経ビジネス』が指摘した『全体最適を阻む事業部の縦割り志向』、『イノベーションの芽を摘む企業風土』、『人事の硬直性』などの“大企業病”の様々な症状に関する情報が含まれていたということです。 『見える化』することは、使い方如何ではよいことにもなりますが、“何を見える化するのか”ということが大切で、対象とする情報を絞り込むことによって、逆に重要な情報を含む、それ以外の情報が削除されるのであれば、それは『見える化』の副作用・弊害としていわば『隠れる化』という現象が発生するというわけです。これは、人間の認知のプロセスにおいて働く“注意の焦点化”の反面としての“削除”のメカニズムと同じです。 また、『見える化』するということは、“指標化”するということですから、“指標化”に馴染まない情報は、『見える化』することができないという限界があることを認識しておく必要があります。例えば、松下幸之助が重視した「社員の人たちの心構えとかやる気、心持ち」などの『目に見えない要因』は、“指標化”に馴染まないものですから、『見える化』のルートとは別のやり方(例えば人を通じて)で、事業部からそれらの情報を集めることを考えなければならないでしょう。 この点、松下幸之助は、自ら創設した事業部制の下で事業部長に担当する製品の開発・製造・販売に関する経営を任す一方で、事業部長の“女房役”として経理責任者を必ずつけ、本社の経理担当役員への報告ルートを維持し、二君に仕えさせるとともに、自身も独自のルートで情報収集していました。『任せて任せず』と言われる、人間の性質を知り抜いた松下幸之助ならではの経営手法でした。このようなアナログ的発想は、合理主義者でデジタル思考の津賀社長にはなかったようです。 このように見てくると、津賀社長は、結局『見える化』という自らの策に満足し、それに溺れて、その結果として、重要な情報が“削除”され『隠れる化』して見えなくなってしまったのです。

  • 06Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!48

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!48 また、松下幸之助は、“武士道の精神”に言及しつつ、リーダーのあるべき姿を次の様に述べています。「大将が、いつの場合でも、おれは生きるんだ、おまえらは死んでくれというんであれば、おそらく戦争も成り立たんでしょう。戦争にならんでしょう。だから昔の武将というものは、そのときの国民というか領民のために、あるいは家中のために、自分はいつでも死ぬんだという覚悟が常にできていないといかん。それがほんとうの大将というものですな。そういう大将のもとには、国のために、大将のために死ぬんだということを、潔く考える人もたくさん生まれるわけですね。今日もやっぱりそうやないといかんですね。」(1968年10月13日読売テレビ「宗教の時間」放映 『発言集』第17巻219頁) それでは、この“武士道の精神”の観点から見て、中村・津賀両氏はどうでしょうか? 中村邦夫氏は、先にご紹介した通り、歴代社長の中で初めて“人”の問題に手を付けて、回復の手段として社員のリストラを断行する一方、自らの経営責任を棚上げして、多額の退職金を受け取り、その後も相談役に居座り報酬を得続けました。このような中村邦夫氏の姿は、韓国の多くの高校生が犠牲となったセウォル号沈没事件で乗客を差し置いて真っ先に逃げ出した船長の姿と重なって見えてきます。 また、津賀社長も、過去8年間の前半の一定の回復をさせたところはともかく、その後、“大戦略”を全社に提示することもなく、自ら強調した『お客様価値を徹底追求すること』についても成果は不十分で、全社の業績も停滞している現在の状況について、一切経営責任を取ることもなく、現在も“延長戦”の最中で“構造改革”を続けていると言います。他方、津賀社長が社長に就任後行った人員削減のためのリストラでは、“延長戦”どころか、9回の裏までも戦わせてもらえなかった57歳以上のベテラン社員がたくさんいました。早期退職の募集に自ら任意に応じた社員もいましたが、松下幸之助なら絶対にやらないような“追い出し部屋”という事実上強制的なリストラ(“肩叩き”)をやったのです。これに対して異議を唱えて、退職金の上乗せ分を憤然と拒否した社員もいたと言います。 このように中村・津賀両氏とも、自らの経営の失敗について潔く責任を取ることはなく、むしろ自らの経営者としての責任をリストラや賃金カットなどによって、経営者の方針に従っただけの社員に転嫁しました。先に松下幸之助の挙げた“武士道の精神”の例で言えば、「おれは生きるんだ、おまえらは死んでくれ」と言った“武士道の精神”にも悖る大将そのものの姿ではないでしょうか。これでは、“大将のために死ぬ覚悟で仕事をするような社員”が生まれてくることはありませんし、それどころか、全社の社員のモチベーションは著しく下がり、その持てる能力も発揮されることがないのも当然です。 リーダーの責任について、松下幸之助は、より直截に次の様に述べています。「指導者とは、責任をとるということである。責任を取れない者は、指導者たる資格はない。」この点から言えば、中村邦夫氏と津賀社長は、共に『責任を取る』というリーダーたる者の最も基本的な条件を欠いていたと言わざるを得ません。 ここでさらに重要なことは、上に述べたように、リーダーが、事後的に自分自身の判断と行動の“責任を取ること”は当然ですが、遡って当初からそのような“覚悟”と“責任感”をもって事に当たっていれば、そのプロセスにおけるリーダーの判断や行動自体もその“真剣さ”と“厳格さ”において全く違ったものとなってくるということです。 逆に言えば、そのような“覚悟” と“責任感”のないリーダーの判断と行動にはどうしても“甘さ”が出てくるのです。まさにそのような“甘さ”が津賀社長には見られます。それは、津賀社長が、“改革”を主導した際、問題となっているテレビ事業以外の事業について、具体的な検証のプロセスもないままに「既存で安定的に成長できる、もしくは維持できると思って」対象から外してしまったことです。津賀社長自身、「自動車などが成長ドライバーになるなら、それ以外の事業は安定的に稼いでいればいいか」というような、今思えば甘い考えがあったのかもしれないです。」と自らの“甘さ”を認めています。2年連続7500億円を超える巨額の赤字を出した経営危機の真っただ中にあったパナソニックの社長を引き受けた以上、いきなり大した根拠もなく問題事業以外を自身の経営の対象から外したことは、パナソニック全体の経営を託された経営者として無責任と言われても仕方がないでしょう。 また、そこには“甘さ”とともに、津賀社長の人間的な“心の弱さ”も垣間見えるのです。つまり、『できれば、自分の経験のある得意分野(AV関連事業、車載機器事業)に集中したい。それ以外の事業については、他の役員に任せたい。』『自分が少しでも楽をしたい。』という“自分の利害”への“とらわれ”が、『それ以外の事業は安定的に稼いでいればいいか』という根拠も検証もない自分勝手な評価・解釈(“歪曲”)と決めつけ(“一般化”)を生んだのではないかと思われるのです。この点、同じく経営危機に直面したソニーや日立が、新たな大戦略の方向に向けて全社を挙げて“改革”に取り組んだこととは対照的です。

  • 04Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!47

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!47 なお、米中貿易摩擦などのいわゆる“不可抗力”の外部要因については、企業の側ではどうしようもないようにも思われます。そうすると、環境が好転するのを待つほかないということになりそうです。しかしながら、そのような中でもうまくそれに対応して、利益を上げている企業が必ずあります。そうだとすれば、その企業の対応の仕方如何で結果は変わってくるということでしょう。 また、これは単なる米中貿易摩擦ではなく、今後しばらくは続く米中覇権戦争と捉えるべきです。そうだとすれば、環境が好転するのを待つのではなく、それが継続する中でもなおうまく事業経営をやっていく方法はないかということを考えて、手遅れになる前に今から手を打っていくべきなのです。例えば、中国に進出した工場を日本国内に回帰させたり、ベトナムやミャンマー、タイなど東南アジアの国に移転させたり、また、自社のサプライチェーンから中国のサプライヤーを外していくデカップリングの動きを取っていくなど様々な対策が考えられます。インバウンド需要に依存し過ぎた観光業が如何に危険であるかということは、今回の新型コロナウィルス感染拡大による中国からの観光客の激減でよくわかったのと同様に、仕入先や顧客などについて、共産党一党独裁制による様々なリスクを抱えた中国に依存し過ぎることは、今後は命取りとなる恐れがあるでしょう。この1月19日にポンペイオ国務長官がジェノサイドと認定し、バイデン政権も同意したウィグル人権問題や香港の民主化運動の弾圧などにより、中国(特に共産党)が今世界から集中的に非難を浴びつつある現状に鑑みればなおさらそうでしょう。 津賀社長の頭には、この米中貿易摩擦という環境が変われば、業績も上向くだろうとの観測がありますが、環境のせいにしている限り、何らの対策も打つことができません。松下幸之助は、そのような「不況だから利益があがらなくても仕方がない」というような見方を排します。このように環境のせいにしがちな津賀社長に対して、松下幸之助は次の様に叱るでしょう。「業績の良否の原因を不況という外に求めるか、自らの経営のやり方という内に求めるかである。経営のやり方というものはいわば無限にある。そのやり方に当を得れば必ず成功する。だから、不景気であろうと何であろうと、必ず道はあるという考えに立って、それを求めていけば、やはりそれなりの成果はあがるものである。」 このように見てくると、津賀社長は経営者として『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』ことができているとは言えません。むしろ、逆に、環境が悪い、部下が悪いと他責にしているように見えます。その結果、津賀社長には、その業績不振の原因の大元にある自分自身の“心の持ち方”や“物の考え方”の誤りや歪みなどが見えていない、気づいていないこと、それ故にそれらを“正す”こともできず、それらの根本原因が依然として残り、今後もまた同じ失敗を繰り返すこととなってしまうでしょう。 松下幸之助は『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』ことは、“経営者の条件”だとし、『それができない者は、経営者として失格だ』と断言しています。その意味で、津賀社長自身が、『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』ことができておらず、自身の中にある“失敗の原因”に気づかないし、失敗に学ぶこともできない以上、『経営者として失格だ』ということとならざるを得ません。 とすれば、津賀社長が主張する、『今後も“延長戦”を続ける』という意味は乏しいと言わざるを得ないのです。

  • 03Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!46

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!46  それでは、『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』と言う点について、中村邦夫氏と津賀社長はどうだったのでしょうか?  松下幸之助は、先にご紹介した通り、『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』ことを”経営者の条件”だとし、経営者たる者は、「うまく行かない要因は100%、譲っても95%は自分にあると考えなければならない」と断言しました。このように『うまく行かない要因』を自社内部の要因や自分自身の要因と捉えることはそれだけ対策を打つ選択肢が増えることを意味します。これに対して『うまく行かない要因』を他人や環境など外部の要因のせいにすると、それらに対してはコントロールできない、従って、対策も打てないということとなります。 中村邦夫氏が社長・会長時代のプラズマへの過剰投資や合理性を欠いた三洋電機の買収などの経営判断ミスと、その判断の誤りが判明した後もその誤りを認めず、軌道修正を図らなかったために赤字額が拡大し、2年連続7500億円を超える巨額赤字を出し、63年振りの無配となりました。多くの社員を「追い出し部屋」に追い込み“希望退職”を事実上強要しながら、自分は一切責任を取らないばかりか、多額の退職慰労金(4人で18億円)まで受け取り、その後も名誉職で報酬の出る相談役に居座り続けました。経営責任を取らない中村邦夫氏への批判が内外で起こっています。ここには、『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』姿は見られません。 津賀社長は、2020年3月期の減収減益の見通しについて、インタビューを受けて、次のように述べています。「要因の一つに米中貿易摩擦があります。利益率の高い中国関係のビジネスがダメージを受けています。かなりの部分が一時的なものであるとは理解していますが、一方でいつこれが元に近い形に戻るかは分からない。不本意な数字の8割はこうした外部要因にあると我々は思っています。」「残りは内的要因です。特に車載事業では相当頑張って事業の拡大を目指してきましたが、足元では開発費の増加や、米テスラ向け電池ビジネスのオペレーション力の不足などの影響で赤字になっています。ただし、~内的要因については原因がかなり見えている。その意味では心配していません。」 津賀社長の発言は、外向けの説明という面は差し引くとしても、『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』という観点から見ると、業績悪化の原因の大半である8割を外部の“経営環境”のせいにしていること、外部要因だから仕方がない、打つ手がないと諦めている点に問題があると思われます。また、内部要因としては2割しか把握しておらず、社内の隠れた真の原因が見えていないように思われます。もし、津賀社長が業績不振の原因として2割の内部要因しか認識していないとすれば、その2割の範囲でしか、対策を打つことができず、パナソニック復活の可能性は危ういと言わざるを得ません。 このような津賀社長を見たとすれば、松下幸之助は、次の様に叱るでしょう。「人間というものは、まことに勝手なもので、自分で自分をよほど注意していないと、とかく責任を他に転嫁して、安易な納得におちいりがちとなる。」(「続・道をひらく」p.251) もっと他にも内部要因はあるのではないでしょうか? 例えば、外からも指摘されている『大企業病』という老化現象、具体的には『全体最適を阻む事業部の縦割り志向』や『イノベーションの芽を摘む企業風土』『人事の硬直性』『社内の危機感の乏しさ』などは、ここで取り上げるべき内部の要因と言うべきでしょう。にもかかわらず、それらを無視して、8割が外部要因だと決めつけることは、先に述べた通り、それらの重要な内部要因を看過し、それらに対して対策が打てない点に問題があります。それらの“大企業病”という内部の根本的な要因に、手が打たれることなく残ることとなるため、今後も同じ失敗を繰り返すこととなってしまうからです。 また、さらに言えば、『内部の要因』というときに、上に挙げた自社内の組織や制度、オペレーション上の問題もありますが、実は、それらは“要因”というよりも、むしろ“現象”であって、本当の原因は、最終的には、経営者自身の物の考え方自体に問題があるということに行き着くのです。すべての企業内の現象は経営者の“心の持ち方”の現れと言っても過言ではありません。それ故、松下幸之助は、『失敗の原因はわれにあり』と、経営者自身にその原因があると断言しているのです。そして、経営者が自らの誤った考え方を正しく変えさえすれば、それが組織や制度、戦略や方針、社員たちの行動に現れて問題(先に述べた現象を含む)が自ずから解決されて行くのです。 この点、津賀社長の考え方の問題点の例は、これまで述べてきた津賀氏の『人間の捉え方』であり、『リーダーの役割』についての認識だと言えます。

  • 01Feb
    • 松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!45

      松下幸之助、パナソニックの惨状に津賀一宏社長を叱る!45 中村邦夫氏と津賀社長の共通する特徴の『自分自身の経営の失敗に対する責任を負おうとしないこと』という部分は、リーダーシップに不可欠な要素として松下幸之助が強調し、自ら一貫して実践した『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』ことが、中村・津賀両氏に欠けていたことを意味するものです。松下幸之助は、特に経営者に対して『必ず成功すると考えること』を求め、同時にその論理的帰結として『失敗の原因はわれにありとの考えに徹すること』を“経営者の条件”として求め、それができなければ経営者として“失格”だと断じました。人間は、何か事がうまく行かないときに、防衛本能から、その失敗の原因を“他人”や“環境”のせいにして、自分を守ろうとするものです。しかし、人の上に立つ経営者はそれではいけないと言うのです。 松下幸之助は言います。「事業は正しい考え方・やり方でやれば、必ず成功するようにできている」「事業というのは、失敗しないのが本当で、失敗するのは、何かが間違っているためだ。失敗するには その原因が必ずある。原因をつくらない限り、成功の一途をたどる。」「事にあたって、行き詰まるということはない。行き詰まるということは、行き詰まるようなものの考え方をしているからである。」失敗の原因を“他人”や“環境”のせいにするのは、まさにこの“行き詰まるようなものの考え方”なのです。なぜなら、目の前の悪い状況には自分は関与していないとして、自分の責任を回避だけでなく、自らその状況を解決する力のないことを認めることとなって、問題の解決を放棄し、受け身で他人や環境が変わるのを待つ他なくなるからです。組織のリーダーたる者は、どのような状況であろうとも、目の前の困難な状況を主体的に解決していかなければならない責任を負っていますから、自ら何ら動こうとしないというのは、リーダーシップの放棄以外の何物でもありません。 もちろん実際には、他人のせいだと思われる事象もあるでしょうが、松下幸之助は、その場合でも、よく見れば自分の関与や影響というものもあったと見るべきだとして次の様に述べています。「人間というものは、他人の欠点は目につきやすい。何か問題が起こると、往々にしてそれはすべて他人のせいで、自分には関係ないと考えがちである。しかし、実際には、全く自分が無関係とは言えない場合も少なくないのが世の常ではないかと思う。実際他人のせいであっても、高い観点から見たならば、他人のせいではあるけれども、実は自分のせいでもあるのだということもあるのではないだろうか。これは本当のところはわからないことだけれども、少なくとも人間は、問題が起こった際には、他人のせいだと考える前に、まず自分のせいではないかということを一度考え直してみることが非常に大切ではないかと思う。」 上の文言について、“他人”を“環境”と置き換えても同様です。つまり、経営環境の変化によって大きな影響を受けるということもあるでしょうが、誰もが同じように影響を受ける中で、その影響を最小限に抑える経営者とその影響を諸に受け、何等の対策をも講じなかったために、あるいは、それが遅れたために、受ける被害を拡大し続ける経営者もいるでしょう。さらに、事前に予測して予め対策を取っておくという慎重な経営者もいるでしょう。地震や新型コロナ感染症への対策としての事業継続計画(Business Continuity Plan=BCP)はその例です。その点にやはり経営者の考え方や行動が対応力の違いとなって現れてくるのです。それ故、松下幸之助は「うまくいかない行き詰まりの原因というものは、外部なりいろいろの事情はあるにしても、そのほとんど100%、まあ少し割引くとしても95%までは自分にある。」(「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」p.73)と考えなければならないと強調し、『失敗の原因はわれにありとの考えに徹する』ことを生涯貫いたのです。松下幸之助は、自身の過去を振り返って、「物事がうまくいった時は『これは運がよかったのだ』と考え、うまくいかなかった時は『その原因は自分にある』と考えるようにしてきた。」と述べています。(「実践経営哲学」pp.55-56)