私たちは“仮想現実の世界”に生きている!

4)『歴史は勝者が作る』今も生きている歴史の中の“ウソ”⑭

 

 ただ、このような情報統制による洗脳が、GHQが占領した7年間だけの問題であれば、少なくとも“戦前の古き良き日本を知っている世代”がいた限り、容易に騙されることはなかったかもしれません。

 

 しかしながら、重要かつ残念なことには、GHQが日本を去った後も、そして、現在に至るまで、それらの“真実の隠蔽”と“壮大な虚構の物語の発信”という作業を引き継いだ多くの日本人たちがいたということなのです。

 

 上智大学の故渡部昇一教授は、「戦後、日本が負けたことを利用して重要な地位を占めた人たちがたくさんいる。」と指摘し、それらの人々を『敗戦利得者』と呼んで、次の様に述べています。曰く、「『戦争協力者を公職から排除する』という名目による『公職追放令』で、二十万六千人以上もの人々の職を奪い、メディアに出る口も封じた。これで筋の通った有能な人材が各界から追われ、戦前戦中は日陰の身だった共産主義者たちやその共鳴者たち、亜流の左翼言論人が息を吹き返して教育界・大学・マスコミに入り込み、日本が何でも悪いという『自虐史観』を日本に蔓延させることになった。」(「読む年表 日本の歴史」上智大学名誉教授渡部昇一著p.265)先に述べたプレスコードが実行されるプロセスにおいて“活躍”した5000~6000名の日本人の検閲官たちもその一翼を担いました。

 

 この日本人への“洗脳”の作業は、現在もまだ続いているという意味で、極めて重要なところですので、もう一人証人を挙げましょう。京都大学の中西輝政名誉教授です。同教授は、戦後の日本人が大変歪んだ歴史観(いわゆる“自虐史観”)を持ってしまい、未だに歴史の真実を大変知りにくくなっている要因の一つとして、『歴史利権』という表現で次の様に述べています。「学者、マスコミ、出版界という知識人社会が一つになって、特定の解釈をする出版物しか出版させない、或いは学説として流布させないという利権構造があり、強い『タブーの世界』がそこに出来上がっているということがあります。日本の戦後はこれが非常につよかったし、いまだに強く残っていると思いますね。」(『歴史の書き換えが始まった!――コミンテルンと昭和史の真相』 明成社〈日本の息吹ブックレット4〉小堀佳一郎東京大学名誉教授と中西輝政京都大学教授(当時)との対談)

 

 その結果、日本国民は、そのほぼすべてが戦後子々孫々に亘って見事に“洗脳”され、その効果が現在にまで及び、日本国民の大多数が、戦前の日本や日本の伝統や文化を全否定して、日本は侵略戦争をやった悪い国であるという、いわゆる“自虐史観”といわれるものに“とらわれて”しまっているのです。そのような“自虐史観”の現れは、あちこちに見られます。

 

 いくつか例を挙げれば、第一に「戦後の日本の平和を守ったのは憲法第9条である」という主張です。自虐史観にとらわれた人たちは、自らは軍隊を一切持たなくとも、憲法第9条によって日本の安全は守られてきたし、これからも守れるのだと言います。しかしながら、世界の現実は、憲法第9条やその前文の前提とするような“性善説”を前提とした“理想的な社会”とは程遠い“国益と国益とが力と力とでぶつかり合う極めて現実的な世界”です。ロシアは、ウクライナのクリミア半島を力で制圧し、中国は、南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)海域に存在する暗礁を埋め立てて人口島を建設し、軍事拠点化を急ピッチで進めており、北朝鮮は、核開発や核実験を繰り返し、日本はその射程距離に入っています。このような“現実の危機”が迫りつつある中では、独立国家であれば、自分のことは自分で守ることが基本であって、自衛のための軍隊を保有することは当然のことです。いわば国家レベルにおける“正当防衛”とも言えましょう。普段友好関係にある諸外国でも、その時点でのその国の国益に合致しない限り、助けてくれることはまずありえないからです。

 

 憲法前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・』という文言は、国際社会の現実からは程遠い非現実的な考え方だと言わざるをえません。一つの独立国家が、自国の安全と生存を他の国、例えば中国やロシア、北朝鮮などの国民に任せてしまうことなど到底できないからです。これは、むしろ、日本の憲法が、連合国司令部による占領がそれ以降も20年以上続くことを前提として、“占領政策の基本法”として作られ、軍事的に去勢された日本に対して押し付けたものである証拠とも言えるでしょう。

 

 このような“平和ボケ”とも言えるような非現実的な議論を平気で主張したり、現実の国際社会の軍事的脅威を前提とした議論をすることができないという日本国民の“思考停止”の状況は、正に“自虐史観”のなせる技だと言ってよいのではないでしょうか?

 

 第二に、日本固有の伝統的な文化を全否定され、日本は侵略戦争を仕掛けた悪い国だと歴史を書き換えられ、刷り込まれた日本国民は、“自虐史観”にとらわれて、それら日本の文化の良さが“削除”されて見えなくなるか、あるいは、見えていても、それらを“自虐的に”歪めて、大したものではないと決めつけてしまい、自国に対する“誇り”をもつことができなくなってしまっていることです。

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