写真だとホンモノの良さが10%も伝わらない。。。😅😅😅❄️
とにかくさむい京都。
18時を過ぎるとあたりは静まり返り、お寺の周りは真っ暗で、静寂に包まれていました。
ずっとずっとそこにいて、お寺の柱や松の木になりたくなってしまうほど、空気と土と木々、水が美しく優しい場所でした。
実はこのお寺はかの有名な「応仁の乱」の戦場となった場所だそうで、、、
かつてはたくさんの人が亡くなった場所。
その場所にいまこうして、芸術を求め、静けさを求め、たくさんの人々が集まってくる。
世の流れはいつも静寂のまま、私たちを見つめる。死と再生が同時に同じ場所で起こる。私たちはいつも、死に向かいながらも、なぜ生きるのか?という問いを投げかけ続けているのだと改めて感じました。
↑巨大な仏画たち。圧巻です!
まだ30%くらいの完成度だそうです。
静寂の中では、悩みや憂ごとが消えます。
消える、というよりも、悩みそのものが思い出せないというのが正しい。
ふといま、「空」という言葉が浮かび調べていたら、仏教の空が、私が感じたものと同じと感じました。
空、つまり本来は悩みや憂い、それを感ずる己すらも実体がないということ。
まさにそれ!!!
最近感ずることがあり、、、
まあ派閥なんざどうだって良いのですが、私はクリスチャンのくせにキリスト教は自分には合わない宗教だと感じていて。
というより、もう必要ないよ、と神から宣告されたのだと感じています。
なぜなら面白いくらいにここ数年教会には入れないからです。
教会はいつも開いている場所であるはずなのに、三年前くらいのノートルダム以来、教会に物理的には入れない。工事中だったり休みだったり。
教会は懺悔する場所。
だからなのか、神から「あなたはもう懺悔しなくて良い」と言われた気がしました。
行けば必ず謝るから、もういい、解放されたのだと。
以来ミサにはいきませんし、おそらく行けないでしょう。クリスマスもイースターも、あまり自分にとって意味のないものになりました。
そうしてから、運気が上がったのか、人生が動き出し、流れも変わり、ここ数年は本当に自分らしく幸せに暮らしています。
合う合わないはあると知っておいた方が良いのかもしれない。
私には仏教や仏陀、密教、仏教思想を実践する方が身に染みているのかもしれないと最近感じます。それは、仏教思想を読んでいると元々の自分の思想と一致するため。面白いくらいに。
輪廻についても、もとからそう。
魂は同じでも、入れ物が違うのがよくわかる。
だから天国の概念があまりわからないのかも?
不思議だね。
啓示を受け、来年の目標とテーマが決まりました。
モニカみなみ