今日は「ガザ・モノローグ」から「戦争の長い時間」です。

この朗読を聞くと、私たちの普段の生活は「平和である」ということを前提に成立していることが再認識されます。

SNSへの投稿など、確かに銃弾やミサイルが飛び交う中ではほぼ無意味だということに気が付きます。

・・・「ほぼ」なのか?という疑問は当然でしょう。。。

SNSを見てみると誰かの死亡についてとか、死にそうだったが何とか助かったとか、そういう投稿ばかりなんだそうだ。

確かに、芸能人のゴシップや、食べるものの写真など投稿されるわけがない。

芸能関係のニュースがあったとしても、、、戦時下である、、、ゴシップのはずはないだろう。

ましてや食べるものの映えを競いたくても、そもそも食べるものがほとんどないんだから、あげようがない。

 

長い時間だろう。。。。

例え10分間であったとしても、銃撃の響きや、ミサイルなどの炸裂音などが轟いている時間は無限の長さに感じるのかもしれない。

そして、多分急に静けさに包まれたとしたら、、、それは音が止んだのではなく、自分が死んだ時なのではないか?

そんなふうに想像したりする。

年老いたお袋が、まだ小さかったころ、日本もそういう時期があったそうだ。

お袋は疎開していて直接空襲にはあってないそうだが、、そう遠くないところで米爆撃機が飛んでいくのを何度か見たそうだ。

今ではあまり聞かないが、当時は艦砲射撃というのがあって海上の戦艦から陸上に向けて主砲を撃つというのがあったそうだ。

それは実際に攻撃を受けたそうで、逃げるのに必死だったという話を聞いたことがある。

艦砲射撃からミサイルやドローンによる攻撃に変わったとはいえ、その恐怖は体験したことのない私たちには分からないかもしれない。。。

 

私たちの普段の生活は「平和である」ことが前提に成り立っている。

そして、その前提が失われている人々がいることを決して忘れてはならない。。。。