今日は「終遠のヴィルシュ-ErroR:salvation- Case. Yves(救済)&(絶望)追記版」をUPしたいと思います。

公演は昨日で終わりましたからね。

少々書きすぎても(そうならないようにしますが)ご容赦くださいね。

 

まず、前作は「終遠のヴィルシュ -ErroR:salvation- Case. Scien Brofiise」というタイトルだったようですね。

しかも年末から年明けにかけて配信もされたようで・・・・

いやぁ、全く知らなかったなぁ。。。。。

Scien(シアン)というと、、、今回最後にイヴと戦った男ですよね。

クローン技術と記憶の移植技術の元締め、セレスから治療薬をつくろうとした男ですよね。

石井さん演じるサロメと何かしがらみがあったような感じでしたね。

どんなお話しだったのかスッゲー気になるよね。

これ観てたら、今回の舞台も違ってみえたかも。。。。。

 

さて、23歳で死を迎えるという設定、、、23対の染色体が徐々に破壊されることで23歳ということらしいですが、、、

その設定って、1年に1対づつという意味でしょうかね?

23対全て破壊されると死を迎える、、、、ってことでしょうか?

染色体ってそういうものでしたっけ????

まぁ、そういう話をしても仕方ないですよね。

科学的な正しさを追求する必要性など、物語としては特別重要って訳ではありませんから。

それに染色体とDNAは必ずしも同じ意味ではないですよね。

その辺の使い分けも引っかかりますが、、、、これも厳密な意味での正確さを、物語上は求めてはいないのでしょう。

ただ、もう少し科学的な考証はあってもいいんじゃないかなぁ。。。。。

 

記憶の移し替え(?)についても、、、どうなんでしょう?

この点については何も具体的な説明はなかったように思います。

というか、説明のしようもないという方が正しいのかも。

厳密な意味で記憶の正体は解明されていませんからね。

それにもし記憶の移し替えができたとして、それが自我の同一性を保証するものなのでしょうか?

私と同じ記憶を持った、私のクローン体が存在したとして、私自身と私のクローン体とで、どちらが「私」のなのでしょう?

クローン体の方は「私」であり得るのでしょうか?

まぁ、この部分は全くの未知の領域ですから、ここで議論する意味もないんですけどね。

個人的には、私と同じ記憶を持った私のクローン体が私と同じ自我をもっているとは思えないんですよねぇ。。。。

記憶と体験は違いますから。

記憶は日が経てば少しづつ変質していくでしょ。

嫌だったこと・苦い記憶は徐々に薄められていくし、楽しい記憶や美しい思い出は徐々に美化されていくってことは誰でも経験していることだと思うんです。

経験によって自我は形成されていきますが、経験を飛び越えた記憶でどう自我が形成されるのかは全くの未知数ですよね。

 

正直なところ、毒で染色体が破壊されるというなら、災いの花自体の染色体は破壊されないのか?とか

毒による染色体の破壊を、ワクチンのようなもので止めることができるのか?とか

リライバー(クローン体)も普通の人と同じなので、やはり短命であることには変わらないので、何体もクローン体を準備しておけるんじゃないか?とすれば、死んだと思っても再び用意してあるクローン体でリライバーとして復活できるのでは?とか

他にも疑問に思う点はまだまだたくさんあるんです。

ですが、そんな疑問点があったとしても、それで、この物語の面白さが損なわれているという訳ではないのが不思議なんです。

正直観ていてその場で「おかしいなぁ。。。」と思っても、この世界に引き込まれて行ってしまった、、、てのが事実。

救済エンドでは、二人の最後の瞬間まで観たかった!と思うし、絶望エンドではセレスの最後の姿が哀れでならない。。。。。

物語自体のパワーはそんな設定の疑問でダウンするようなものではないってことですよね。

 

全体の物語の終焉はどんな物語になるんだろう・・・・・

凄く気になりますよ!!!

 

 

 

昨日で公演が終了しているので、「”柳生家の血筋” 追記版」をUPします。

ネタバレになることも含まれちゃうかもしれませんが、、、もういいんでしょ???

 

今回の舞台には柳生十兵衛と宮本伊織の二人の剣豪が登場しています。

ちょっと調べてみたんですが、二人が生きた年代は確かに重なってはいるようですが、二人が戦ったことがあるのかは分かりませんでした。

まぁ、戦ったことがあろうがなかろうが、物語としてはどうでもいいことではありますけど。

実際に戦ったら、どちらが勝つんでしょうねぇ・・・

どちらが強いにしても、勝負は時の運もありますからね、、、興味はありますよね。

ニ天一流と柳生新陰流、、なんてさもよく知ってように書いてますが、、剣道とか全く知らないんですけどね(^^;)

 

刀は振ったことがあります。

もちろん刃は研いでないですけど、、、昔の軍刀ですかね。

友人の家にあったものを50年ぐらい前でしょうか、、、中学生の頃ですね。

重かったですよ。

片手で簡単に振り回し続けるなんて無理ですよね。

両手で持っても、そんなに振り回せるものではないですね。

昔の武士たちは日々鍛錬を怠らなかったのでしょう。

まぁ、刀の話はこのぐらいで、、、、

 

物語の発端になるのは、伊織と共に柳生家を訪れた女性。

彼女の素性が問題だった。。。ということで、十兵衛の父が彼女の抹殺を、、、ということになった訳です。

その実行部隊のメンバーの一人が雪代=崎本詩織ちゃんで、実家で病の父親が臥せっているようです。

今日のブログではこの点は割愛ということで。

話しを戻して、その女性、棗は十兵衛の双子の妹という設定。

お家の事情で、宮本武蔵に預けられ、今は伊織と行動を共にしているということ。

棗は十兵衛の父(彼女にとっても父)に捨てられたことを恨み、復讐しようとしており、父はそれに気づき、先手を取って抹殺の指示を出したというところ。

十兵衛自身はそのようなこととは知らず、棗に迫る手の者たちから彼女を守るという判断をすることに。。。。

 

結果的に、物語としては、多くの犠牲(十兵衛の妻を含む)を出しながらも、父も棗も失わずにことを納める形になったが、その最終的な清算ということもあってか、十兵衛自身が自死を選択するという物語になっています。

実際にはそのようなことはなかったようですが、、、まぁ、私が自身の目で彼らの生涯を見てきたわけでもありませんので、、、実際に似たような話があったのか、、、は分かりませんね。

でも、やはり、、、、良く分かりません。

観てるときは、流れでこのような結末になってもあまり疑問を感じないんですが、、、

少し時間をおいて考えてみれば、「ホントに十兵衛は自死する必要があったのか?」という疑問が消えないんです。

お家の事情とかは、正直どこまでどんな範囲でどのような影響が出るのか、私には想像もできませんので、「柳生家のため」ということであれば、「そういうこともあるのかなぁ」ってなりますが。。。。

この時十兵衛は柳生を出ようとしていたんですよね。

柳生を出る者が、責任を取るってことができたのでしょうかね?

何か他に方法があったのではないか??という気がしてなりません。

 

「武士道とは死ぬこと」とか言う言葉もよく聞きますが、本当にそうなのでしょうか?

剣の道とは「死」に通じるものでしかないんでしょうか?

まぁ、いつ死に見舞われるか分からなかった武士は、いつ何時死んでも悔いのないように生きろ!ってことなんでしょうけど。。。

私は剣道は知らないと書きましたが、、、これは想像なんですが、どの道場に行っても「生きるため」に剣道を学ぶということを教えてるんじゃないでしょうか?

大切な人を守り、自分をも守るために剣を振るう。

それが真の剣の道なんじゃないかと思うんです。

・・・何故十兵衛は自死を選んだのか?

自死することで復讐の連鎖を止めると思ったんでしょうね。

でも、残された人はたとえ自死だったとしても、「誰のせいで自死に追い込まれたのか?」ってなるよね。

復讐の連鎖って、そう簡単に止まらないよね。

棗は何故、多くの人を殺めてまで復讐を遂げようとしたのか?

復讐からは何ものも得られない、、、どころか、恨みを生じさせ、無限の復讐の連鎖しか産み出さないことは分かっていたはず。

なぜ自分は武蔵に預けられ、なぜ殺され捨てられなかったのかを考えなかったのだろう?

 

お芝居を観た人は、どう感じたのでしょう?

お芝居の感想というより、、、、なんか別のものになっちゃいましたね(^^;)

まぁ、いろいろ考えた結果なので、、、、