今日もお芝居を観て来ました。
今日観たのは「ザ・ファイナル・セカンド ~永遠の一秒1989~」 @彩の国さいたま芸術劇場 小ホール でした。
『どうやら特攻物のお話らしい』・・・観る前に気が付いたのはほぼこれぐらいでした。
ただ、所謂「戦争・特攻物」ではなさそうということも。
少し期待しながら、いつものパターンでないことを楽しみにしていました。
いつもの「日本帝国軍の戦争の悲惨さ」だけを伝えようとする演目には、正直もう満足できないな。。。。
という感覚があるのは事実です。
もちろん「いつものパターン」の物語でも、観れば感動しちゃうんですけどね。。。
それでも、「悲惨さ」だけでない「無残さ」や「愚かさ」、「加害者としての日本帝国軍」をしっかり伝えなければ、日本はまた「いつか来た道」を繰り返し歩んでしまう、、、、そういう恐れを、私はずっと持ってました。
では、このお話はどうだったでしょうか?
特攻物の物語ですから、もちろん出撃する兵士や彼らを取り巻く人々の姿は、克明に演じられていました。
普通の物語はこれで終わっちゃうんですが、この物語はむしろここからがスタートと言ってもいいお話でした。
よくあるパターンでは、現代に生きてる若者が、あの時代にタイムスリップし、悲惨な現状を体験し、戻ってきて、「戦争の悲惨さと平和の大切さを訴える」。。。ですよね。
でも、そうじゃなかった。
そうじゃなくて、こういう当時と現代の対比パターンもあるんだね。
現代の若者には、たぶん物語上は「戦争を追体験する」ことはなく、戦争の悲惨さも分からず、平和の意味を考える機会もなかったかもしれません。
でも、客席で観てる私たちには、二つの時代の対比がより鮮明に浮き彫りにされた気がします。
物語は、昭和が終わり平成が始まったころ、一人の老人の姿が舞台上にある。というパターン。
例によって老人は特攻隊員の生き残りであり、彼をおいて逝ってしまった特攻隊員の友人の話になる。。。。
老人には家族があり、娘も孫もいる、、、、そういう一人の男は、心筋梗塞で倒れてしまう。
そして、当時の思い出の中の友人たちの物語その後の話になっていく。。。。。
という物語ですね。
この物語は、逝ってしまった友人たちの最後の一瞬の思いが見せた幻想なのか。。。。
それとも生死の境上で見た老人の夢なのか。。。。
作者はどう見せたかったのかは別として、この幻影か夢かはたまた実際に起こったことなのか、、、によって当時の若者の生き方と、現代(より少し前だけど)の若者の考え方の違いを提示したかったんだろうな。。。
当時と現代では、その社会を構成する基本法則が違うんじゃないか?というぐらい別の世界になっちゃってるので、二つの時代の若者の考え方を対比しても、、、まぁ、、、並べて見せただけしかできないよね。
いいとか、よくないとか、、どっちが正しいとか、、、、そういう判断は意味がないので。
この物語を観た私たちが考えればいいことなんだよね。
このお芝居には一本鎗希華ちゃんが出演しています。
のあちゃん、出番が多かったわけじゃないけど、現代の若者の代表として考え方、生き方を体現して見せるという、ある意味影の主役級のポジション。
・・・一瞬クマのぬいぐるみ背負ってるんじゃないか?と思ったのは、、、私だけでしょうか???(^^;)
こののあちゃんの言葉、行動がそのまま彼ら当時の若者の考え方・生き方との対比になってるんですよね。
そりゃぁ「自分の命より大事なものなんてない!」ですよね。
でも、今の若者だって、自分の命より守りたいものだってあるはず。
それを見付けられるかどうかは、各人個人個人の行動考え方の自由に寄ってるんですよね。
今日登場した女性陣の中では、当時の彼女役のことのあちゃんが一番輝いて見えました!(←私個人の意見です)
今日が千穐楽。
16時半が千穐楽公演。
間に合う方はダッシュ!!!!で彩の国さいたま芸術劇場 小ホールへ!!!
余談ですが。。。。。
途中ドタバタ喜劇になるかとも思いましたが、、、、、
このシーンがあったからこそ、ラストシーンがあるんですよね。
もひとつ余談ですが。。。。。
あの後彼らは無事極楽往生できたのでしょうか?
現代の人々は、彼らのことを覚えているのでしょうか???
あれは本当は夢幻の出来事だったのでしょうか?????
おまけに余談ですが。。。。。
クママちゃん、、、いませんでした。
・・・当たり前ですけどね(^^;)