彼女に必要なのは「自分の夫と息子」だけ。
けれどその息子の中に、私の存在は、入っていない───。
母は言い切った。
『私に必要なのは、
主人と山都(私の弟)だけ』
ずっと、心の中に引っ掛かってた。
「何故だろう」、と。
幼い頃からずっと、その事について自分に問い掛けてきたが、その答えは・・・・・・
それは「母の答え」であって、
私の答えとは違う
毎度毎度、この「答え」に行き着いた。
6歳からずっとこの疑問に取り組んできたが、行き着く最後は此れ───
“真理”
私の、子供時代の「母」の記憶と言えば・・・・
あの人が作ってくれた「おにぎり」を持って廊下を歩いてた記憶が、一番ハッキリとしていて新しい。
確か、6歳前後の記憶だったはずだ。
言い方を変えれば、
私が持っている「母」の記憶は・・・・
それだけだ。
何故、「おにぎり」の記憶が一番鮮明なのかと言うと───
母が、「私の為に」作ってくれた「おにぎり」を、私が廊下で落っことしてしまったからだ。
共働き、と言うより・・・
各々の仕事を持っていた両親。
忙しいというのは、子供ながらに知っていた。
その中で、時間の無い母が「私の為に」作ってくれた些細な手料理に、当時の私は、深く感謝していた。
ところが、私は自分の不注意で、母が「私の為に作ってくれた」それを、廊下に落としてしまったのだ。
───あの時の「悲しみ」と「罪悪感」と言ったら無い。
だからだ。
私が「おにぎり」の記憶を鮮明に覚えているのは。
───さて。
そんな思い出深い、囁かな「母の記憶」しか持っていない私の、当初の話題に戻ろう・・・。
我が、生家である屋敷に生まれた子供は、一部の人間に於いて、2~3歳までにとても精神の達観した子供が育つ。
それは、親の腹の中にいた頃からの記憶が継続してあるからか、前世からの記憶が引き継がれているからか、何れの理由か知れないが・・・・・
酷く、「子供らしくない子供」が育つのだ。
初め、母が私を「嫌う」理由はそれかと考えた。
誰しも、親である自分の年齢より精神年上の子供など育てたくないだろう。
育てるにしても、非常に複雑な心境だろう。
だから、もし仮に、母が上記の理由で私を嫌っているのであれば、得心もいくと考えたのだ。
母には、私が物心付いてからも随分と、『子供らしくない』『子供らしくなかった』と言われ続けてきた。
反対に、私を育ててくれた親代わりの(白侶)には、『いつまで経っても子供ですね』と言われる。
この差は、いったい何だろう・・・。
母様、お話しがあります
・・・・・・何でしょう・・
囲炉裏の傍で行われた話し合い。
火の温かさが、私達の抱える問題の氷をも溶かせばいいと、この場所を選んだ。
白侶が人払いを命じ、その場には、私と母の二人きり。
・・・恐ろしいまでの沈黙が流れた。
“静寂”という響きがよく似合う母。
彼女が口を開くまで、私は茶の温かさも、火の熱気すらも感じることが出来なかった。
3日に渡り、場所を変え、時を変えて挑んだ話し合い。
『母様は昔から、
私の事がお嫌いでしたね』
ついにハッキリと告げた、これまで秘めてきた自分の思い。
対する母の返事は、
私の想像通りの答えだった。