母との確執..① | 比翼連理 ~執事の愛が重い件~

比翼連理 ~執事の愛が重い件~

当ブログは、年の差11歳の主従が送る日常の風景。ネグレクトの母から赤子の私を引き取り育ててくれた付き人の白侶(ハクロ)は、その美貌と優雅さで見る者を虜にする外面の良い悪魔。そんな彼のドス黒い“本性”を主人ならではの目線で書き綴るノンフィクションです。

これまでずっと、実家の母と私の間には確執があった。

彼女に必要なのは「自分の夫と息子」だけ。


けれどその息子の中に、私の存在は、入っていない───。


母は言い切った。


私に必要なのは、
主人と山都(私の弟)だけ





ずっと、心の中に引っ掛かってた。
「何故だろう」、と。

幼い頃からずっと、その事について自分に問い掛けてきたが、その答えは・・・・・・


それは「母の答え」であって、
私の答えとは違う



毎度毎度、この「答え」に行き着いた。

6歳からずっとこの疑問に取り組んできたが、行き着く最後は此れ───


“真理”





私の、子供時代の「母」の記憶と言えば・・・・

あの人が作ってくれた「おにぎり」を持って廊下を歩いてた記憶が、一番ハッキリとしていて新しい。

確か、6歳前後の記憶だったはずだ。


言い方を変えれば、
私が持っている「母」の記憶は・・・・

それだけだ。



何故、「おにぎり」の記憶が一番鮮明なのかと言うと───


母が、「私の為に」作ってくれた「おにぎり」を、私が廊下で落っことしてしまったからだ。


共働き、と言うより・・・
各々の仕事を持っていた両親。

忙しいというのは、子供ながらに知っていた。

その中で、時間の無い母が「私の為に」作ってくれた些細な手料理に、当時の私は、深く感謝していた。

ところが、私は自分の不注意で、母が「私の為に作ってくれた」それを、廊下に落としてしまったのだ。


───あの時の「悲しみ」と「罪悪感」と言ったら無い。


だからだ。

私が「おにぎり」の記憶を鮮明に覚えているのは。







───さて。

そんな思い出深い、囁かな「母の記憶」しか持っていない私の、当初の話題に戻ろう・・・。



我が、生家である屋敷に生まれた子供は、一部の人間に於いて、2~3歳までにとても精神の達観した子供が育つ。

それは、親の腹の中にいた頃からの記憶が継続してあるからか、前世からの記憶が引き継がれているからか、何れの理由か知れないが・・・・・

酷く、「子供らしくない子供」が育つのだ。


初め、母が私を「嫌う」理由はそれかと考えた

誰しも、親である自分の年齢より精神年上の子供など育てたくないだろう。
育てるにしても、非常に複雑な心境だろう。

だから、もし仮に、母が上記の理由で私を嫌っているのであれば、得心もいくと考えたのだ。


母には、私が物心付いてからも随分と、『子供らしくない』『子供らしくなかった』と言われ続けてきた。

反対に、私を育ててくれた親代わりの(白侶)には『いつまで経っても子供ですね』と言われる。


この差は、いったい何だろう・・・。





母様、お話しがあります
・・・・・・何でしょう・・


囲炉裏の傍で行われた話し合い。

火の温かさが、私達の抱える問題の氷をも溶かせばいいと、この場所を選んだ。


白侶が人払いを命じ、その場には、私と母の二人きり。

・・・恐ろしいまでの沈黙が流れた。


“静寂”という響きがよく似合う母。

彼女が口を開くまで、私は茶の温かさも、火の熱気すらも感じることが出来なかった。


3日に渡り、場所を変え、時を変えて挑んだ話し合い。



母様は昔から、
私の事がお嫌いでしたね


ついにハッキリと告げた、これまで秘めてきた自分の思い。

対する母の返事は、




私の想像通りの答えだった。