改めて自分の事を説明しようと思うと、結構、ってか大分、抵抗がある。
何て言うか、どう説明したら良いのか解らないのだ・・・。
理由は簡単。
リアルに、頭がおかしい人が言う「設定」的生い立ちだからだ。
嫁にも、会った当初に『中二病の人』かと疑われた(-_-;)
こんな言い方はアレだが、
我が家の生業や私の生い立ちは、説明したとしても一般人には絶対に理解されないと思う。
そもそも、このブログ自体かなりの冒険心で書いている。
迷惑が掛からないよう、知り合いの顔もなるだけ出さないように気を付けたり、検索避けにも注意している。
私が最初にブログを始めたキッカケは『自分と似た境遇の人を探すため』だったが、これが案外・・・・・・いない。
近いところで叶姉妹くらいだった。
・・・複雑な心境になって、泣いた。
でも、
今では『自分が生きてみたかった世界』にいる人達のブログを探して読み歩くのが、趣味になった。
暖かい家庭に家族、「お母さん」が作る料理の写真。
陽だまりに寝転ぶ猫や、自由な大空の写真。
趣味のギターに、ママさん達の子供の成長記録。
ある人のブログの写真には、私が一度も食べたことの無い「母の味」が載っている。
安全を考慮し、白侶が作った精進料理しか食べた事のない私には、「母の味」はまだ見ぬ夢の味。
毎回、写真を見る度にほっこりする。
そして、その度に羨ましさと憧れを抱く。
湯気の立つ白いご飯に味噌汁、茶色い煮物と色鮮やかなお新香。
『余り物で』という言葉をたまに見かけるけど、逆になんか、それがあったかくて凄く好きだ。
自分はその光景を「知識」としてしか知らないけど、ここに来ると、それらをすぐ側に感じることが出来る気がして堪らなくなる。
猫も、飼ってみたかった。
式神の猫なら二匹いるけど、可愛いけど、奴等は普通の人の目には映らない。
大空も、子供の頃に散々見上げた。
いっそ何もかも投げ出して、自分の過去世も、血も、記憶も、全て捨てて逃げてしまいたかった。
自由になりたかった。
結局、自分がしてきた事に対する皆からの感謝、「ありがとう」という言葉が重くて、捨てられなかったけど。
中学生の時、一般人に紛れれば今の境遇を抜け出せるかもと考えた事がある。
自分はずっと、日本画家になりたかった。
前世の知識を活かして、考古学者にもなりたかった。
その時代をリアルタイムで見ていたので、小学生の時には大学教授が知らない歴史も淡々として語り聞かせ、ある教授の論文にも貢献した。
趣味と言えば、自分は子供の頃からずっと「仕事」しかしてこなかった。
篠笛や龍笛、琴、三味線、舞も、「神々に献上する為」に練習させられていたものだったが、あれも趣味と言えば趣味だったのだろうか。
篠笛に関しては実家に帰った際に、友人の妖と一緒に音色を合わせた事があった。
懐かしい。
・・・もとはと言えば仕事で覚えただけの物だったが、喜んでくれたから、あれは嬉しかったな。
「子供の長記録」。
今では自分も人の親だが、出来ることなら私も、弟のように母に愛されたかった。
自分は生い立ちのせいで白侶や知り合いの神々、妖によって育てられた。
人間の教育は白侶が、あの世この世の理や陰陽その他の術は、友人である妖や稲荷、古い神々に教わった。
愛情は白侶が与えてくれた情や、友人である神々からの愛情しか知らない。
私は一族にはあまり愛されなかったが、人外には『橋渡し』故か、大いに愛された気がする。
・・・家族の“愛”は、自分が知るにはちょっと今世、縁が無かったようだが
───結果として、
自分はほんの少し、人とは違う道を歩んでしまった一人の人間だ。
霊能者も一族の者も、神も妖も死者さえも、私を「人間」とは思ってくれていないけれど・・・
でも、
説明すると、自分はこんな感じの奴です
・・・ね?
よく解んないでしょう(笑)?
もし質問があれば、今回に限り『メール』でお願いしますm(__)m
ただし、返信は2月以降になると思います。
仕事に関してはブログに載せているもの以外、聞かれても何も答えません。
何と思われても、何と言われても、普通の人には踏み込んではならない“領域”というのがあります。
そこはお互い様かも知れませんが、見えないからこそ恐ろしい相手というものがいます。
触らぬ神に祟り無しではないですが、「死にたくなければ踏み込むな」、です。