最近、7月1日の臨時閣議の自衛権発動の要件についての
憲法解釈を変える閣議決定を受けて色々議論がされている。
テレビでも新聞でも色々出ているが、
憲法についての認識の違いのほうが気になった。
「憲法は権力者の暴走を縛るためにある。」とか
「権力の暴走にブレーキをかけるのが憲法。」
と発言する人が多い。
しかも、あたかもそれが定説という認識を定着
させようと、これは前置きとして発言する。
権力者の暴走をくい止めるためだけに策定すると
憲法なんか作れないと思います。
この21世紀の日本、法治国家であります。
しっかりとした民主主義のシステムの中で誕生した政権、
安倍総理が暴走する権力者と位置づけるのには無理がある。
そもそも戦争したくて憲法の解釈をする人であれば
日本の民主主義のシステムで首相になれないと思うのです。
僕自身はアメリカの影響力が弱まる中でしっかりと
日本の平和維持と国民の命を守るための決断だと思います。
憲法とは日本だけにあるのではなくて、世界中の国々に
憲法があるわけです。
その憲法をみれば、それぞれの国がどういう国かわかるものです。
その国の全ての法律の源となるものが憲法で、
憲法とはその国と国民が物事を判断する指針、背骨と
なるものだと僕は思っています。
私たちがどうあるべきなのか、日本であれば
この国の先人の伝統・文化・精神性を含めた生き方の
集約が憲法の本来あるべき姿と考えます。
だからこそ戦後これまでまったくの手直しもできなかった
憲法を国民的議論をもって変えていくことは必要です。
ドイツは戦後、憲法の中に自国の伝統・精神性を盛り込み
50回以上も手直しして、現行の憲法を構築しています。
日本人の持つ精神性、世界から賞賛されている精神性を
盛り込んだ、そして自国だけでなく世界の平和を心から
願う国民性を表現できる憲法改正が僕はできると思います。
こういう僕の意見も偏っているのかもしれない。
どちらにしても画一的な意見ではなくて、
様々な観点からの議論、そして国民全体を巻き込んだ
議論が憲法を語るには必要だと思います。