夫婦同氏強制と同性婚<最高裁判決のニュースからの感想> | 弁護士みなみかずゆきのブログ - ON AND ON -

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今日は午前中が大阪地裁で尋問、午後が名古屋地裁で弁論、夜は夫夫そろって役所の方との意見交換会などに出ていたので、最高裁判決の全体をまだ読めていない。

ということで無責任にならない範囲でニュースなどの情報をもとに、最高裁が夫婦同氏強制を合憲としたことについて大枠の感想だけを書く。

当たり外れでいうと日本の最高裁の政治ばっかり気にする体質を見れば、こんな超保守政権のもとで、夫婦同氏に最高裁が違憲判決を出すとは思っていなかった。

しかし、理屈をどうひっくり返しても夫婦同氏強制が婚姻における自己決定権を奪っていること、社会実情においても不合理な男女差別となっていることが、憲法の許す範囲の人権侵害と言うのは難しいだろう。理屈の筋でいえば違憲となるべき問題だ。

夫婦同氏というのは大日本帝国憲法よりも古い明治4年に制定された戸籍法に遡るはずだ。戸籍は明治新政府が国民を管理するために作った制度である。煎じ詰めると結婚における夫婦同氏は国家による国民管理のツールなのだ。

結婚による管理に集わせるべく、みんなが結婚を使わざるを得なくなるように、相続やら税の控除やら、経済的な恩典もオプションで付いてくる。国家独占によるサービス販売のようで、その実はサービスに紐付けて国民を管理しやすくする、明治の知恵のマイナンバーみたいな夫婦同氏の結婚。

先のブログで書いた結婚の本質論でいうと、再婚禁止期間は子作りを結婚の本質とし、夫婦同氏は国家による管理を結婚の本質にしているのか。

となると再婚禁止期間をそれでも維持する結婚の向こう側には、子供ができない同性婚はなかなか難しいという未来が浮かび上がる。

しかし、国家による管理結婚というならば、同性愛者や同性カップルの存在が社会で見える向こう側には、国家による管理の便宜として、夫夫あるいは婦婦同氏の同性婚は認めらる未来がけっこう現実的に浮かび上がってもくる。

だがそれは多様な家族を法律によって幸せの後押しをするという文脈ではなく、同性カップルすら家制度的な枠組みに収めていこうというものだ。税金や相続の恩典を与えてあげるから、さぁカップルで暮らすのなら管理結婚に身を委ねなさいという。

それだとけっきょくのところ、これまで多くの二十歳以上を苦しめてきた、結婚しなきゃ一人前でないプレッシャー、とにかく結婚しなきゃだめ圧力が、同性愛者や同性カップルにまで拡大して及ぶというに過ぎない。

僕と彼氏が「結婚式を挙げた」と指輪を見せたら「ヘテロ(異性愛者)のマネしよって!」と笑って祝福してくれた先輩がいた。その先輩は反婚、非婚を貫いている。

今回の訴訟も含む夫婦別姓運動の長い歴史や活動されてきた方について、僕はとても不勉強で直接のことはよく知らないのだけれど、夫婦別姓を目指すということは、まさに国家の支配を抜け出して、家族や家庭という私的領域での真の自由と平等を取り返す運動なのではないかという気がする。

そういう点では同性婚、同性婚という僕も、けっして国家による管理結婚に身を委ねたいワケでもないし、ましてや同氏強制だと僕と彼氏はたぶん結婚できると言われてもそんな同性婚はしないと思う。

今日、最高裁は二つの判決を出したワケであるが、片方(再婚禁止)では未だ多様な家族の形を認めず、もう片方(夫婦同氏強制)でも国家による管理結婚を守る姿勢を示した。

マイナンバーの通知がまさに世帯にドバッと送りつけられた今年、最高裁は日本の家族のあり方を固定化を追認し、そして結婚による国民管理を是認した。

しかし、これは最高裁の判断でしかない。国会議員の中にはそれこそお墨付きと考える人もいるかもしれないが、今日の最高裁判決への失望を多くの人が表明すれば、国会は議論せざるを得なくなる。法律により実現される結婚とは何か?ひとりひとりの幸せと自由を実現するのが結婚か、それとも国家のための結婚か。

夫婦別姓は?あるいは同性婚は?そもそも結婚による数々の恩典こそカップル優遇シングル差別ではないか?議論の中で女性蔑視や同性愛者差別が言葉で出てきたら僕たちは毅然とそれを非難しなくてはならない。今ある強い者だとて、権利と自由を求める僕たちを差別してはいけない。差別はいけないと強く指摘しながら議論しなくてはならない。

が、一方で、新しい家族を求める自分たちこそが先進の高度知識人であるなどの驕りにも陥ってはいけない。今ある家族で暮らして幸せを実感してきた人に、自分の育ってきた憧憬を大切にしたい人に、古く錆びた者だと決めつけてバカにしてはいけない。

例えば「た・か・ら、私の自由をアナタに文句を言われたくないだけなのよねー(キッパリ)」みたいな、過剰な自分演出で相手をイラッとさせて、議論もケンカになってしまうような真似だけは、ぜひもも避けてもらいたいと思う。

最後は同性婚というより、思想は同じでもノリが合わない悲しさよという、日常的な問題意識である。