聖書を理解する 100号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

⦿疑問点➡イエス様の言葉を信じる信仰

⦿考察➡律法学者たちとパリサイ派の人々、あなた方偽善者は不幸である、人々の前で天の国を閉ざすからである、自分が入らないばかりか、天国に入ろうとする人をも入らせない、やもめの家を食いものにし、見せかけの長い祈りをする、だからあなた方は人一倍裁きを受けることになる、改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだとイエス様は教えています、イエス様はパリサイ派を肯定することはありません、パリサイ派は全否定です、パリサイ派のパウロを聖人だと信じる信仰はイエス様の教えとは違います、パリサイ派は偽善者なのです、天国に入ろうとする人を入らせないのがパリサイ派の教えなのです、世界中に信者を作ってさらに悪い地獄の子にしているのです、素直にイエス様の言葉に従うことです、外に放り出されて歯がみをして泣き叫ぶのはパリサイ派を信じた地獄の子なのです、天国に入ろうとしている信者を入らせない教えがパリサイ派の教えなのです、しっかりと自分で選択して後で後悔しないように、また他人に間違ったパリサイ派の教えを伝えないようにすべきです、イエス様の教えを伝えて裁かれることはありません、パウロの教えを否定して裁かれることは無いのです、イエス様を否定することが危険だと書いているのです、聖書における信仰とはイエス様に従うことなのです、パウロの教えは信じない方が良いですよと広めてイエス様に裁かれることは無いのです、イエス様がパウロの教えを信じなさいと言うならばイエス様に従うべきです、イエス様がパリサイ派の教えは天国に入らない教えだと言うならば絶対に守るべきです、パウロがどんな回心をしてもパリサイ派のパウロなのです、聖書ではパウロはパリサイ派なのです、どんな良いことを並べてもパウロはイエス様ではありません、イエス様を信じる信仰が信仰なのです、パウロを信じる信仰はキリスト教です、キリスト教では救われないのです、イエス様を信じる人が救われるのです、イエス様を信じていると言いながらパウロの福音を信じているのがキリスト教なのです、実に巧妙で狡猾に仕組んであるのです、見抜けないのは、その人も悪いとなるのです、地獄の子になって喜んでいるのが宗教なのです、イエス様に従うのが信仰です、パウロに従ったら天国には入れない地獄の子です。