日月神示を繰り返し読む 2024年08月03日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

日月神示 五葉の巻

あの子を生んで、この子を生んで去ったのです、その中に一人だけ良くない子が出来たのです、その子には海の藻草や山の菜や野菜を食べさせてください、段々良い子になるのです、霊界に方位はないのです、人民は東西南北があると申しているのですが、今に東の東が現われて来るのです、霊界では光の射す方が北です、その他の東西南北はすべて南です、北が元です、北(基田)が良くなると申してあるでしょう、鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時は舵(かじ)を放して、手放しで流れに任せると渡れるのです、舵を握ると同じ所をグルグルなのです、舵(かじ)を放せる人民は少ないのです、何んでもかんでも舵を握って自分の思う通りに舟を進めようとするから大変が起るのです、渦に任せる時は任せなければならないのです、ナルトの仕組みの大切な一面なのです、友をつくれと申してあるでしょう、友と申しても人間ばかりではないのです、山も友、川も友です、動植物も友です、一人の友を得たら一つの世界を得たことです、何もかもみな友です、友は己なのです、皆が己となれば己は無くなるのです、己が無くなれば永遠に生きられるのです、無限の己となるのです、御神前で拝むのもよいのですが、空を拝んでください、山も川も拝んでください、野菜を拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、また己となるのです、足りないことのないクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのです、お尻を出されたらお尻をキレイに拭いてやってください、怒ってはならないのです、お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのです、利子は後からでよいと申すのですが先に利子を払うこともあるのです、先にお尻を拭いてやらなければならないこともあるのです、世が迫って岩戸が開いたのですから、先にお尻を拭く事も出て来るのです、思ってもいないお尻を持ち込まれることもあるのですが、怒ってはならないのです、気持よく拭いてやってください、やがては神があなたのお尻を拭いて下さるのです、物を与えることは中々難しいのです、良く心して与えなければなりません、与えることは頂くことであると知らせてあるでしょう、与えさせて頂く感謝の心がなくてはならないのです、強く押すと強く、弱く押すと弱くハネ返って来るのです、自分のものと言うものは何一つないのです、この事が分かれば新しい一つの道が分かるのです、仕事はいくらでもあるのです、七つの仕事があるのです、七人の替えミタマがいると知らせてあるでしょう、高く昇らなければ遠くは見えないのです、目の先ばかり見ているから行き詰まるのです、道には落し穴もあるのです、心得て仕事に仕え祀ってください、岩戸は開かれているのに何をしているのですか、光が射しているのに何故背を向けているのですか、十の仕事をして八しか報酬がないことがあるのです、この場合二は神に預けてあると思ってください、神の帳面は誤りないのです、後から利子がついて返って来るのです、誠のお陰は遅いと申してるでしょう、昨日は昨日、今日は今日の風が吹くのです、昨日に囚われないでください、人民の道は定まっているのですが、目の前だけしか見えないですから踏み迷うのです、薬を飲んで毒死しないようにしてください、薬は毒、毒は薬です、大峠にも上りと下りとあるのです、馬鹿正直ではいけません、頭の体操、ヘソの体操が大切です、出し切ってしまうと味が無くなるのです、自分の力が隠せないようでは大仕事は出来ないのです、取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめてください、地球と言う大船に乗って一連託生です、現在の仕事が御神業と心得えてください、不満を持ってはならないのです、そなたが招いた仕事なのです、この道理が分からなければ迷信の迷路に入るのです、平等とか公平とか申すのは悪魔のワナです、天地を良く見てください、人民の申すような平等も公平もないのです、一寸伸びる草もあれば一尺伸びる草もあるのです、一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂天なのです、これが公平であり平等と申すものです、人民は選挙と申す麻薬に酔っているのです、選挙をすればする程、本質から遠ざかるのです、他に方法がないと定めてかかるから、悪魔に魅入られているから分からないことになるのです、世は立体であるのに平面選挙していては相成らないのです、平面の数で定めてはならないのです、立体の数に入ってください、悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっているのですが、もう悪の世は終わって岩戸が開かれているのですから、何とやらのように前から外れてアフンとなるのです、七重の花が八重に、八重が九重、十重に開くのです、七重はキリスト、八重は仏教、今の神道です、今までの教えは潰れると申してあるでしょう、兎や角申さずに掴(つか)める所から神を掴んでついて来てください、水は流れる所に流れているでしょう、あの水の姿です、善だけでは立って行かないのです、悪だけでも行かないのです、善悪でも、悪善でも行かないのです、岩戸と申しても天の岩戸もあるのです、今までは平面の土俵の上での出来事であったのですが、今度は立体土俵の上です、心をさっぱり洗濯して改心してくださいと申してあるでしょう、悪い人だけが改心するのではないのです、善い人も改心しなければ立体には入れないのです、この度の岩戸は立体に入る門です、八のつく日に気をつけなさいと申しててあるでしょう、八とはひらくことです、今が八から九に入る時です、天も地も大岩戸開きです、人民の岩戸開きには最も都合の良い時です、天地の波に乗れば良いのです、楽し楽しで大峠が越せるのです、神は無理を申さないのです、やればやれる時なのです、下手をすると世界は泥の海なのです、神々様も人民様も心の目を開いてください、新しい太陽は昇っているのです、悪を食べて暮さなければならない時が近づいたのです、悪に食われないように、悪を噛んで良く消化し浄化してください、悪は善の仮面をかぶっていることが多いのです、それでも悪も大神の中に生れたものであることを知らなければならないのです、ダマシたいものには一先づダマサレてやってください、ダマサレないようにしようとするからダマサレるのです、生命の樹の実は美しくおいしいのです、食べてはならないですが食べなければならないのです、肉体慾が先に出るから生命を失うのです、心で受け取って実を喜ばせて食べると良いのです、食べないで食べる秘密、一升枡(ます)には一升だけ入ると思っていますが、一升入れるとこぼれるのです、腹一杯食べてはならないのです、死に行く道となるのです、二分を先づ神に捧げてください、流行病(はやりやまい)は邪霊集団の仕業です、今にわからない病が、世界中の病が激しくなるのです、今に大きな呼吸(息)も出来ないことになると知らせてあるでしょう、(大きい呼吸が出来ない)その時が来たのです、岩戸が開けると言うことは半分の所は天界となることです、天界の半分は地となることです、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けないのです、今の肉体のままでは人民は生きて行けないのです、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れ替えて、ミロクの世の人民として蘇らせる仕組みを心得てください、神様でさえ、この事が分からない御方があるのです、大地も転位、天も転位するのです、誠の洗濯をすれば霊化されるのです、半霊半物質の世界に移行するのですから、半霊半物の肉体とならなければなりません、今のやり方ではどうにもならなくなるのです、今の世は灰にする(焼き尽くす)より他に方法のない所が沢山あるのです、灰になる肉体であってはならないのです、原爆にも水爆にもビクともしない肉体となれるのです、今の物質で作った何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのです、岩戸開きとはこのことです、少し位は人民つらいのですが勇んでやってください、大弥栄えの仕組みです