聖書を理解する 45号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

●疑問点➡神をののしる、民の障(さわ)なる

●考察➡神様をののしる人は災いとなりますので気を付けなければなりません、聖書では神を呪ったならば代価として「はんさい」を捧げるとなっています、はんさいは「いけにえ」のことです、今の時代でも「いけにえ」はしなければならないのかと言うと、いけにえの制度は終わってメシアを信じる時代となっています、そのメシアを殺したのが人類です、そんなことをして人類は幸せになれるでしょうか、イエス様をののしって幸せになれるはずは無いのが民の災い(障)です、イエス様とどのように付き合うのかが問われているのです、イエス様と共にいる感覚で毎日を過ごされている人は決して災いが起きないようになっているのです、聖書では過ぎ越しのまつりとなっています、災いが通り過ぎて行くための「おまつり」です、子羊の血を家の入口に塗る習慣です、血を塗るには子羊を殺さなければなりません、今の時代でも同じようにしなければならないのでしょうか、ですからメシアの信仰で過ぎ越しのまつりも含まれることになります、メシアへの信仰があらゆるまつりを含んでいる、それなのにメシアを殺した人類の罪は計り知れない大きさになっています、イエス様を殺した罪が消えていないのですから大きな代価を払わなければならないのが民の障だと考察されます、お詫びせよ、懺悔せよとは正しい信仰です、子羊を殺すのとイエス様を殺すのが同じだと信仰しているところに聖書の「ひっかけ」があるのです、人(自分)の子羊を殺しても罪には問われないのですが、神の子羊を殺したら犠牲は自分に来ます。