日月神示を繰り返し読む 2024年05月26日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

㉘日月神示 黄金の巻④

自分だけの信仰ならは私心私情のためです、自分を作ってから人を導くのであると理屈を申していますが、その心根を洗って自分でよく見つめてください、悪は善の仮面をかぶって心の中に巣食っているのです、仮面が理屈で、理屈は隠れ蓑(みの)です、洋服を脱いで和服を着てまた洋服を着るのです、仏の力と神の力と同じではないのです、同じ所までは同じですが、もうここまで来たのです、この先からは神の道(ミチ)でなくては動きがとれないのです、神の大理(オオミチ)は上の上なのです、神の理を明らかにすれば、神はその人を明らかにするのです、天使は天と地の和合者、仁人は地と天の和合者です、奥山奥山と申してあるでしょう、神示(ふで)は奥山から出て奥山で分けるくらいのことがどうして分からないのですか、誰も勝手にしてはならないのです、それぞれの順を立てなければ悪となるのです、分からないのは我よしだからなのです、元から固めて行かなければ何時までたっても小田原なのです、小田原も道筋なのですが小田原止まりでは世界の人民が丸潰れとなるのです、三分残したいために三千の足場と申してあるのです、早く三千の足場を集めてください、御役は苦労があるのです、どこで何をしていても道さえ踏んでいれば弥栄えるのです、行き詰ったら省みてください、自分の心の狂いが分かって来るのです、神から伸びた知恵と愛でないと人民の知恵や学や愛はすぐに潰れてしまうのです、やってみてください、根なし草には実は結ばないのです、お尻を出されたらお尻を綺麗にふいてやってください、怒ってはならないのです、自分の子供のお尻と思って拭いてやってください、分かった人は今の内は阿呆でも結構なのです、一つに和していてください、人間心で急いではならないのです、自分に捉われると局部の神、有限の神しか分からないのです、自分を捨てると光が差し込むのです、知は愛、息は真です、平面の上でいくら苦しんでも何もならないのです、逆にメグリを積むばかりなのです、どうどうメグリです、てんし様は奥山にお出ましです、省みると道を見出し、悟ると道が分かり、改めると道を進むのです、苦しむばかりが能ではないのです、自分の中にあるから近よって来るのです、厭なことが起って来るのは厭なことが自分の中にあるからです、肉体は親から受けたのだから親に似ているのです、霊は神から受けたのだから神に似ているのです、分かった守護神は一日も早く奥山へ出て来て神の御用が結構なのです、慢心が出るから神示を読まないようなことになるのです、肚の中に悪の気が入るからぐらぐらと折角の屋台骨が動いて来るのです、人の心が誠にならないと誠の神の力が現われないのです、ミタマ磨きとは善いと感じたことを直ちに行うことなのです、愛は神から出ているのですから神に祈って愛させて戴くようにすると弥栄えるのです、祈らずに自分だけで行うから、元を絶つから我よしに、自分愛になるのです、自分を拝むのは肉愛ではないのです、神と人の和は神よりなさるものなのです、本質的には人間から神に働きかけるものではないのです、働きかける力は神から出るのですから、人間から和し奉らねばならないのです、信じ合う一人が出来たら一つの世界を得たことです、一つ得たら二つになったことです、祈りを忘れることは神を忘れること、神から遠ざかることです、祈りを忘れてはいけません、安全な道を通ってください、安全な教えの所に集まってください悪く言われるのは結構です、何と言われてもビクつくような仕組みはしていないのです、天晴れ三千世界のミロクの仕組みは天晴れ(あっぱれ)です、これから先は神の力を戴かないことには少しも先に行けないことになるのです、行ったと思って振り返えると後戻りしていたことにがっかりするのです、心得てください、何もかも存在を許されているものはそれだけの用があるからです、近目で見るから善である悪であると騒ぎ廻るのです、大きな一神を信じるまでには部分的多神から入るのが近道なのです、大きなものは一目では分からないのです、この方は世に落ちての仕組みですから、落して成就する仕組みが結構なのです、神様は親ですから四角張らずに近寄って来て親しんでください、失敗するミタマの人もいるのですが、この方の仕組ですからめったに間違いないのですから、欲しい者には一先づ取らせておいてください、めぐりだけ取って行く仕組みです、苦しめたら改心は難しいのです、喜ばせて改心させるのが結構なのです、すべてを愛しなさいと申すのは高い立場のことです、九九(ここ)には九九の立場があるのです、よく心得てください、世の中には順序があるのです、順序がカズタマ(数霊)です、動くと音出るのです、音がコトタマ(言霊)です、物には色あるのです、色がイロタマ(色霊)です、世界が自分にうつっているのです、世界を見て自分の心を早く改心してください、世はグルグルと七変りするのです、今度は改心のために世界の民は皆一旦引上げがあるのです、神との経(たて)のつながりを忘れがちなのです、平面のことのみを考えるから平面のキのみ入るのです、平面の気のみでは邪であるのです、動機が善なれば失敗は薬です、世界の人民は皆改心してくださいと申しているのです、どんなめぐりある金でも持って居れば良いように思っているのですが、めぐりある金はめぐりそのものなのです、家が治まらないのは女が出るからです、夫を立てると果報は女に来るのです、天界に住む者は一人一人は力が弱いのですが和すから無敵なのです、幽界に住む者は一人一人は強いのですが孤立するから弱いのです、仲よく和してやってくださいと申している道理は分かりましたか、そなたは何万年の原因から生れ出た結果なのです、不足は言わないでください、四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者を引き寄せておいてその中から磨けた者ばかり選り抜く仕組みなのです、磨けない者は替わりのミタマはいくらでもあるのです、お出直しお出直ししてください、世界が二分となるのです、ものを見るのは額で見てください、ピンと来るのです、額の判断は間違いないのです、額で見る目に見の誤りはないのです、霊界には時間空間は無いと申していますが、無いのではないのです、違って現われるから無いのと同様であるのです、時間や空間もあるのです、悪の霊はミゾオチに集まって頑張るのです、黄金の巻は百帖です、黄金と白金とりどりに出るのです、慌てないでください、戴いた神徳に光を出す人民でないと、神徳を我よしにする人民にはお陰はやらないのです、自分が自分の思うようにならないのです、自分が自分のものでないからです、自分のものなら自由になると申してあるでしょう、道を進めば楽に行けるのです、道を行かないで山や畠や沼に入るから苦しむのです、神の仕組みの分かる人民が二分三分出来たらいよいよに取りかかるのです、未だ未だ改心が足りないのです、神は急いでいるのです、魂にメグリがあると何してもグラリグラリとなって成就出来ないのです、メグリのままが出て来るのです、心の良い者は神にまつわってこの世の守護神と現わすのです、理屈が分からなくても真理は掴めるのです、信念と真念は違うのです、信念は自分のものですが信念超えて真念があるのです、任せきったのが真念です、迷信が迷信でなくなることがあるのです、信念は要らないのではないのです、信念も必要なのです、もう待てないので分かった人民は一日も早く奥山に参って神の御用を結構につとめあげてください、世界中を天国にする御用の御役をつとめ上げてください、人間の念力だけでは何事も出来はしないのです、その念力に感応する神の力があるから人間には分からないびっくりが出て来るのです、戦や天災では改心出来ないのです、三千世界の建て直しですから、どんな人も下の神々様もアフンの仕組みで見事成就させるのです、良く神示を読めば、心で読めば仕組みの九分通りは分かるのです、死ぬ時の想念がそのまま続くのですから、その想念のままの世界に住むのです、この世を天国として暮す人は天国へ行くのです、地獄の想念は地獄を生むのです、真理を知れば良くなるのです、そんなことは迷信であると申しますが、求めて見てください、百日一生懸命に求めて見てください、必ずお蔭があるのです、神があるから光が射して嬉し嬉しとなるのです、真理を知って良くならなかったならよく省みてください、良くなるのが誠なのです、悪くなったら心しなければならないのです、善人が苦しむことがあるのです、良く考えて見てください、長い目で見て良くしようとするのが神の心です、目の前のお陰ではなく、永遠の立場から良くなるお陰が誠のお陰です、神徳は重いですから腰がふらつかないようにしてください、その代り貫いてくれたならば永遠(トワ)に散らない九の花となるのです、二二(富士)に九(苦)の花がどっと咲くのです、拍手は清めですが神様との約束固めでもあるのです、約束は破らないでください、富士の仕組みとは動かない真理、渦海の鳴門の仕組みとは弥栄えの限りなき愛のことです、神の理(ミチ)に入って、理(ミチ)を踏んでいれば、やり方一つで何でも良くなり、嬉し嬉しとなるのです、世の元から出来ているミタマの建て直しですから、一人の改心でも中々大変であると申しているのに、ぐずぐずしていると間に合わないのです、気の毒になるのです、メグリと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることです、メグリは自分でつくるのです、他を恨んではならないのです、美の門から神を知るのは誰にでも分かる一番の道です、芸術から神の道に入るのは誰にでも出来るのです、この道理は分かるでしょう、審判(さばき)の廷(にわ)に出たならば、世界は一人の王となるのです、御出ましが近くなったのです、自分を良くしてくださいと申していることは神を小使いのように思っているからです、大きくなってください、悪で行けるなら悪でもよいですが、悪は影ですから、悪では続かないのですから早く善に帰れと申しているのです、先祖は肉体人を土台として修業するのです、メグリだけの業をしなければなりません、心を入れ替えて奥山に参って、その場で荷物を持たせるようにしますので、ミタマを十分に磨いておいてください、神が力添えするのでどんな見事な御用でも出来るのです、慾が深いから先が見えないのです、悪神は今までは思う通りに、始めの仕組み通りにやれたのですが、もう悪の利かない時節が来たのです、早く善に立ち帰ってください、善の神まで巻き込んでのやり放題、これで不足はもうないでしょうから、いくら信仰しても借銭が無くなるまでは苦しまなければならないのです、途中でへこたれないように、命がけで信仰しなければ借銭清算は難しいのです、途中で色が変る紫陽花のようでは御用は難しいのです、心に凸凹があるから幽界のものに取り憑かれて、つまらないことになるのです、つまらないことを広めて亡びるのです