日月神示を繰り返し読む 2024年05月25日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

㉗日月神示 黄金の巻③

この方の許(もと)に引き寄せた人民の八九分通りの人は一度や二度は死ぬ生命を神が助けてめぐりを取って御用させているのです、奉仕してください、どんな御用でも勇んで勤めてください、腹に手を当てて考えて見てください、なるほどなぁと思い当たるのです、喉元過ぎて忘れているのです、神示を読めば神示の気が通うのです、神示を読んでください、神示をうつしてください、神示をうつす御役は結構なことです、うつしてうつしてください、人にうつしてください、世界にうつしてください、悪のミタマをなだめて抱き参らすには理解が大切なのです、野や森を見てください、水の流れにも宗教があるのです、これを人民が勝手に宗教にして一度下げるから神を犯すことになるのです、引き下げなければ分からないのですが心で悟ってください、目覚めた人の生活は弥栄えるのです、天国の礎、出足の地場は(二二)からです、二二(フジ)の道は秘文(ヒフミ)の道です、和です、奉る歌を書かせておいたになぜ読まないのですか、大きな声で読み上げてください、歌をうたってくださいと申してある時が来ているのです、歌でイワトが開けるのです、皆さん歌ってください、唄ってください、各自それぞれ心の歌をつくって奉ってください、歌は結構なのです

ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる

御前に、歌たてまつる、弥栄(やさか)み歌を

世を救う、大みいわざぞ、みことかしこし

まさに今、神のみことを、このみみに聞く

三千世界、救うみわざぞ、言(こと)ただし行かな

大神の、しきます島の、八十島(やそしま)やさか

天かけり、地(くに)かける神も、みひかりに伏す

堪えに堪えし、三千年の、イワトひらけぬ

したたみも、いわいもとおり、神に仕えむ

大稜威(おおみいず)、あぎとう魚も、ひれ伏し集う

かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに

神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく

国原は、大波うちて、みふみを拝す

天もなく、地もなく今を、みことに生きん

大みつげ、八百万神も、勇みたつべし

天地の、光となりて、みふで湧き出づ

一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず

大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血

すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん

高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し

吾れあらじ、神々にして、祈らせ給う

天地も、極まり泣かん、この時にして

かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき

天地も、極まりここに、御代生まれ来ん

大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道

みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん

宮柱、太しき建てて、神のまにまに

抱き参らせ、大御心に、今ぞこたえむ

言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし

ただ涙、せきあえず吾(あ)は、御前に伏す

ささげたる、生命ぞ今を、神と生まれます

大前に、伏すもかしこし、祈る術(すべ)なし

今はただ、いのちの限り、太道(おおみち)伝えむを

祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ

いのち越え、大きいのちに、生きさせ給え

ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し

言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな

天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し

嵐となり、天かけりなば、この心癒えむか

走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ

みみかくし、生命と生まれて、遠つ祖神(おや)さか

神々の、智は弥栄え、ここに吾れたつ

みたみ皆、死すてうことの、ありてあるべき

あな爽け、みたみ栄(はえ)あり、神ともに行く

さあれ吾の、生命尊し、吾(あ)を拝みぬ

みづくとも、苔むすとても、生きて仕えん

いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき

かへりごと、高らしらさんと、今日も死を行く

追い追いて、山の尾ことに、まつろはさんぞ

追いはらい、川の瀬ことに、曲なごめなん

みことなれば、天(あめ)の壁立つ、極み行かなん

と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし

まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ

棚ひじに、水泡(わか)きたり、御稲(みとし)育てんを

むか股に、ひぢかきよせて、棚つつくらむ

狭田長田、ところせきまで、実のらせ給え

神々の、血潮とならん、ことに生き行く

言さやぐ、民ことむけて、神にささげん

にぎてかけ、共に歌わば、イワトひらけん

大き日に、真向い呼ばん、神の御名を

道端の、花の白きに、祈る人あり

拍手の、響きて中今(いま)の、大きよろこび

悔ゆるなく、御前に伏し、祝詞申すも

祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如

祝詞申す、わが魂に、呼ぶ何かあり

御前に、額(ぬか)づきあれば、波の音聞こゆ

悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す

曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ

奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ

ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう

相談相談だと言って、見物人を舞台にあげてはいけません、見物人は見物席です、祈り祈り結構だと申しても邪の祈りは邪の道に落ちるのです、色々のお告げが出るのです、今がその通りなのです、お告げに迷うのです、良く審神(サニワ)して聞いてください、分からなければ神示を見てください、今度の仕組みはまだまだナルのです、なってなってなりの果てに始めて成るのです、生むのです、先づ金が無ければと申していますが、その心には誠が無いのです、キが元であるとあれほど申しても未だ分からないのですか、役員はどうどうめぐりです、ナルとは成る言(コト)です、成るは表で主なのです、ウムとはウムのことで、生むは裏で従なのです、ナルは内、ウムは外です、ナルには内の陰陽を合わせ、ウムにはソトの陰陽を合わせてください、成ると生むは同じですが違うのです、成ることを生むと申すことがあるのです、生むことを成ると見ることがあるのです、ナルとは渦とナルこと、自分が大きく成ることです、自分の中に自分をつくり、内に生きることです、ウムとは自分の中に自分をつくり外におくことです、このことが分かればイシヤの仕組みが分かるのです、神の御用だと申してまだまだ自分の目的立てる用意をしているのです、自分に自分がだまされないようにしてください、自分の中に善の仮面を被った悪が住んでいるに気づかないのですか、祓い清めの神がスサナルの神様です、サニワの神はウシトラのコンジン様です、それぞれにお願いしてからそれぞれのことを行ってください、この道に入って始めの間は、逆に損したり馬鹿をみたりするのです、それはめぐりを取って戴いているのです、それが終われば苦しくても何処かに光を見出すのです、お陰のはじまりです、次に自信がついて来るのです、胴が座って来るのです、心が勇んで来たなら、お陰が大きく光り出したのです、悪の霊はみぞおちに止まりやすいのです、霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従うものです、このことが分かればこの世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするのです、足には足袋(たび)、手には手袋、一番上の番頭、大将が悪いのではないのです、一の番頭が良くないのです、親に背くのはよくないですが、真理に背くのは尚悪いのです、眷族さんにも御礼申してください、大神様だけに御礼では仁義にならないのです、月日様では世は正せないのです、日月様であるのです、日月様がヒツキ様となりなされて今度の岩戸開きを開けるのです、当分は二(字)を通じて出してください、与えてください、口で言うこと良く聞いてください、肉体で言うことと神の申すことをよく聞き分けてください、霊媒を通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊なのです、はげしくなるのです、世界一列一平まだまだ出来そうで出来ないのです、奥の奥を見通してください、動きは必要であるのですが皮をむくのです、次も駄目で次も駄目です、その次の次が誠の一家です、寒い所が暖かくなり暑い所が涼しくなるのです、仏には仏の世界があるのですが、三千年でチョン切りだと申してあるでしょう、神示を示しても順を乱して来るのです、欲を出さないでください、順が乱れている所に神のはたらきは無いのです、人民は自由にしても良いと言っても悪の自由にしてはならないのです、喜んでください、よろこびは弥栄えの種(たね)を蒔くのです、祈りとは実行です、言わなければならないですし、言えば肉体が申すように思ってお陰を落とすのです、鼻高とは自分のものさしで測って分からないことを言うのですから学の鼻高さんには神も閉口なのです、何も知らない者が出て来て邪魔をするのです、余程しっかりしていてください、邪魔も御役なのですが、時と所によりけりなのです、神徳を積んだら人の前では自分を隠せるようになるのです、頭に立つ者ほど力を隠してください、昨日より今日、今日より明日と一歩一歩弥栄えてください、一足飛びは見ていても危ないのです、早く理解しないと後戻りさせなければならないのです、分からなければ後押ししなければならないのです、少しの時の早し遅しはあるのですが何れは神示通りに出て来るのです、想念は形式をもって始めて力が出るのです、物も神として仕えると神となるのです、相談と言うと人民ばかりで相談しているのですが神との相談が結構なのです、神との相談は神示(フデ)を読むことです、行き詰ったら神示(フデ)に相談してください、神示(フデ)が教えて導いてくれるのです、罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方です、神のやり方はその罪をも憎まないのです、生活が豊かになって来るのが正しい理(ミチ)です、行き詰ったら間違った道を歩いているのです、我では行かないのです、学や金では行けないのです、誠の知一つで行くのです、目的が良くても実行の時に悪い念が入ると悪魔に魅入られるのです、心してください、雨、風、岩となりいよいよ荒れの時節なのです、世界には何とも言えないことが起き、病も分からない病がはげしくなるのです、食うべきものでない悪を食って生きねばならない時が来るのです、早く悪を消化する胃袋にならなければ間に合わないのです、心の梅干は大切です、五十二才は次の世の始めです、五十六才七ヶ月はミロクの世です、今度集まってもまとまらないのです、世界の型を出して実地に見せてあるのです、骨が折れるのですが、実地に見せなければならないですし、まとまらないのを纏めて、皆がアフンとなる仕組みなのです、気の付く人民は早く元に帰ってください、心に誠があっても口に誠を伝えても実行しない者が多いのです、偽りに神の力は加わらないのです、偽善者が多いのです、祈り行じて洗濯すれば皆世界のサニワにもなれる結構なミタマばかりです、死産の子も祀らなければならないのです、逆怨みでも怨みは怨みです、理屈に合わなくても飛んだ目に遭うのです、今までの教えでは成り立たないのです、生まれ変わらなければ人も生きては行けないのです、平等愛とは差別愛のことです、公平と言う声に騙されないでください、数で決めるなと申してあるでしょう、群集心理とは一時的な邪霊の憑きものです、上から乱れているから下のしめしがつかないのです、我よしのやり方では世は治まらないのです、仲良しになって道を伝えてください、道を説いてください、一切を肯定して二九(軸)を伝えてください、悪神がかかったならば自分では偉い神様がかかっていると信じ込むものです、可哀そうですが、それも己の天狗です、取り違いです、霊媒の行いを見ればすぐ分かるのです、早く改心してください、霊のおもちゃになっている者が多い世の中です、大将が誰だか分からないことになるのです、先生と言ってあげると皆先生になっているのです、困ったものです、神々の数は限りないのです、一柱づつ御名を讃えていたのでは限りないのです、大日月の大神様と称え祀ってください、総ての神々様を称え祀ることなのです、日は父、月は母、キは自分です、自分を拝まなければどうにもならないことになって来るのです、一日が千日になったのです、テン(・)を忘れないでください、世を捨てて肉体を離れて天国が近いと教えるのは邪教なのです、合せ鏡ですから片輪となっては天国に行かれない道理です、邪教は迷信であるのです、金で世を治めて金で潰して地固めしてミロクの世にするのです、三千世界のことですから、少しの早い遅しはあるのです、人民は少し遅れると神示は嘘だと申すのですが、百年も続けて嘘は言えないのです、ここは元の古い神を祀って最も新しい道をひらくところです、天狗の鼻を折って早く奥山に参ってください、この世の仕事があの世の仕事です、この道理が分からずにこの世の仕事を捨てて、神のためだと言って飛び回る鼻高さんはポキンと折れるのです、仕事に仕え祀ってください、徳を積めばこそ天国に昇るのです、天国に行く人はこの世でも天国にいるのです、キタ(基田)はこの世の始めです