日月神示を繰り返し読む 2024年05月13日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

⑮日月神示 アメの巻②

日の出の神様がお出ましになります、日の出はイですからイの出となります、キの出でもあるのです、自分の心を自分で改めてください、人民と言う者は人に言われると腹の立つ事があるのです、腹が立つと邪気が起こるのでそれぞれ自分で改めてください、知恵や学ではどうにもならないという事が良く分かっていながら、まだ知恵や学で神の国の事をするつもりですか、分からないと申してもあまりにもひどいのです、何事も分かった臣民は口に出さないで肚に鎮めておいてください、言っても良い時は肚の底から人民びっくりする声で申すのです、神が言わせるのですから心配は無いのです、それまでは気(ケ)も出さないでください、二十二日の夜に実地を見せてあるでしょう、一所だけは清い汚れていない所を残しておかなければ足場は無くなり、足場が無くなってはならないのです、型を出さなければならないのです、神国の神の子は元の神の生神が守っているので、いよいよとなったら一寸の火水でひっくり返す仕組みなのです、末代の止(とど)めの建て替えですから、本当に腰を抜かさないように見ていてください、仕組みが長くかかったのでは元も子もなくなって国は潰れて道は滅びてしまいますから早く早くと気配もない時から気をつけているのです、神の申すことを聞く臣民人民はまだまだいないのです、この道は難しい道ではないので、そのままに説いて聞かせてやってください、難しく説くと分からないようになるのです、平たく説いてやってください、難しいのは理屈が入るからです、難しい事も臣民にはあるのですが理屈にはしないでください、理屈は悪なのです、霊術も言霊(ことだま)も良いのですが程々にしてください、三分位で良いのです、真中を行かなければならないのです、お金儲けをして食べてさえ行けば良いのだと今の臣民はまだ思っているのですが、それは四つ足の四つの悪の守護であること位分かっているでしょう、悪とは他を退ける事です、まつりまつりとくどく申してあることが未だ分からないのですか、今外国が良いと申している臣民は外国に行っても嫌われるのです、日本にも外国にも住む場所が無くなるのです、外国も日本もないのです、外国とは我よしの国の事です、神の国は大丈夫ですが、外国や日本の国が大丈夫とは言えないのだと分かりやすく申してあるのです、日月の集団を作ったり教会を作ったりしてはいけませんが・を入れた集団は作らなければなりません、〇も作らず・も入らなければ力が出ないことくらいは分かっているでしょう、馬鹿正直はいけないと申してあることを忘れたのですか、集団の作り方は知らせてあります、盲(めくら)にはとても困るのです、人の苦労をあてにして自分から進んで苦労しない様な人民では神の気概(きがい)には合わないのです、今度は苦労のかたまりの人に花が咲くのです、苦の花が咲くのです、二二(ふじ)に 九(コ)の花咲耶姫の神を祀ってくださいと申してあるでしょう、永遠に散らない誠の花が咲く世が来たのです、上面(うわつら)を洗えば表面は良くなるのですが、肚の掃除はなかなか出来ないのです、道を広める者から早く掃除してください、掃除がまだまだなのです、今度神から見放されたら末代浮ぶことは出来ないのです、食べ物を大切にして家の中をキチンとしておくのがカイの御用なのです、初めの行なのです、出て来なければ分からない様では、それでは神の力は無いのです、軽き輩(やから)なのです、それで神示を読めとくどく申しているのです、神の申す事が誠だと思いながら出来ないのは守護神が未だ悪神の息から離れていない証拠なのです、息とは初めのキです、気であるのです、悪神はどの様にでも変化出来るので悪の玩具(おもちゃ)にされている臣民人民は可哀想ですから、この神示を言霊(ことだま)高く読み上げて悪のキを絶ってください、今の内に神示をじっくりと読んで肚に入れて高天原となっていてください、まだまだ忙しくなって神示を読む暇もない様になって来るのですからくどく申しているのです、悪魔に邪魔をされて神示を読む気力も無くなる臣民が沢山出て来ますから気を付けておくのです、まだまだ人民には見当取れない妙な事が次から次にと湧いて来るのです、妙な事はこの方がさせているのです、神の臣民には心配ないのですが、心配がなくなった神の臣民は未だ未だいないでしょう、掃除される臣民には掃除する神の心が分からないので妙に見えるのも道理なのです、天の様子も変って来るのです、何事にも締め切りという事があるのです、臣民が可哀想と申してもキリがあるのです、キリキリ気をつけてください、人に言われての改心では役に立たないのです、我の心から改心してください、我(が)でやろうと思ってもやれないのです、それでも我でやって鼻がポキンポキンと折れるようになるかどうか、そうならなければ人民は得心出来ないのでやりたい者は自分でやって見るのも良いのです、やって見て得心改心してください、今度は鬼でも蛇(じゃ)でも改心させるのです、これまでは夜の守護でありましたがいよいよ日の出の守護と相成ったので物事の誤魔化しは出来ないのです、誠の人は良く神示を見てください、裏の裏まで見てください、神国の誠の因縁が分からないで三千年や五千年の近目ではスコタンだと申してあるでしょう、天四(てんし)様が天下を平げて誠の神国に、世界神国に致すのです、世界は神の国、神の国真中の国は十万や二十万年の昔からではないのです、世の元からの誠の一つの神の事を分からなければ益人とは言えないのです、神の申すことは一言半句も間違いないのです、人民はその心通りに写るので小さく受け取るから物事が分からないのです、間違いだらけとなるのです、人民が楽に行ける道を作って教えてやっているのに我を出すから苦しんでいるのです、神が苦しめているのではないのです、人民が自分で苦しんでいるのです、世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我を張っている様では今度は灰にするしか方法(ほか)は無いのです、怖くなってからの改心では御役は難しいのです、因縁あるミタマでも曇りがひどいと、御用は難しい事になるのです、神示を頂いたとしても役員顔すると鼻がポキンと折れると気を付けてあるでしょう、五十九柱はいくらでもあるのです、替えミタマがあると申してあるでしょう、務めた上にも務めなければならないのです、因縁深い人ほど罪も借銭も深いのです、岩戸閉めにも良い身魂があるのです、岩戸開きにも悪いミタマがあるのです、気を付け合って良い御用が結構なのです、勇んで務めてください、心から勇む仕事は良い事です、この方の好む事なのです、木の葉が落ちて冬となれば淋しいでしょう、紅葉(もみじ)ある内にと気を付けておいたのですが紅葉の山も落ちてしまったでしょう、他では分からない根本のキのことを知らせるこの方の神示です、三千世界の一切の事を説いて聞かせて得心させて上げるのです、落ちついて聞き落しのない様にしてください、悔しさが目の前に見えているでしょう、ドブ川に自分から落ち込む人民ばかりが出て来て、神の国は臭くて足の踏場も無いのです、それでも見ていてください、三千世界を一度に開いて世界一列一平一つのてん詞(四)様で治めるのです、地の世界に大将がなくなって五大州が引っ繰り返っていると申すことがまだ分からないのですか、目に見せても耳に聞かせてもまだ分からないのですか、尻の毛まで悪魔に抜かれているのにまだ分からないのですか、あまりにもひどい事なのです、これまでは高い低いの戦でしたが、これからは誠の深し浅しの戦(いくさ)です、誠とはコトです、口では無いのです、筆でも無いのです、コトなのです、コトに気をつけてくださいと申してあるでしょう、コト、コト、コトなのです、始めにウタがあったのです、終りもウタです、今も昔もウタなのです、人民も動物もウタを唄うのです、終りの御用の始めはウタです、ウタの集団(つどい)としてください、この神示をウタとして知らせる集団としてください、ウタの集団が始めです 、表です、裏の裏です、表の表です、道を開く表の終りの御用です、江戸の御用が終わりましたので次は尾張の御用と申してあるでしょう、カイの御用も忘れてはならないのです、食べ物の集団も作らなければならないのです、カイの御用の事です、この集団も表に出して良いのです、時節に応じてどうにでも変化出来るのが誠の神の集団です、不動明王殿も力があるはずなのに、あそこまで落してあるのは神に都合ある事なのです、世に落ちている守護神と世に落ちている神々様と世に出ている神々様と世に落ちて出ている守護神殿とを和合されて物事をやってください、二人でやってくださいと申してあるでしょう、分かりましたか、一番尊い所を一番落してあるのです、この事が分かって来て天晴れ世界が唸(うな)るのです、落した上にも落して、もう落す所が無い様にして上下が引っ繰り返るのです、引っ繰り返すのではないのです、引っ繰り返るのです、この事は間違えないでください、この道は難しい道ではないのです、欲を離れて、命を離れてなる様にしていてくれたらそれで良いのです、今が神国の初めです、今までのことはすっかり役に立たないのにまだ今までの事を申して今までの様な事を考えていますが、それが盲聾(めくらつんぼ)なのです、今までの事を自慢すると鼻がポキンとなるのです、皆が鼻ポキンとなるのです、まだまだ俘虜(とりこ)になる者が沢山ありますが、今度の俘虜(とりこ)はまだまだです、いずれは元に帰って来ますから、元に帰って又盛り返して来るのですが、またまた同じことを繰り返すのです、次にまた捕えられる者が出て来るのです、次はひどいのです、これも因縁なのです、神の国は誰が見てもどう考えても、二度と立ち上がれないで人民が皆外国に味方する様になって、この方の申した事、神示に書かせた事が皆嘘(うそ)だと申す所まで世が落ちてしまってから始めて神力が現われるのです、人民臣民は早合点しているのですが、九分九分九厘と申してあるでしょう、事務所は作らなくてもよいのです、事務所を作るのは表の仕組みです、裏の御用は事務所は禁物です、それぞれの役員殿の住む所が皆それぞれの事務所なのです、良く相談してやってください、段々と分って来るのです、表と裏とあなないです、あなないの道であると申してるでしょう、引き寄せる身魂は、天で一度改めてから引き寄せるのです、今は役に立たない様に臣民や役員の目から見えても袖にしないでください、地でも改めをしてまだまだ曇りを取らなければならないのです、磨けば皆結構な身魂ばかりなのです、人民の肚が冴(さ)えたら天も冴えるのです、心が鎮(しづ)まれば天も鎮まるのです、神勇むのです、我(が)はじっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出せないのです、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)ったこの方の御用は出来ないのです、毒にも薬にもならない人民は草木に変えてしまうのです、この神示を無闇(むやみ)に見せないでください、神示は出ませんと申してくださいと申してある事を忘れないでください、天の規則を地でやる事になっているのです、今度規則を破ったら暗い所へ落ちて末代浮ばれないきつい事になるのですから、神はくどく気を付けておくのです、次に世に出る番頭殿もまだ神を無きものにしていますから一寸先も分からないのです、先が分からずに人間の勝手な政治をしては世は治まらない道理なのです、三日天下でお出直しです、その次もその次もまたお出直しです、この神示を良く見てこの先どうなるか、この先はどうなると言う事を神は計画しておいでになるかと言う事が分からないのでは政治は出来ないのです、政治をすればする程悪くなるのです、神には悪くなる事が分かって呑んでいるのですから、何んなことがあっても心配ないのですが、それでは臣民が可哀想なので、この神示をウタにして印刷して世によき様にして皆に知らせてやってください、表の集団で良いのです、神は天からも地からも昼も夜も九十(コト)で知らせているのに、九十(コト)を聞く身魂が無いから、九十(コト)を聞く御身(みみ)が曇っているから、人民には分からないのですが、あまりにも分からないのでは通用しないのです、早く洗濯掃除してくださいと申しているのです、人の十倍も今の仕事してその上で神の御用をするのが洗濯掃除であると申して知らせた事を忘れたのですか、地に足を着けてくださいと申した事が分からないのですか、百姓にも大工にもなれと申した事が分からないのですか、天の地もあるのです、天の百姓、大工もあるのです、善と悪とを小さく別けるから分からないのです、大きく目を開いてください、松を食べてください、松を食べれば分からない病が直るのです、松心となってください、何時も変わらない松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民に幸あれ、四八音(ヨハネ)が世に出るのです、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現われるのです、用意してください、それまでにさっぱり変えてしまうのです、天も地も変るのです、この方等が世を建て直すと申してもこの方等が世に出て威張るのではないのです、世を建て直して世は臣民に任せてこの方等は隠居するのです、隠れ身なのです、地から世を持って嬉し嬉しと申すことは楽しみです、神の子なら親の心を良く汲み取ってください、この神示を読まないでやれるならやってみてください、あちらでゴツン、こちらでゴツンと崩れるのです、大事な仕組みを早く申せば邪魔が入るし、申さないでは分からないし、どうしても素直に致すのが一番の近道なのです、素直になれないのは小才があるからです、鼻高だからです、神の国は神の国のやり方あると申してあるでしょう、良い事は取り入れて悪い事は捨てて皆が気を付け合って神の国は神の国です、金は金であり、銀は銀であると申してあるでしょう、盲ではならないのです、カイの御用もオワリの仕組みも何も彼も裏表があるのです、裏と表の他に裏表あるのです、ウオヱであり、アとヤとワなのです、三つあるから道なのです、神前に向って大きくキを吸い肚に入れて下座に向って吐き出してください、八度繰り返してください、神のキを頂くのです、キとミとの間の霊気を頂くのです、ひふみがヨハネとなり、五十連(イツラ)となりなって十二の流れとなるのです、ムがウになるのです、ンになるのです、ヤとワと掘り出してください、十二の流れは結構です、知らせてあるでしょう、今までの考え方やり方を続けるならば建て替えではないのです、何もかも上中下すっかりと建て替えるのです、外国は龍宮の音秘(オトヒメ)様がグレンと引っ繰り返しなさるのです、龍宮の音秘様、雨の神様の御活動が激しいのです、今度次の大変が起きて来たらいよいよなのです、最後のトドメなのです、今度こそ猶予は無いのです、キリキリ舞いですから用意してください、三四月に気を付けてください、キが切れるのです、信心の無い者はドシドシ取り替えるのです、この中は誠一つに清めてください、天明はまだまだです、世の元の型はまだまだです、神の仕組みは成就しないのです、神人共にと申してあるでしょう、神は厳しいのです、ぬらりくらりとぬるくっているのですが厳しいのです、役員が多くなくても心を揃えて胴をすえていてください、神が行うのですから、この世に足場を作っていてください、神は無理は言わないと申してるでしょう、無理は言わないのですが少しも気を許してはならないのです、すべて身魂相当にさせているのです、早く掃除してください、己の戦がまだ終わっていないのです、早い洗濯掃除が結構なのです、この方の神示が元であると分かっていながら他の教えでこの道を開こうとしても開けないのです、鏡が曇っているから曲って写るのです、一人の改心ではまだまだなのです、一家揃って皆が改心して手を引き合ってやってください、外国人も日本人もないのです、外国々々と別け隔てする心は悪なのです、この世と申しても臣民の世ばかりではないのです、神の世界も引っくるめて申しているのです、勇んでやってください、勇む所にこの方が力添えするのです、この方は心配顔は嫌いです、歌を唄ってください、笑ってください、笑えば岩戸が開けるのです、今の人民はキリキリ舞いしながら、まだキリキリ舞いする様にもがいているのです、土に返ると申してあるでしょう、早く気付いた臣民人民から楽になるのです、神の守護と申すものは人民からは少しも分からないのです、分かる様な守護は低い神の守護です、悪神の守護です、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には分からないのです、どんな事があっても不足を言わないように心してください、不足は悪なのです、すべては人民の気からであるとくどく申してあるでしょう、人民はキから起って来たのです、我の難儀は我が作るのです、我を恨むより方法は無いのです、この方は人民の心さえ定まれば自ら出て手柄を立てさせるのです、手柄は結構なのです、この世の物は一切神の物であると言う事がまだ分からないのですか、一切を取り上げられてから、なるほどなぁと分かったのでは遅いので嫌がられてもくどく同じ様な事を申しているのです、人民の苦しみはこの方の苦しみなのです、人民もこの方も同じものなのです、この道理は分かりましたか、この方は人民の中に居るのです、別辞(ことわけ)て申しているのです、まだまだ大きな激しい戦があるのです、これで世が良くなると思っていると大間違いとなるのです、これからが褌となるのです、良い世界となれば褌は要らないのです、フラリフラリと風に吹かれるヘチマと同じなのです、ヘチマは愉快で嬉しいものです、風の間に間に雨の間に間にユラリユラリと嬉しいでしょう、何もかも嬉しいのです、真から楽しい世なのです、誠が神であるのです、コトが神であるのです、元であるのです、道であるのです、日であり月であるのです、始めに言葉があったと申してあるでしょう、キであるのです、まつりであるのです、天地の先祖、元の神の天詞(てんし)様が王の王と現われなさるのです、王の王はタマで御現われなされるのです、礼拝の仕方を書き知らせます、節分から始めてください、先づキを整えて暫らく目を閉じて心を開いて、一拝二拝八拍手、またキを整えて一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と言(こと)高く宣ってください、またキを整えてひふみ祝詞を三回宣ってください、これはこれは喜びの舞い清めの舞い祓いの歌です、世界の臣民は皆宣ってください、身も魂も一つになって宣って歌い舞ってください、身魂(みたま)全体で拍手するのです、終ってからまたキを整えて一二三四五六七八九十、一二三四五六七八九十百千卍(ももちよろず)と言高く宣ってください、神気を整えて天(アメ)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈ってください、これは祈るのです、九二(くに)のひつくの神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈ってください、終わりに八拍手してください、次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼申してください、終ってから神々様のキを頂いてください、キの頂き方は前に知らせてあります、キは臣民人民の何よりの生(いき)の命の糧(かて)であるのです、病がなくなる元の元のキであるのです、八度繰り返せと申してあるでしょう、暫くこのように拝んでください、神代になるまでにはまだ進むのです、それまではその様にしてください、この方の申す様にすればその通りになるのです、さまで苦しみなくて大峠越せるのです、大峠とは王統を消すのです、新しき元の生命(いのち)と成るのです、神の心となれば誠が分かるのです、誠とはマとコトです、神と人民が同じになれば神代なのです、神は隠身(かくりみ)に人民が表に立ってこの世治まるのです、雀の涙ほどの物を取り合いへし合いして、何をしているのでしょうか、自分のものだとまだ思っているのでしょうか、御恩とは五つの音の事です、御音(恩)は返さなければならないのです、この事は良く考えて間違わない様にしてください、この巻は雨の巻です、次々に知らせますからミタマ相当に選り別けて知らせてやってください、コト分けて一二三(ひふみ)として知らせてやるのも良いのです、役員の皆に手柄を立てさせたいのです、臣民人民の皆にそれぞれに手柄を立てさせたいのです、待たれるだけ待っているのです、一人だけの手柄は悪です、別けあってやってください、手を握ってやってください、石がものを言うのです、十六の八の四の二の一目出度や目出度やなぁ、神の仕組みは世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変わり八変わり、九(ここ)の十々(たりたり)て百千万(ももちよろず)の神の世弥栄え