志賀さん | 台風373号。

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井上みなみのブログです。

青年団の志賀廣太郎さんが亡くなりました。

きちんとした言葉で言い表すことが、まだあんまりしっくりきていない。生々しい感じです。志賀さんが、死んじゃったんだ。

訃報を聞いてから二晩は、なにをしててもふと涙が溢れてしまって、最後のお別れも出来てない、もう一年も会えていないのに、居ないということをこんなに実感できてしまうのはなんでなんだろうと思った。
報道が出た日の夜に、ツイートをしたのだけど、なんか私の勘違いなんじゃないか、もしかしてとんでもないツイートしたんじゃないか、と思って何度もメールを確認して、何度もwebニュースを検索した。

わたしが青年団に入団した2010年から数年は、劇団で最年長が志賀さん、最年少が私だった。いろんな役で共演した。

俳優として印象的だったことは、2016年の「ニッポン・サポート・センター」。春風舎で実寸に近いサイズでの稽古だった。このとき稽古の最中に、ちょっと理不尽なことで志賀さんに叱られて、ムッとしたりしたのもよく覚えてる。笑
志賀さんが長台詞の途中で黙って舞台を5歩位歩く、というところがあった。私はそのシーンに出ていなくて、客席から稽古を観てた。演出なのか、志賀さんのプランなのかわからないけど、ゆっくり歩いたその5歩に、なんでかぶわーっと涙が出ちゃったのでした。ああいう、人生が詰まった5歩を、舞台上で歩ける俳優になりたいと思う。この頃、志賀さんの足首はむくんでいて、少し心配だった。

最後に会ったのは、ちょうど一年前に、木引さんとふたりで病院にお見舞いに行った時。天気がよくて気持ちいい日で、駅から少し歩く道のりが楽しかった。病室ではテレビが付いてた。志賀さんは単語しかしゃべらない。しばらくしたら、テレビから志賀さんの声が聞こえてきて、志賀さんがナレーションをした番組だった。放送を知ってて、私たちに見せたくてテレビを付けてたらしい。嬉しそうだった。テレビを指差しながら「また」と繰り返して言って、木引さんが「そうだね、また復帰しようね。」って言った。

いつも思うのだけど、亡くなった人のことを話すときに、過去形になってしまうのがすごく悲しい。記憶やエピソードは過去だけど、志賀さんがお茶目で頑固でいい声なのは、今も変わらない。素敵な人でした、じゃなくて、素敵な人です、って言いたいなあと思う。

あと50年くらいしたらまた会えるのかなあ。
そのときはまたみんなで演劇しましょう。「ソウル市民」がいい。(私ももう幸子をやるには無理のある年齢だろうけど、それは許してね。)

ひとまずゆっくり休んで、美味しいお酒を飲んでください。
志賀さんありがとう。またね。