風の痛み  Another Tale Of Minako -2ページ目


「相変わらず、神業ですね」
インカムに俺の分隊の一人、ビェラクの声が入る。
「神は狙撃なんかしないだろう」
「小隊長の背中の東洋の神様のことですよ」
ビェラクは、俺の背中の刺青のことを言っている。
不動明王という東洋の破壊の神様らしいのだが、詳しいことは知らない。
「これだけ離れて、走ってるやつをヒットできるのは小隊長ぐらいのもんですよ」
ビェラクも腕は悪くない。
軍の狙撃競技では、五本の指に入る。
そのビェラクでも二〇〇㍍離れて不規則に動くターゲットを撃ち抜くのは不可能だ。

SV-98の初速は、音の二倍以上の速さだ。
ターゲットは、空気の引き裂かれる音と自分の骨が砕ける音を同時に聞く。
銃の発射音を耳にするのはその後だ。
それまで生きていればの話だが…。
ただ、初速の速さなら、米軍のM16など、アサルトライフルの方が速い。
M16の五.五六ミリ高速弾は、その名の通り確かに速いが、軽すぎる。
速いということとまっすぐ飛ぶということは別のことだ。
M16の有効射程は、五〇〇㍍ということになっているが、実際、三〇〇㍍を越えると、風の影響を受けて、ほとんど当たらない。
どこまでも低い弾道で飛んでいく、それが狙撃銃だ。

アサルトライフルよりも遅いとはいえ、それでも音の二倍以上の速さで飛んでいく。
それほどの速度でも、二〇〇㍍離れると、弾着するのに〇.三秒かかる。
たかが〇.三秒と思うかもしれない。
ジョギング程度の走りでも、〇.三秒あれば、人は十センチほど移動する。
十センチ先を狙って撃たなければ当たらない。
突然、走り出した人間の〇.三秒後の位置を狙うのは、ビェラクの言うとおり、もはや人の領域ではないと言っていいかもしれない。

「五発、連続で撃った。……場所を知られたかもしれん。よく、見張ってろ。来るぞ」
「了解」
ビェラクも十分にわかっているだろうが、念を押した。
狙撃位置は、特定しにくい。
特に市街地ではなおさらだ。
発射音が、ビルに反響するので、音の方向がわかりにくい。
ただし、連続して撃つと、発見される可能性は高くなる。
発見されて、接近戦になれば、狙撃もくそもない。
いや、接近戦でなくても、真正面のビルからロケットランチャーでも打ち込まれれば、それまでだ。

俺は三階の東の端にいる。
ビェラクは二階の西の端で、俺を狙ってやってくるやつらに備えている。
狙撃手が建物の上の階にいる場合、逃れるには、その場所に最も近いところを全力で駆け抜けるというのが鉄則だ。
狙撃というと、やたら高いところに上りたがるやつがいる。
五階建てのこのビルの屋上にもいくつか薬莢が転がっていた。
おそらく一五二連隊だろうが……映画の見すぎだ。
上がれば上がるほど、ターゲットが遠くなり、角度がつきすぎて、ヒットポイントが狭まる。
俺のいる三階からでさえも、真下は見えない。
真正面のビルは、その前の歩道までしか見えないのだ。
そこから、ダッシュされたら、とても狙えない。


正面のビルで何かが動いた。


「スアド、本当にあのビルなのか?」
ボヤンは、信じられないという表情でスアドに訊く。
これで二回目だ。
「ああ、間違いない。三階の、あの窓から白煙が見えた」
「こんなに離れて、走ってるやつに当たるものなのか? その後も、一発も外してないんだぞ」
「信じられないが、煙が見えたのはあの部屋なんだ。間違いない」
スアドの目は確かだ。
それはボヤンも信じている。
「まぁ、お前が言うんだから、間違いないんだろうけど……。どんなやつなんだ? 化け物だな」

昨日まで、敵の狙撃兵が何人も通りに銃を向けていた。
しかし、狙撃でやられたことはない。
今までに出た死傷者は二人。
通りを横切ろうとしたとき、運悪く、敵の兵士が二人いて、そいつらに撃たれたのだ。
それ以来、念入りに周りを警戒するようになった。
怖いのは、警備の兵士に出くわすことで、誰も狙撃兵にやられるなどとは思ってもいなかった。
それが今日、一瞬にして変わった。

シュタカが撃たれた。
アルミン・シュタカ、最も勇敢で、いつも真っ先に通りを横切る男だった。
まずシュタカが渡り、警備兵がいないことを確かめてから、他の者が後に続いた。
シュタカだけじゃない。
五人を一瞬にして失った。
いや、三人はまだ生きているかもしれないが、助けようがない。
そこにはもう、警備兵が集まって来ていた。

助けられないが、仇はとる。
目の前で仲間が次々に倒れていく中、スアドは必死に音の方向を探り、建物の外にわずかに飛び出す発射煙に目を凝らした。
そして五発目にようやく、狙撃手が潜むビルとその部屋を特定したのだ。
スアドとボヤンは、その正面にある、細長いビルの一階に潜り込んでいた。

「まだ、同じ場所にいるかな?」
ボヤンが、誰に言うともなく呟く。
「さぁ……普通なら移動しているだろう」
「どうする……突っ切るか、ここを……」
「いや、上に狙撃手がいるんだ。下で周りを見張ってるやつがいるだろう」
「じゃぁ……これだ」
ボヤンが、ロシア製対戦車ロケット弾RPG-7(エールペーゲー・スィェーミ)を、肩から下ろした。
「三階のあの部屋だな」
このビルの三階から、正面のビルの、狙撃手が潜む部屋に打ち込む気だ。
「行くぞ」
ボヤンは後にいる一六歳のケーノに声をかけた。
ケーノは、AK47にGP30を取り付けている。
小銃用のグレネードランチャーだ。
建物の中に潜む敵をやるには、RPG-7よりも有効かもしれない。
スアドは、じっくり周りを見渡す。
今のところ、近くに警備兵の姿は、見当たらない。
撃たれたシュタカ達の現場に集まった警備兵も、ここに気づいている様子はない。
(罠かもしれない……)
すでに警備兵があたりに隠れているかもしれない。
だとしたら、今このビルの階上に行くのはきわめて危険だ。
このビルを囲まれたら、逃げ場はない。
数ではかなわない。
目の前で仲間がやられ、ボヤンは明らかに冷静さを失っている。
だが、ボヤンは、やる気だ。
やるなら、一刻の猶予もない。
警備の兵士が来る前に片付けなければならない。
「もう移動してるかもしれないぞ」
スアドは、どうするべきか決めかねた。
「わかってる。……ここで見張っててくれ」
ボヤンは、イヤホンを耳に差し込むと、スアドの携帯に電話をかけた。
スアドは携帯を通話中にする。
ボヤンとケーノの姿がビルの中に消えた。
4                           rpg7

「今、正面のビルで何かが動いた」
正確には、動いたような気がしただけだが、確信はある。
「どっちのビルですか?」
もう一人の部下、ボシュコの声だ。
やつは、東隣のビルの三階にいる。
俺のいるビルの正面には、細長いビルが二棟、並んで立っていた。
「右だ、東側の、壁がピンクの方だ、何か見えるか?」
「いえ、何も……小隊長の部屋を狙ってるんでしょ。窓に近づいたら、一発でしとめますよ」
「狙撃とは限らん。奥から、いきなりロケット弾ってこともある」

「一階に、人影があります」
ビェラクの声が入った。
「武器を持っているか?」
「いえ、確認できません」
「移動する」
気に入った場所だったが、長居は無用だ。
俺は、二部屋隣へと移動した。