10週目健診で胆道閉鎖症と診断された娘は、その翌々日に急遽葛西手術をうけました。残念ながら手術は成功せず、そのまま入退院を繰り返しながら2年半ほど移植を待っていました。というのもオーストラリアでは脳死移植が主流なので、患者がギリギリの状態になるまでリストに載せてもらえないからです。親としてはもどかしい思いでしたが、移植リストに載ったら数週間以内でドナーが現れるこの国にいた事は恵まれていた環境だったと言えます。

 

 

3歳になる少し前にとうとう治療も打つ手がなくなり、娘を移植のリストに載せる事になりました。移植コーディネーターの話通り、ドナー候補はすぐにやってきました。覚悟して病院にかけつけた一回目はダミーラン(ドナーとレシピエントがマッチせず)で、病院で力が抜けてしまったのを覚えています。

 

 

その数日後に現れた2人目のドナーはマッチし、そのまま移植手術へと突入。10時間以上に渡る手術は一旦成功と思われましたが、術後数日して容態は悪化。移植成功率約95%と言われている世界でも有数の病院でしたから、移植チームも医師も看護婦もみんなとても動揺していましたし、再移植が決定されたと通告された日は、私ももう耐えきれず自分が壊れるぐらい泣け叫びました。

 

 

その後緊急リストに載る等色々な経緯をものすごいスピードで駆け抜け、3人目のドナー候補が現れました。また十数時間の移植手術に耐え「今度こそ成功」となったのが、今から4年前の出来事です。

 

 

あれから4年、最初は走れるようになっただけで大喜びしていたのが、その翌年はかけっこで1番になりたいと言いだし、今は週1回体操クラスに通いどこでも側転する元気いっぱいの子になりました。

食べては嘔吐を繰り返したあの時なんて忘れてしまうぐらい今は食欲旺盛で、目を見張っていないと勝手にパントリーを漁って食べてしまうほどになりました。

今は学校で友達作りに悩んだり、ブーブー言いながらも宿題をこなす姿も、幼稚園も休みがちで自宅療養で家に引きこもっていた時期では考えられなかったことです。

 

 

もうすぐ7歳になるということもあり、この日は彼女の病気の事、移植とは何か、そしてどれだけの人にサポートしてもらったかということを本人と双子の片割れにも説明できる歳になりました。その後、本人も双子の姉も、ドナーさんの家族に初めて自分たちの言葉でお礼のお手紙を書き、移植コーディネーターに渡しに行きました。ドナー家族さんに少しでも感謝の気持ちが伝わりますように。お陰様で私たちは毎日元気いっぱいに暮らせています。

 

 

今でも、移植時に移ってしまったEBウィルスとの闘いや現在世界中で流行しているコロナウィルスなど、免疫抑制剤を服用している限り心配はつきません。でもそれ以外は、普通の子と同じと思われるまでになりました。ただ、クラスの子にお腹の大きな傷について聞かれたり、黄疸が残ったままの黄色い歯も容赦なく指摘されたりして、本人も良くない思いをする時もあるようですが、それらは勲章であるということ、人はみんな違って当たり前だと話しています。他と比較したり、見た目で差別したり揶揄ったりするような子にだけはならないよう、育てて行きたいと思っています。そしてこれからも、みんなに守ってもらった私達家族を大切にしていこうと思います。

 

娘を応援してくださった皆さん、あれから4年経ちました。ここまで来れたのも皆様のおかげです、心から感謝しています。

 

 

今では元気いっぱい、笑いいっぱいの家族になりました。

 

*4年前の移植前後の話はこちらです。

いよいよ移植のリストに。