昨日、移植リストに載せる最終段階ともいえる、移植チームとの顔合わせがありました。

メルボルンでは通常、大人の移植はオースティン病院というところでするらしく、移植チームはその病院内にありました。ミーティングはここでしたが、娘の手術はいつものロイヤルチルドレンズ病院で行われるので、手術当日はこの移植チームがそこまで出向いてくれるそうです。

いつもと違う病院で迷いながらもLiver Transplant Unit(肝臓移植ユニット)にたどり着くと、ナース達が全員出て来て、笑顔で迎えてくれました。それぐらい一人一人を大事にしてくれている、そんな印象を受けました。ナース達は双子だったのを知らされていなかったようで、大興奮。ビックリして後ずさりする双子にもまた大喜び、という感じでした。

娘の写真がないからということで数枚撮った後、皆に見送られ、執刀医の部屋へ。かの有名なプロフェッサー•ジョーンズ先生が、これまたとても素敵な笑顔で迎えてくれました。

ジョーンズ先生の部屋に入る前に、壁に写真がかけてありました。娘と同じぐらいの女の子が、かなり酷い黄疸を発症していて、医療処置を受けながらぐったりとお母さんの腕に抱かれている写真と、その右側にものすごく幸せそうな笑顔の女の子の写真が並んで一枚の額に入っていました。その子の肌は真っ白でした。

「左が手術前の写真、右が術後一ヶ月の写真よ。そう、同じ子よ。」とナースの1人が言います。この写真を見て、自分の娘と被らない親がどこにいるでしょう。肩を震わせる私に、「あなたの子もこうなるのよ。」とナースが肩を抱いてしっかりと言ってくれました。やっと娘を病気の苦しみから救える時が来たんだと思うのと同時に、急に今までの疲れをどっと感じました。終わりが見えるというのは、こういう事なんですね。

腫れぼったい目でジョーンズ先生のお部屋に入ると、とても優しい表情で手を差し伸べられました。この手が娘を救ってくれるんだと思うだけでまた言葉に詰まりそうでしたが、この貴重な時間をしっかりと活用せねば!と喝を入れて何とか持ち直すことができました。かーちゃん頑張らんと!

ジョーンズ先生は、とても穏やかなジェントルマンで、私の片言英語にもきちんと最後まで耳を傾けて正確な答えをくれる先生でした。色んな可能性の話(悪い方の)ももちろん出ましたが、その場合の対応もしっかりと教えてくれたので、前よりもずっとずっと安心できました。

娘はリストの中でも優先順位が高く、子ども自体現在移植待ちの子が少ないので、今日リストに載せて明日電話があるという事もありうる、と言われました。ただ、電話が鳴って病院に走っても、脳死移植できる質の肝臓じゃなかった、という確立が30%、と「ダミー•ラン」と呼ばれる状況も教えてくれました。でも現状、2ヶ月以内には移植できるだろうと言う事です。

前のエデュケーションミーティングで移植コーディネータに脅された、”肝臓を入れてみたけど合わなかった場合、緊急で次の肝臓を探さないと命を落とす”という状況について、念のため生体肝移植も出来るようにしておいた方がいいのでは、と提案すると、ジョーンズ先生は首を振って、「大丈夫。万が一最初の肝臓が合わなかったとしても、タイムリミットまでに必ず次の肝臓が見つかる、ここはオーストラリアだから。」と、自信を持って言われました。「それに、生体肝移植は計画的にできるけど、もらえる部分が限定されている、脳死移植の方が欲しい所を全部根こそぎもらえるから娘さんにとってもそっちのがいいんだよ。」とのことでした。ただ3ヶ月経ってもドナーが現れず、娘の状態が悪化しているようなら、その時には生体肝移植も考えましょう、と結論で落ち着きました。

先生が最後に言いました。

一番大切なのは、君たち両親と僕たち移植チームの信頼関係です。どうか僕たちを信じてください。

…ああ、やっぱりこの言葉が一番聞きたかったのです。細かい医療の事はあとは出たとこ勝負で、状況によっては呼吸器をつけたり再移植をしないといけなかったりと色々出て来て、漠然とした不安は払拭できないんですが、やはり医師を信頼できれば自分が精神的に落ち着いて娘に力を十二分に注げますから。

そんな1時間に渡る会合を経て、確固たる覚悟が出来ました。今晩か明日、遅くても来週の月曜日には、娘は肝臓移植リストに載ります。病気が発覚したのが生後10週、このままだと2歳までは生きられないと宣告されたあの日から、2年6ヶ月経ちました。今日まで私たち家族を支えてくださった家族、友人、ジャパニージーの仲間達、同じ病気を抱えていらっしゃるご家族の皆様、皆さんの応援支援のおかげで今日までやってこれたと言っても決して過言ではありません。皆さんの温かい存在に心から感謝し、これから起こる大試練に向けて、皆さんの気持ちを支えにまた、頑張っていこうと思います。

とりあえず節目として。

今日まで本当にありがとうございました。そして引き続き応援よろしくお願いします!