1日目(2025/02/23(日)) その6
武豊→半田
おはようございます
昨日はこちらでも雪が降りました。その前の日は気温が20度を優に超えていたのでこの温度差で体を維持するのは厳しいですね 雪は本日も降る見込みです。
この間の週末がやはり南伊豆の桜が見頃だったようですが、あそこまで行く元気は残っていませんでした
↓前回のお話はこちら
前回は戸塚ヨットスクールを中心とした美浜町の話をしました。
まず本題に入る前に、最近話題になった2つの話をあげます。
いずれもみなさんが小学4年生の教科書で習ったことがあると思われる新美南吉の「ごんぎつね」の最後のシーンの内容です。「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」という言葉が特に有名で色々なことに使われてます
1つ目です。




青い煙が、まだ
最後の文章ですが、これは(ごんの)命が潰えていく状況を婉曲しているように見えますが、小学4年生では判断は難しいし、「死んだ」とか「冷たくなっていた」など具体的に死を表現した文言がないので、「ごんは生きている!」と解釈してしまいかねません。
これら2つの例を読解力不足で片付けるのは、なんか違う気がするんですよね
遠征記録なのに前置きで長々と「ごんぎつね」の話を上げたのは、この日これに関係があるところを訪問したからです なんか狙ったかのタイミングでごんぎつねネタが連発したんですよね
それが、新美南吉記念館
上記「ごんぎつね」や「手袋を買いに」などを書いた新美南吉は知多半島の半田出身だったのです。「ごんぎつね」もこの辺りを舞台に描かれています。話に出てくる中山という地名は、記念館の横にある童話の森がまさにその場所となるんです。
園内にはキツネの像がこのようにたくさんあります というか駐車場がいっぱいでギリギリ入れました。
記念館は220円です。アンケートを求められました。半田市内に泊まりますかとか半田市内の店で食事されますかなどの質問もありましたが、どちらも「はい」と答えるしかないですね
新美南吉の像ですかね。
新美南吉(本名: 新美正八 1913〜1943)は半田で生まれ、旧制半田中学校(現: 半田高校)を卒業後、東京外国語学校(現: 東京外国語大学)へ進学・卒業後、半田に戻り英語の教員を主に行いながら執筆活動を行っていました。「ごんぎつね」は半田中学校時代、18歳の時に書かれたものでした。結核のために29歳の若さでこの世を去ってしまいましたが、多くの人に読まれる作品を残しました。
ごんぎつねの一シーンです。彼岸花も教科書の巻頭に載るほどのアイデンティティで、記念館の北側に彼岸花の群生地があるようです。季節が違うので確認できませんでしたが
このイラストは見覚えがある方が多いと思います








見どころは他にもあったかもしれませんが、すでにワイが疲弊していたので今回はこれでいいと、記念館をあとにしました
記念館から車で5分ほどのところにある、南吉の生家。南吉の親は畳屋を営んでいたようです。





このあともう一箇所見て宿に向かいます。先ほど書いたように完全に疲弊していますが
今回はここまで。
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