2023/3/12(日) その2
↓前回のお話はこちら
南三陸さんさん商店街でオヒルゴハンをとった後、新設された道の駅と復興祈念公園に向かいます。
南三陸311メモリアルという立派な建物ができていました。館内は有料でした。
周辺はかなり嵩上げされており、震災当時の高さがどれくらいだったかを知るのが難しくなっています。
JR志津川駅。かつては気仙沼線が通っていましたが震災で被害を受け鉄道は廃止され、現在はBRTの駅になっています。
駅は「南三陸ポータルセンター」という施設が併設しています。
ここにある施設をまとめて道の駅にしているようです。
南三陸町震災復興祈念公園の表示。犬がいるw
南三陸は釜石や陸前高田などと違い、震災前には未訪問なのでどのような街が広がっていたかはわかりませんが、変わり果ててしまったことは間違いありません。
😢
これが南三陸町旧防災対策庁舎です。震災当日女性職員が最期の最期まで防災放送で避難を呼びかけていたことははっきりと覚えています。他にも多くの職員が津波に流され亡くなりました。前に書いた陸前高田の奇跡の一本松やユースホステル跡、そしてこの後でてくる大川小学校跡などの震災遺構はぜひ自身の目で確認していただきたいと思っています。
これからも熱く、元気でやっていただきたい。
暗い気持ちになったのでこれを見て少し元気になろうと。また暗い気持ちになるところに行くんですが。
石巻市雄勝にある大川小学校跡。震災の津波で多くの子どもが犠牲になったところです。ここは前にも来たことがあるのでさらっと見ただけでした。
なんで山に逃げずに海に逃げたのかいまだに疑問に思っています。こっちに逃げれば助かった命も多かったはず。
前回来た時は伝承館はありませんでしたので見てきました。
雄勝の道の駅。思ったより大きな道の駅でした。
女川の道の駅。震災後女川駅前は整備されましたが、道の駅になったのはだいぶあと。
前回はこういうダンボルギーニがあったが、今回はありませんでした。
女川駅。日帰り温泉が併設されていて以前入浴したことがあります。
石巻まで下道使い、そこから高速に入り帰路に着きます。
国見SAの上り。下りと同様建て替えられました。
なんちゃらの月は東北道だけでもいっぱい見かけますw
那須高原SA。
走行距離は950kmほどになってしまいました。それでもその前は気仙沼大島行って一関経由で帰ってきたので1000km近くなったため、それよりは短かったです。
次の日はもちろん仕事だし、この3日後に九州に向かうと。長旅の前に体力使っているのはなんだろうね(9月は高尾山登山→翌日北海道へ)。
おしまい。