仕事が忙しくなると投稿をサボってしまうクセに、愛読しているブログが更新されないと腹を立てるのだから困ったもの。
でも最近、とても嬉しいことがあった。何年も更新されていなかった大好きなブログが、復活していた! よかった。死んでいるのかと思って勝手に悲しんでいた。
書いていないと、久しぶりに書くのが億劫だし恥ずかしくなるものだけど、読んでくれてる人のほうは、無事で何より、と安堵してくれるものなのかも。
仕事が忙しくなると投稿をサボってしまうクセに、愛読しているブログが更新されないと腹を立てるのだから困ったもの。
でも最近、とても嬉しいことがあった。何年も更新されていなかった大好きなブログが、復活していた! よかった。死んでいるのかと思って勝手に悲しんでいた。
書いていないと、久しぶりに書くのが億劫だし恥ずかしくなるものだけど、読んでくれてる人のほうは、無事で何より、と安堵してくれるものなのかも。
本日7月8日の沖縄タイムスに、こんな記事が!
ハブにかみつかれたままそのハブをブロックでたたいて退治したオバァ、81歳と83歳の姉妹でスナックを経営するオバァ、ブナガヤー(木の精)を見たと言い張るオバァ――
2000年に発売された「沖縄オバァ烈伝」(双葉社)。沖縄戦、米軍支配、日本復帰という激動の時代を生き抜いた〝オバァたち”の「超越した生きざま」が受け、沖縄だけで10万部が売れるベストセラーとなった。20年を経ても客から在庫の問い合わせが絶えない人気ぶり。書店からの強い要望で、ことし2月、初版から24年ぶりに文庫本が復刊した。発売直後に県内書店の週間ランキングで1位になるなど異例の売れ行きとなっている。……
かれこれ、24年も昔に刊行された『沖縄オバァ烈伝』が、復刊して、沖縄の書店で販売されている。
なんと、沖縄の書店さんが、何年も前からリクエストしてくださり、復刊につながったとのこと、
本が売れないとか、本屋さんがなくなるとか、紙の本は悲しげな話題ばかりの昨今、なんと素敵なニュースではないですか。
ジュンク堂那覇支店さん。(ライターHさん提供)
こちらは、球陽堂書店西原店さん。沖縄に訪れていた編集のIさん撮影。7月某日、Iさんは10時前からオープンの書店で、まさにおばあちゃんが「オバァ」本をお買い求めになるのを目撃したそう。
本当にありがとうございます!!!
じつはこの本は、24年前、会社にいる時分に担当した本。本を作ったのは編集のIさんで、私は担当としてバックアップしていただけだけれど、短い会社員時代に関わった本の中でも最も印象に残っている本なのだ。Iさんは個性あふれる沖縄のライター陣から送られてくる原稿を紡ぎ、見事な本に編み上げた。
ウチナーグチがちりばめられた愉快なゲラを読む楽しさといったら!
Iさんに連れられて沖縄に行き、書店さんを回ったことも忘れられない。
那覇での打ち上げで、「沖縄料理好きなんですけど、ナーべラー(へちま)の煮物はどうも苦手で」と言ったら、ライターのTさんが、「俺も苦手ですよ~。オジィの"たん”みたいで~」と言ったことも忘れられない…。
この本の中の大好きな一コマ。
掲載されている、てんぶーたの三男さんの漫画も最高。
24年前、ああ、私もこんなオバァになりたいなぁ。と思っていた。順調に、年齢と見た目だけは、突き進んでいるな~。
いろんな人が、今回の都知事選感を書いている。
あまりの結果にガックリきていたけれど、なに、考えてみれば、わかっていたことでもあった。
テレビの言った通りに物事がすすんでいくということは。
ユーゴ戦争ではセルビアを悪者にする。ウクライナの紛争では一方的に侵攻したロシアが悪い。
新型コロナが怖い、ワクチンを打ちましょう。テレビで言えば何の疑いもなく打ちに行く。みんなテレビの言う通りに従う。
昨日、くそ暑い中外で草をとっていたら、近所の人が自分のを買うついでに私にもスポーツドリンクを自販機で買ってくれた。行き倒れになりそうに見えたのか。ありがたい。「のどが渇いたな、と思う前に、飲まなきゃだめ、って、テレビで言ってましたよ!」テレビで言うことはたちまち広がる、そしてテレビで言っていることには皆まことに素直にしたがうのだ。
選挙運動が始まる前、ちょうど蓮舫さんが出馬する話が出たばかりのとき、私は現職に対抗できるのは蓮舫さんくらいだろうと思い、応援しようと思っていた。
ところが、そのときの周囲の反応が「あんまり好きじゃない」「え~あの人嫌いなのよね」なので驚いた。
「どうしてですか?どうして蓮舫さんのどこがイヤなんですか」と聞くと、「だって、あの人、批判ばっかりしてるじゃない」「言い方もきついし」「『2位じゃいけないんですか』でしょ」。
けっして、保守的な人たちではなく、リベラルで知的で常識的で心のあたたかい人たちが。
批判するのは野党の仕事じゃないですか。それ、きっちり議員の仕事しているっていうことじゃないですか?
かつて、中曽根さんが、野党のことを「倫理、倫理と鈴虫のように鳴いて…」と言ったことを思い出した。批判する社会党をコケにした映像は何度もテレビで流れ、鈴虫発言は流行語となった。そのうち「ねじれ国会」などという言葉ができた。マスコミが作った言葉だ。ねじれて何が悪い。参院で野党が多いのは、けしからぬ法律を作らせないよう慎重に審議するため必要なことではないか。それを「ねじれ」と悪いことのように表現する。そのうち、世の中に、「批判するなら代案を出せ」という風潮が出てきた。
政権を批判する人たちを左翼をもじって「パヨク」と言う。しだいに、批判することをバカにする風潮も出てきた。原発を批判すれば、「反原発」と言う。ワクチンを批判すれば、「反ワクチン」と言う。
「批判ばっかり」という非難は、長い時間をかけて、反共勢力が大衆をコントロールするために進めてきたやり口だ。
今ではテレビは絶対に国のやっていることの批判はしない。新聞は「両論併記」を言い訳に、国のやることへの批判はしない。完全に国の広報機関になっている。そしてそれらマスコミで食べている芸能人や文化人が善人ぶって「批判はヤメマショウ」と広報する。糸井重里氏が繰り返し繰り返しやわらかな言い方で、「責めるな」「批判するな」ということをつぶやいて時折炎上しているが、糸井氏はまさにそれを手先としてやっているわけで。「批判するな」は大政翼賛会だと思ったほうがいい。
蓮舫さんがなぜダメだったのかを軽薄なニュース記事にしてどんどん流している。蓮舫さんが清潔感はあるけど、親しみを持てない、可愛げがない、だから支持を得られなかったのでは、という記事が朝日新聞に載っていた(「正しさ高潔さより『完璧でない』一面に親近感」)。可愛げがない?そんなもの、美しく華奢な蓮舫さんのビジュアルを利用して、マスコミが巧妙に作り上げたイメージだ。痩せて美しい女性に対して、女性はものすごい嫉妬心を持つ。それをマスコミは利用したのだ。過酷な選挙活動にすぐに汚れてしまうような白い服を纏っていたことさえ、その記事では働く庶民の女性たちの反感をかったと書いてあった。その書き方にぞっとするようなマスコミ側の悪意を感じた。熱い中、白い服を選んで少しでも太陽を避けようとするのは普通のことではないか。もし、蓮舫さんが、太ったおばさんで、鼠色のスーツを着ていたらどうなのだ。今度はマスコミは、怠惰で傲慢な怖い女、というイメージを作り上げるだろう。
私自身が見ていたX(ツイッター)での盛り上がりはすごかった。一人街宣をする若い人たちや、小泉今日子さんなど著名な方が蓮舫さん支持を打ち出していた。でも、結局、X(ツイッター)というものは蛸壺式で、自分が見たいものしか目に入らない。熱狂の渦ように見えていたが、Xをまったく見ない層はそんなこと知ったこっちゃないし、Xには石丸氏の胡散臭い情報しか流れてこなかった。まさか若者からそれほど支持されているとは思わなかった。X(ツイッター)というものは、仲間内に情報を共有するためのもので、拡散するものではないのだということがよくわかった。
選挙後、誰に投票したかを少し聞いて、選挙情報を追っていない人たちが、「好き」「嫌い」「なんとなく」というイメージで票を入れているということもよくわかった。これではいくらでもマスコミの力で選挙をコントロールできてしまうだろう。
選挙って、人気投票じゃないですよ。政権に対して突きつけるもので、現政権にイエス、なら現職に、ノーなら、対抗馬に入れて現職を落とす。そうしなければ政権は変わらない。
今の野党は、もうそれができない。野党は共産党とれいわと社民党しかいない。はっきり言って立憲はどっち側かわからない。そこへ政権側が、野党側を分断させようとさまざまなしかけをしてくる。今回の石丸氏しかり。維新や参政党はフェイク野党で、自民党、統一教会、創価学会とばっちりつながりがある人たちだ。
今回、共産党と共闘したから負けた、古い人たちだから負けたなんて言っている人がいるが、今回がんばって盛り上げていたのは往年の左派のおじさんやおばさんだったと思う。地元の蓮舫さんの演説を見に行ったが、平日ということもあったのか、ほとんど共産党としか思えないおじさんおばさん、おじいさんおばあさんがいっぱいいた。8日の朝、近所の都知事選の応援ポスターを、共産党のおじいさんが熱い中、はがしていた。
今回の選挙活動を見ていて、蓮舫さんが私利私欲のない人物だということがわかった。これだけマスコミに意地悪されるのは、政権とそのおこぼれをもらうマスコミにとって怖い存在だからだ。負けないでがんばってほしい。
台所の流しの排水が詰まり気味になった。
時折柄つきブラシでこすってみたりはするのだが、効果がはかばかしくない。臭いがするような危険な感じはないけれど、流れが悪いのがなんとも気持ち悪い。薬屋に行って、パイプのつまりを洗浄する危険そうな洗剤を買ってこなくちゃ、と憂鬱になっていた。(買い物が嫌い)
とりあえずネットで調べてみたら、油汚れが原因であることが多いという。排水管にフタをして流しいっぱいに60度のお湯を張り、それを流すことで、排水管につまった油汚れを落とすことが効果的とある。
へぇ。そういえば、お風呂場に小バエが出てきたときも、排水溝に栓をして60度のお湯をため、一気にながして流して掃除をしている(これもネットで知ったこと)。
お湯でできるのならと、すぐやってみた。
ネットでは2リットルのペットボトルを利用して、など細々書いてあったが、2リットルペットボトルは今はないし、捨てるつもりのラップやビニール袋などをくるくるとボールのようにまとめ、ひもをつけて、それを栓として排水管につめ、流しいっぱいにお湯をためる。給湯器で60度のお湯を出し、やかんで沸騰させたお湯も足して温度が下がらないように。
そして、ドキドキしながら、ひもを引いて、栓をはずす。
詰まったようになっていたお湯が、少しずつ流れ始めたかと思ったら、途中から急にスピードをあげて流れ出し、最後は鳴門の渦潮のようになり、きゅうううーっ!と音をたてて一気に流れていった。
おお!
その一発で流しの排水は、すっかり健全に。びっくりポン! (って昔はやったよね)
築24年の油汚れによる詰まりが、流れていった。
強力な洗剤を買わずにすんで、私はすこぶるごきげん。
お湯はすごい。給湯器もなんてありがたい!
そしてふと気づく。
昨日の夜、冷たいアイスコーヒーをガブガブ飲んで急激に腹痛を起こした。しかも寝る前も熱帯夜対策に冷水シャワーで体を冷やして。
考えてみたら、私も、詰まるかも!?
毎日暑いけど、今朝は白湯など飲んでみた次第。
夜もお湯をはってつかることとしよう。
ハルノ宵子さんの『隆明だもの』が最高におもしろかった。
父上である吉本隆明さんのヒミツあれこれがサラッと書かれていて驚いた。ハルノさんは漫画家だが作品を読んだことはなかった。文章がうますぎる。そして、議論を恐れず来る者拒まずだったといわれる吉本隆明さんを見続けていたからなのだろう、その何者にも媚びない書きっぷりたるや。
ハルノさんはご両親の介護を経て看取られた後、ご自宅を改築して『猫屋台』という店を出して気ままに料理を出したりしているようで(今どうなっているかは知らない)、その改築の様子は「ほぼ日」のサイトで見ることができる。そんなサイトで目にするハルノさんは、まったく飾り気がないが、自身は漫画家であり、かつ、偉大な思想家の父、世界的人気作家の妹というファミリーを持ち、紛れもなく文学界のセレブお嬢なのであり。坂本龍一さんが心細そうにお参りに尋ねてきて原発について尋ねた話や、ボケてしまった吉本隆明さんが「今テレビのニュースで、村上春樹がオレの悪口を言ってやがった」なんて言っていた話まで、一般的な人なら書くのに躊躇するようなエピソードがポンポコ飛び出す。
私は大学生のとき、秀才の同級生に「おまえ『共同幻想論』読んでないだろ」とバカにされた。角川文庫のそれを読んでみた。なんか一瞬よくわかったような気がしたけれど、気のせいだろう。日本文化学科だったので、吉本隆明氏の本は読むべきだろうという気がしたけど、読み通せた本は一冊もなかった。私にとっては吉本ばななさんのお父さん、でしかなく、後年、オウムを擁護したとか、反原発に否定的などで話題になったことで、私にとってはますます「?」という人物でしかなかった。でもそのナゾがこの本ですこーしだけ解けたような(それも気のせいかも)。
吉本家にはさまざまな党派の人が集まり議論し、隆明さんはだれをも拒まず受け入れたそうだ。けれど、徒党を組む人を決して信頼はしなかった、ということ。子どもの頃赤い羽根募金をしてよいことしたと思っていたハルノさんを、両親は「フフフン」と鼻で笑う。どんなに善いことでも、集団で行った場合、それは「悪いこと」に転じるのだということ。「何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ」と隆明さんは言っていたそうだ。「同調圧力を振りかざす世間の空気からも、”ひとり“であらねばならない。」「父に刷り込まれたのは、「群れるな。ひとりが一番強い」なのだ。」とハルノさんは書く。(「党派ぎらい」)
巻末の吉本ばななさんとの姉妹対談で、吉本ばななさんが、父君のことを、大学で教えたりしなかったことはすごいと思う、と言っていた。だから、自分もその誘惑には負けないようにしている、と。「何かの講師になって定期収入」「理事」「国の仕事とか学校関係とか」「もしや遠回りだけど、これノーベル賞に続く道?」そういうお誘いを全部断っていると。感服した私はばななさんのnoteを購入した。前回書いた橋本治さんも、そういうことはしなかった。
だから、隆明氏は書きまくるしかなかったのだと。奥様(ハルノさんとばななさんのお母さま)が料理を放棄してからは料理、娘たちの弁当作りなど家事もして。過酷な状況で書いていた。「自分のやることは25時間目にやってました。私は介護をやるようになってから、25時間目なんてないよ! って思いましたが。」(ハルノさん)といいながら、ハルノさんも、介護をしながら吉本家に次々に訪れる人に料理を作り、その間を縫って漫画やエッセイを書き続けていく。親子にわたっての、書くことへの執念というか、地を這うような底力を感じてしまう。
ボケてしまった隆明さんは、娘が共産党のシンパで、お金を共産党に流しているのではないかと妄想してしまう。なぜかいつも妄想上の敵は「共産党」だったそうだ。戦後最大の思想家は、共産党(共産主義者たち)と激しく論争した青春時代に戻っていた。
社会主義的な考え方じたいを否定していたのではない、群れること、徒党を組むことの怖さ、善きことをしているつもりでじつは全く思考をしていない、そんな状態を徹底して危険だと考えていたのだ。
集団行動を嫌い、議論をおそれず、権力におもねらず、怖い物知らず。そして徹底して開放的。そんな思想と気風はハルノさんにがっちりと引き継がれる。玄関は鍵をかけず誰でも入り放題。ハルノさんは来る人を受け入れ、絶品料理を出す。勘違いしたストーカーがやってきても落ち着いたもの。何十年もたった一人でノラ猫保護を続けてきたというハルノさん。あちこちから目をつけられても、敵対しない。「敵対関係を作った時点で、こちらも”党派“になってしまう」と。協力してくれた人には御礼を言うのみで会合もない。「だから”共謀罪”なんてヤツも関係ない。」と。
アナーキー。というか。いや、超然たるノラ猫魂、というか。
昨今の、このなんともいいようのないヤな世の中をどう生きるべきか、おおいなるヒントを、この本からもらった。
『隆明だもの』ハルノ宵子著 晶文社