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Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

今朝、ゴミ出しをしようと外に出たら、「ピィーイピィーイ!」「ニャオ~!」の騒ぎ。ウチの玄関先で近所のサビ猫が鳥を押さえつけてる。思わず「コラコラッ!」と言うと猫は私を見て手を引っ込め、「チッ」とばかりにどっかに逃げた。鳥はバタバタと羽を動かすが羽毛が飛び散るばかりで飛べない。足もやられているようで、つかまえようとするとウズラのように地面をはい回って逃げる。

このままにしようか・・・と思ったけれど、フト見ると、隣の家の車の下で、さっきのサビ猫がじっとこちらを見てるではないか。私が家に入ったら、またやってきて襲うつもりだな。

結局、鳥を一時保護することにした。

 

次男が見とがめて「野生の鳥は飼っちゃいけないんだよ。法律で決まってる」とか言う。「昔I(近所の友だち)がひなを拾ったとき、すぐに死んじゃって。ひなは親鳥が見ているから人間が拾ってきちゃいけないんだぜ」でも、この鳥はひなじゃない。ひなが孵る時期じゃないし、見たところ、ひよどりの成鳥だ。足と尾羽を痛めているから、無事飛べるようになるまで少し保護するだけだよ。

段ボールに新聞紙をしいてそっと鳥を入れたら、じっとしてうずくまった。

大丈夫かな。子どものころ、何度か巣から落ちて来たスズメのひなを保護したが、みんな死んでしまってつらい思いをしたことを思い出した。

次男がネットでいろいろ調べてくれた。「水とかエサとか、あげなくていいらしいよ。かえって弱ったりするらしい。25度から30度に温めてあげるといいんだって」そうか、弱っているときはなにも食べずにあったかくしてじっとしている、か。人間も同じである。「あとさ、写真とかツイッターとかにあげないほうがいいよ」ハイハイ、法律で禁止されているからね。そういうとこほんとうるさい。犬が吠えると鳥がこわがる、と長男が犬を自分の部屋に連れていった。

1時間ほどは静かだったが、しばらくすると、コツコツ、と嘴で箱をつつくような音が聞こえてくるようになった。そっとのぞくと、目と首だけは動かしている。大事には至っていないようす。

銀行など用足しに行って戻ってきたら、長男と次男が「羽バタバタさせてるよ、もう大丈夫じゃない?」と言う。そっと上からのぞくと、つぶらな目でこっちを見て、「ピィーイピィーイ」と鳴くではないか。ほんとだ、元気そう。羽をばたつかせているし、もう、足も立ててる。

庭に箱ごと持って行き、様子を見ていたら、何度か方向転換してからパッと飛び立った。庭のヤマボウシの枝に止まって、その後飛んでいった。長男がずっと見ていたが、しばらく隣の家の木に止まっていたみたい。

 

元気に飛んでいって、よかった。また遊びに来てね、とみかんのかけらを庭木にさしてみた。ひよどりのヒーちゃん。また来てくれるかな。もう来ないね、きっと。

 

飛び立つ前にみかんをおいてみたけど、食べませんでした。

 

 

☆彡ひきつづき、「先生は教えてくれない!クレヨンしんちゃんの友だちづきあいに大切なこと」発売にちなんで、お友だちのことを。

 

長男が小学校のとき、保護者会で先生に聞いた話でびっくりしたことがある。

春のクラス替えにそなえて、子どもたちに友だち関係についてのアンケートを取ったという報告。どうしても離れたくない大好きなお友だちがいる場合に、同じクラスにするよう配慮するためだという。ところが、「これが、けっこう怖いんです」と先生。女子の場合、大の仲よしに見えるのに、「別のクラスになりたい」「ほんとうは好きじゃない」という回答が多いのだと。男子はそうでもないらしい。この話を聞いて母親たちは「まぁ怖い!」と顔を見合わせたけれど、親のほうも、なにやら心当たりのあるような微妙な表情だった。

近所に朝一緒に学校に行く上級生の仲よし女の子二人組がいて、その片方のお母さんに「仲よしだね。中学校も〇○ちゃんと一緒だからいいね」と言うと、お母さん首を横に振り、「ほんとは、〇○ちゃんのこと、好きじゃないのよ。中学でも通学一緒なのがイヤだから、別の中学に行きたいって言ってるの……」うーむ、先生の言ってたとおり、やっぱりそういうことあるんだ、と思いつつ、なんでお母さんは、本人の気持ちをわかっていながら、「じゃぁ別々に行けばいいじゃない」となぜ言ってあげないのかな、と気になった。

 

長男が小学校低学年のころ、PTA活動やサッカーを通して、たくさんのママたちと知り合いになった。みんな知的で素敵なママたちばかりで息子さんたちも優秀。仲よくなりたくて、そのママたちの息子さんたちと長男が仲よくしてくれるといいなと、一緒に遊ぶ機会を作るなど、あれこれ手を打った。ママさんたちも、「一緒にサッカーの合宿に参加しませんか?」とファックスを送ってくれたり、何かと気をつかってことあるごとに誘ってくれた。なのに、長男の返事はいつもそっけなく、結局学年が上がるごとに彼らとは疎遠になり、結局、ほとんど親交を深めることができなかった。私も素敵なママさんたちと親交を深められずに終わってしまったわけだ。

長男はお勉強ができないから、引け目を感じていたのかな? とも思うけれど、そもそも根本的に友だちになりたいと思えるタイプじゃなかったんだろう。そういうところは、めちゃくちゃ正直なヤツだったと思う。

 

大学に入ったとき、最初に知り合った女の子としばらく一緒に行動していたが、いっしょにいるのがつらくなり、自分から少しずつ離れた。なぜか私のコンプレックスを刺激するような話し方をするのに、イナカ者の私は耐えられなかった。冷たいなと思いながら、けっこう強引に距離をおいたのだ。悪いな、と思ったけど、そうせざるをえなかった。私もけっこう正直(というより心がせまい)ヤツなのかもしれない。

自分のことを振り返って考えると、友だちのふりをして友だちづきあいをしていた人はいない。少し疎遠になったりはあっても、そのときそのときで、いっしょにいるのがうれしい友だちと仲よくしていた。

いっしょにいるのが苦痛だったら、いっしょにいないようにしたほうがいい。単純なことで。でも、人間関係なんていつどうなるかわからない。何年もあとに巡り合ったら、思いがけずそれぞれ成長して、気が合ったりするかもしれない。大学時代のあの彼女にまた出会えたら、どうだろう? 今なら落ち着いて話ができるような気もしているのだけれど。

 

☆彡ほんとは好きじゃない友だちと友だちづきあいしている人は項目32の「ほんとは好きじゃない友だちのふりをしている友だち」をどうぞ。

 

 

☆彡3月7日発売記念(?)に、「友だちづきあい」についての思うことを書いています。

 

小学校1年生のとき。目白の社宅に住んでいた私は、階下に住む同い年のFちゃんと毎日のように手紙のやりとりをしていた。広告紙やカレンダーの裏などを手ごろに切って便箋にする。厚手のカレンダーの裏紙はバリっとしていて上等の手紙。Fちゃんはいつも「Fはこないだもカレンダーの紙使ったんだから。ミナちゃんもカレンダーの紙で書いて」と言うのだが、我が家はなかなかカレンダーの裏紙の出物がなく、貴重なカレンダーの裏紙は、私が自分用のお絵かきに使ってしまっており、私がFちゃんに渡すのはピラピラの広告紙ばかりで顰蹙をかっていた。

毎日飽きもせず何を書いていたのかさっぱり覚えていない。ひとつだけ覚えているのがあって、それは、「わたし、〇○ちゃんとなかよくなったよ」という内容。○○ちゃんとは、隣のアパートに住んでいた同い年の女の子。別の小学校に通っているのをいぶかしんで、私とFちゃんは彼女に冷たくあたっていた。どうも後年聞くところによると、〇○ちゃんは、学習院に行っていたようだった。Fちゃんの手紙を読んで、翌日、私は絶対仲よくなんてしないからね!と宣言した。なんという意地悪! 

1年生のときは、勉強もさっぱりわからず、学校ではなんとなく先生から厳しくあたられているような気もして、毎日が楽しくなかった。すさんだ気持ちが、お隣のちょっと様子の違う同い年の女の子に向かったのかもしれない。

Fちゃんに、カレンダーの裏でお手紙を出せないのは、本当に申し訳なくて肩身がせまかった。でも、カレンダーの裏紙が出ると、さっさと全部自分用に使ってしまう。上等の紙をあげるのをもったいないと思っていたのだ。そして、ころよいカレンダーの裏紙でFちゃんに手紙を出せないまま、お別れしてしまった。

 

意地悪はいけないことは、成長する中で学んできたから、もうそんなことは誰に対してもしない。でも、ケチなのは相変わらずだ。友人のために時間や手間を惜しんでいる自分に気づくたび、Fちゃんにあげられなかったカレンダーの裏の手紙のことを思い出す。自分にとって大事なものを、友だちにも惜しまず分け与え、ともに楽しむべし。カレンダーの裏でも、なんでも。

今も、破いたカレンダーは貴重なもののような気がして、さっさと捨てられない。

 

 

 

 

中学のとき、部活が終わって、KちゃんとEちゃんとの仲よし3人で帰る道のりが、とってもとっても好きだった。

箸が転げてもおかしい年ごろとはよく言ったもので、くだらないことでゲラゲラ笑い、家に帰って宿題をやりながらも思い出して笑っていた。

あるとき、体育で珍しくソフトボールをやった。どういう試合内容だかはスッカリ忘れたのだけど、帰り道、ソフト部のファーストとして活躍していたKちゃんが、急にまじめな顔をして、「おやっち(ワタシのあだ名)、ぜんぜんソフトやってないのに、うまいんだもん。顔はヘンなほう向いているのにボールちゃんと届くし」と、さらっと私のプレーをほめてくれたのだ。

 

Kちゃんは口数が多くはない出しゃばらないタイプ。だからよけい、彼女の一言がうれしかった。

これ以上のうれしい褒め言葉は、いまだかつていただいたことがない。お世辞ではない心からの賛辞だと思った。

だいたい私は超のつく運動オンチ。スポーツ全般、まったくダメ。ソフトボールは小学校のとき少しだけ夏に練習したからその成果か。たぶんまぐれでボールが飛んでいっただけだと思うのだけど。

その後大人になってから、ことあるごとにKちゃんに褒めてもらったことを思い出した。不思議なもので、いつも笑いあっていたKちゃんがくれた褒め言葉は、その後もずっと小さな灯のように心の中にともっていて、私を勇気づけてくれたのだ。

 

私もKちゃんのように、友だちを褒めてみたい。そう思ったけれど、Kちゃんのように、嘘偽りなく心からの言葉で友だちを褒めるのはなんと難しいことか。何年たっても、Kちゃんのようなひと言が出てこない。

あの一言はたぶんに、Kちゃんの飾り気のない人柄のなせるわざでもあった。

腹黒い私は、Kちゃんみたいにはできないけれど、せめて、できるだけ気づいたときに「いいね」と言える自分でありたいと思うのだ。

 

 

なかなか友だちを素直に褒められない、という方は

8項目目の、「友だちに『いいね!』と言ってみる」をどうぞ。

 

 

先日、取材に伺ったお宅に、お雛様とお内裏様が飾ってあった。

マンションに引っ越すに伴い、段々飾りだったセットを処分。三人官女と五人囃子は解雇され、お雛様とお内裏様だけを連れてきたということだった。それでも洋風のチェストに飾られたお雛様は雅で美しく、「ああ、おひなさまっていいなぁ」とガサツなオバサンもひととき見とれてしまった。桃橘やぼんぼりなどの小道具は、浅草橋で小さいものを見つけて購入したそうで、そのお道具もかわいかった。お雛様を大切に飾る気持ち、小さな道具を買い揃える女の子らしさが素敵だなぁと思った。

そのお雛様飾りを見ながら、幼稚園のころ、友だちの家にあったおひなさまの赤い段々飾りがうらやましくてしょうがなかったのを思い出した。東京の小さなアパートの我が家。「おひなさまがほしいよ」と母親にせがむと、「あなたもお雛様あるでしょう」と言われた。ガラスケースに入った立雛は、どう見たって「こけし」と「やっこさん」みたいで、幼稚園児にとっての美意識では許せず、「アヤコちゃんちのような赤い段々のお雛様が欲しい!」と言うと、「あなたのお雛様はもっと大きい何段飾りもあるものが山形にあるから」と言われた。

小学校2年になってから山形に戻り、お雛様を飾ることもあったが、祖母がひとつひとつ取り出す古色蒼然たる古いお人形はモノクロ写真から抜け出たような骨董品にしか見えず、小学生にはまったく魅力的ではなかった。しかも、おままごともお人形も卒業のころで、お雛様への興味は消え失せていた。以来、この年になるまでお雛様が欲しいなんて思ったことはない。

フト、お人形よりも、もしかしたらあのころの私は、人形のわきにこちゃこちゃ置いてある小さな漆塗りのおままごとのようなお道具が欲しかったのかもしれない、と思った。取材先のお宅に飾ってあった小さなお道具が欲しくて仕方がない。浅草橋に、買いに行きたい。人と同じものがほしくなるクセは、終生なおらない。

 

☆彡☆彡

3月7日に本が出るので、前後2週間ほど友だちに関わるいろいろを書きます。春のお友だちづきあいに関するいろいろ強化週刊です。

「人の持っているものがほしくなる」私のような性格の人は、この本の項目30「友だちがなんでもできるから自分はダメだと落ち込んでしまう」を読んでみてください。