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Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

奥野修司さんのノンフィクションはこれまで何冊も読んで深い感銘を受けてきた。

とくに、宮城県で緩和ケア医院を立ち上げて2000人以上を看取り、自らもがんで逝った医師を追った『看取り先生の遺言』には衝撃をうけた。震災後によく目撃されるようになったという幽霊の話や「あの世」へと導く臨床宗教師のことを知った。そして……死への恐怖が薄れた。

そんな著者の最新作である。タイトルもサブタイトルもなにやらいかがわしい感じ、この著者でなければ手にとることはなかったと思う。

 

宮城県のある寺に、あるとき霊に憑かれた女性からSOSの電話をかけてくる。寺は、別に除霊ののれんを上げているわけではなく、ごく普通の曹洞宗の寺である。

住職は、女性に死にたい、と言われて放っておけず、それ以来次々に女性に憑いた霊を「除霊」することになる。朝練に行く途中で交通事故にあい、「お母さんがつくってくれたおにぎりを食べたい」といった高校生から始まり、震災で弟の手を離してしまった女の子、娘を助けられなかった父親、福島の原発で事故死したと思われる作業員、戦時中に軍艦で亡くなった兵隊など……。

住職は辛抱強く霊と対話し、納得させるように導いていく。お経は、「施食会」というお盆に行う恵まれない霊に食を施すための法要であげるのと同じお経をあげる。「除霊」というと悪魔祓いのようなおどろおどろしいムードかと思うが、曹洞宗のお寺での施食会の様子も知っていた私は、あああれかとすんなりと理解でき、何かあたたかさえ感じられた。

 

霊というものを書くことについて、迷いながらも著者は真摯にペンを走らせていく。

著者が取材した宗教学者のベッカー教授が言う。「大切なのは記録を大事にとっておくことだ」

―‐「いかがわしい」とか「非科学的」とかの理由で否定するのではなく、現象として存在したことを記録しておけば、いずれわかる時が来るかもしれないということだろう」(本文より))

 

『看取り先生の遺言』の中でも紹介されていた、物理学者中谷宇吉郎の言葉が再度引用されている。

「大自然という大海の中に論理という網を投げて、引っかかってきたものが科学的成果で、大半の水は科学という網目からこぼれ落ちる」


科学的なものと非科学的なものでまっぷたつに分かれているような今の世の中で、こういう本は重要だと思った。

 

ちょうどお盆の前にいい本読んだ。

30人に憑依された女性の記録 死者の告白 奥野修司著

 

先週、しばらくぶりに用があって新宿へ出て、帰りがけに本屋で立ち読み。平積みになった本を何気なく手に取った。『ターシャ・テューダー 人生の楽しみ方』食野雅子著(海竜社)。

 

何冊もターシャの本を翻訳をしてきた方が出された本で、ターシャの言葉が総ざらえしてよくまとまっている、というようなことを、どこかで書評を読んだ覚えがあった。ページをめくったら、止まらなくなってしまった。ターシャ本人の生き生きとした言葉が説明とともにあって読みやすく、写真と、全てのテキストページに添えられた絵が美しい。ターシャが飼っていたというコーギ犬の絵から目が離せず、思わず購入。

 

絵本作家で、ガーデニングで有名、古風なドレスを着た風変わりなおばあさん、カントリー系の人たちのアイコン、というなんとなくファンタジーなイメージしか持っていなかった。読んでみたらとんでもなかった。農場で働きながら、絵本を描き、離婚後は4人の子どもたちを育てながら動物の世話をし、植物の世話をし、絵を描いて生計をたてる。子育てが終わったら54歳で移転して、何もないところから庭を作り、ヤギなどの動物も飼い、絵を描き、絵本も作り続け、という、スーパーおばあちゃんだったから驚いた。

 

それらの仕事をすべて楽しみながらやっているのだからすごい。子どもたちともよく遊んでいたらしく、後年息子が「一番楽しんでいたのは母でした」と証言。

 

新刊で、心惹かれた言葉の中に、こんなのがある。

 

「どうやってこなしていたのでしょう。見ていると、上手に気分転換をしながら、時間をうまく使っていることがわかります。たとえば『絵の仕事に疲れたら、マフィンを焼きに行ったり、洗い物をしたり、庭を見に行ったり。家事に飽きたら、絵に戻る』」「だから、『することがたくさんあるのはいいことなの』」

 

同じ翻訳者による既刊本『思うとおりに歩めばいいのよ』によると、

 

「わたしはいつだって、何かをしています。

『怠け者の手は悪魔の遊び場』と言うでしょう?

それに、いろいろな仕事を持っていたほうが楽しく働けます。

長時間座りっぱなしで同じ仕事をする必要はないわ」

 

忙しいからできない、やりたいことがいっぱいあるけど、忙しいからやめておこう、

そんないいわけばかりの自分が情けなくなってくる。

 

『ターシャ・テューダー最後のことば』

には、息子の奥さん(ターシャから人形作りを習い、人形作家となった)のインタビューが載っていて、ターシャから最も影響を受けたのは忍耐力だと語っている。

「静かに落ち着いて働くこと、慌てないこと、そして、ことがうまく進まなくて、挫折しそうになったときは、少しそのことを忘れてお茶を飲んだり庭を歩いたり、ぐっすり眠ったりしてから、もう一度はじめればいいのだと教えてくれました。」

 

ターシャ・テューダーの本は山のように出ている。速効で、図書館で他の著書や写真集、絵本、10冊以上を借りて読んでしまった・・・。

翻訳者による新刊は、よくまとまっており、一冊でだいたいのターシャ・テューダーの哲学が把握できる、とてもおすすめの本だが、シンプルにターシャの言葉と写真だけを紹介したこれまでの本のほうが、ターシャの「強さ」をストレートに感じられ、引きつけられた。何冊か買おうと思うけれど、いったいどれから買えばいいのか・・・

 

ターシャの精神を受け継ぎ、ひたすら本を出し続けた翻訳者の方もすごい。ターシャの思いを広めたいという一心を感じた。たくさん本が出ていて、どれも同じ、出し過ぎだよと言う人もいるかもしれないけど、やっぱり、思いを広げる価値のあると思い込んだ人の本は、粘り強く何度も何度も出し続けなければいけないものなのだ(と強く自分に言い聞かせる、私のようにこれだけ本が出てても知らない人がいるんだからね)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週から数日かけて、本の整理をして、大量の本を処分した。思い出の本もあったけれど、思い出だけの本や、繰り返し読み、ほぼ内容も覚えているような本も思い切って捨てた。そんなタイミングで、立花隆さんが亡くなったニュースを知るとは。

 

昔から、本を捨てるたびに、立花隆さんのことを思い出していた。立花隆さんが、子どもの頃母親に物を捨てられたことを今でもうらみに思っていることを書いていた。ベストセラーとなった「捨てる!技術」にもかみついていた。本を捨てるなんて、知の巨人からしたらとんでもないふるまいだろう。本を捨てるたびに、「知の巨人」が遠ざかるような気がしていた。

でも、立花隆さんの蔵書なら価値があるが、私の蔵書は私以外の人には無意味だし、私はネコビルも持ってない。

 

書斎であるネコビルの膨大な蔵書の書棚を写した本がある。ジャンル別に写された中に、何のジャンルだったか、陰謀論で有名なベンジャミン・フルフォードの本があった。立花さんが、「この人の本はまったくてんでダメです、この人の本は読んではいけません」と解説していた(本が今手元にないので文言の詳細不明)。そんな人の本でもダメな本として残しておくんだ~とおかしかった。

 

週刊文春の書評での連載がほんとに好きだった。手持ちの本ではなく、いつも新しい本を取り上げて、本の内容を生き生きと紹介していた。自らの知識欲に沿ったセレクトで、知的な気取りは一切なし。『ぼくはこんな本を読んできた』の中で、本の内容について書かずに自分の思ったことばかりグダグダ述べる書評には、早く本を!本を!とイライラする、とあった。立花隆さんの書評はその真逆で、本をたっぷり紹介してくれていて、おかずがいっぱいの幕の内弁当のように読みごたえがあり、本当に楽しかった。

 

読んだのは『臨死体験』くらいで、『田中角栄研究』も知らないが、あんなふうに本を読んで勉強を続けたいと思っていた。

そういう人はいっぱいいるんじゃないのかな。

 

 

庭の隅に水仙が咲いた。秋の終わりに苗を植えたサニーレタスがあちこちでゆっくり育ち中(隙間から水仙か何かが芽を出してる)。


ネコのオブジェは20年以上前からうちにあるもの。これがあってもヒヨドリたちはお構いなしでブロッコリーの葉っぱをパクパク。まぁ花芽は食べないから、葉っぱくらいはあげようと思って。

植え付けが遅かったからか、成長が遅かったブロッコリーもようやく収穫。

今シーズン、借りてる畑の白菜はうまくいったけど、お隣のTさんに遅くにもらった白菜の苗、庭に植えたけどやっぱり結球しなかった。やっぱり植え付け時期が何より重要! と力んでみたところで、もともと放置農園、時期を見極める以外の何の手間もかけていないのであった。
でも、結球しない白菜、というかほとんど青菜だか、くたくたに煮れば柔らかくて美味! しかも、この白菜軍団は春に董立ちした花芽を山のように食べるのが楽しみ。ほんとに白菜って無駄のない野菜。


白菜の奥に育っているのはこれまたTさんにもらったのらぼう菜。これもそろそろおひたしで食べられそう。


ちなみにこちらが畑で収穫の白菜。

無農薬、肥料は米糠とコンポストや落ち葉で作った土。草取りもほとんどせず。ほっといてこれだけ食べさせてくれる小さな畑さんには、感謝しかない。
もっと畑があったらなァ。ま、東京じゃ無理だナ。

先週の日曜の午後。たんすの片づけをしながら、ふと、「もう今やるしかない」と思い立った。

ドテラを作ろうと思って買った布が、もう3年目の冬を迎えているのであった・・・。

子どもの時。冬になればいつも着ていたドテラ(山形の実家では『じゅばんこ』と呼んでいた)は、しっとりとしてあたたかかった。数年前、同じようなものがほしくて探したけれど、ポリエステル入りのものばかり。デパートなどで、生地も綿も綿で、かつ自分が欲しいデザインのものを見つけても、びっくりするような値段だったりして、手が出ない。作るしかない。とずっと思っていた。渋めの布を買った。だけど私、和裁どころか、洋服も作ったことない。裁縫は靴下の穴かがりレベル。そして3回目の冬が来た。

 

よし、やろう。

 

ネットで作り方を検索したけどよくわからない。本はあるだろうけど、そんなん見て作れるような腕はないのだから、見るだけムダだろう。誰かが、ドテラは、半纏2枚縫って間に綿をはさめばいいだけ。と書いていた。なるほど。

半纏の要領で布を断つ。はしの処理をしない半纏2枚をミシンで一気に縫う。そして、綿を入れるところで「ハテ」と止まる。子どものころ、母と一緒に座布団を作ったときの記憶を手繰り、床においた裏地の後ろ見ごろに綿をのばしていく。えーと、これ、縫い留めたりしないよね? 不意に不安になり、母に電話して聞くと、「綿はいくらでも伸びるから生地よりも伸ばしてな。自然になじむから」とのこと。わかったようなわからないような気持ちのまま、作業をすすめる。後ろ見ごろ、袖部分にも綿をのばしてから、「ハテ」とまた止まる。これ、前身ごろの綿どうすんの!? もしかして間違った? おそるおそる、母が見かねて送ってくれた和裁の本のコピーを見ると、後ろ見ごろの綿を前身ごろ分ものばし、くるりと巻き付けている。作り方の手順としては間違ってはいないよう。自分の作業中のものはきれいな綿の板のようにはなっていないが、かまわずひっくり返して、前身ごろにも綿をぺたぺた貼り付けてみた。なるほど。母が言う通り、なじんでいる様子。そして。ついに表地と綿の乗っかった裏地をドッキング。あとはチクチクと縫い留めるだけ。

できた。

裏地用の生地、2年間のうちに使ってしまって足りなくなり、ありあわせのはぎれで補ったり。型紙の取り方も若干間違っていたようで、前身ごろが大きすぎて、着姿がドテラというより、銭形平次みたいな…。

なんかいろいろ間違ってると思うんだけど、あったかいから良いことにする。あったかいだけでなくて、何より、チクチクパチパチしないから、一度着たらもう脱ぎたくないくらい。

 

ほーら。やってみればなんだってできるんです。

和裁なんて習わなくたってドテラは縫えるし、チェルニー30番あげなくたって、ベートーベンのピアノソナタ弾けるんです(なんのこっちゃ)。だって自分の楽しみです。売りもんじゃないんですからね。

「今作ってる。てきとうに」と言ったら、母がヒェーッとビックリしながらも、「まぁ、手と頭が出ればいいんだから」と。そのとおり! 手も頭もちゃんと出るのができた。うん、もう要領わかった。

 

和の衣類は布の断ち方も無駄がないし、作っていて気持ちがいい。裏地をウーンと唸りながらつぎはぎしつつ、こんなことしてる人、どこかにもいたなぁー、と思ったら、それは、漫画『この世界の片隅に』のすずさんだった。裁ち間違えた布をどうしようかう~んと考えた末、せっせと継ぎ合わせてパッチワーク状にするすずさん、よかったなぁ。そう、和の服は直線裁ちだから、パッチワークなどの技巧もやりやすいのだ。沢村貞子さんのエッセイに、縫い物の得意なお母さんがこしらえる、てぬぐいをはぎ合わせた粋な浴衣のことが載っていた。お父さんが大のお気に入りだったそう。いったいどうやって作るのかと思ったが、実際に自分でてきとうながら着物らしきものを縫ってみると、なるほどと思う。

 

家族にも作ってあげるね!と言って1週間前は作る気満々だったけど、さて、何年後になるやら。