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Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

朝がた見た夢。

町で小さな芝居小屋を見かけた。「ドリフ劇場」と看板があり、入り口に汚れたトイレがある。劇場前でハッピを着たいかりや長介が「トイレの便座が汚いのも我が劇場の特徴でございます」と呼び込みをしていた。私が「あそこほんとに汚いんだよ」と言うと夫が、「え~あのトイレ入ったことあるの!?」と驚くので、「だってしょうがないじゃん」と怒った。

で起きた。 (くだらない夢の話ですみません。夢の話ほど嫌いなものはないんですが、やってしまいました)

どうして私はいつもいつも、汚いトイレの夢ばかり見るのか。(でも今日はまだましだ、実際に入ったわけではないので。)あんまり見るから、汚いトイレの夢は何を示すのか。心理学や夢占いを調べたこともある。でも、どれもいかさまとしか思えず、人類は夢のことをいまだ何一つ解明できていないのだなぁと思い知るのみであった。

夫は「朝トイレに行きたくてそういう夢見るんじゃないの」と言うけど、それなら美しいトイレの夢でもいいと思う。いつも用を足すのをひるむほど汚いトイレの夢なんだから。そのバリエーションたるや・・・なんという想像力!

ただ、私の場合、いつも、「やらなきゃいけないことがたまってくる」と、夢に汚いトイレが出てくる傾向がある。ここ一番の大仕事とかじゃなく、家事や雑用等がたまってくると。

いや、どうなんだろう? というより、たまたま汚いトイレが夢に出てくると、「でたー!」という感じでお尻に火が付いて、やらなきゃいけないあれこれをやり始める、というほうが近いのかも。

 

観念して、朝からメモ紙に用事を書き出した。

のびのびにしていた歯医者検診の予約を入れる、酒屋にお米と酒注文、明日来る車いす屋さん用の駐車場をお隣に頼みに行く、電気屋さんに電話をして、息子の部屋の電気をつけかえてもらう、粗大ゴミの申し込み、洗濯機の掃除(洗剤だけ買ってある)、来月日曜仕事で出かけたいので夫の世話を息子たちに頼む(なかなか言い出せない)、その他、催促や確認など、気の重い仕事のメールを何本か・・・・・・。

始めてしまえばさっさと終わることなのに、なんでなかなかおみこしが上がらないのか。

 

汚いトイレがやってくる!と思えば・・・・・・さっさとできるカモ。

やることさっさとやって、金輪際汚いトイレの夢は見ない私になりたい! ・・・・・・なんてできるかな。

 

 

 

 

昨日、次男が仕事で河口湖へ行った。近所に中央高速を走るバスが通っているから、それで行くという。

深大寺の山?の中にバス停があるのはなんとなく知っていたが、乗ったことはない。平日だからすいてるだろうねぇ、場所があいまいだから早く行けばなどとせかしてしまった。

帰宅した次男に聞くと、首尾良く早めについたが、バス停は「クモとか虫だらけ」で、平日でガラガラと思ったバスは外国人のお客様で満席だったとのこと。河口湖でイベントでもあったのかね、と言うと、「富士山見に行くんだよ」。あそうか。

今日義妹が静岡に墓参り等用事をしに行ってくれているのだが、新幹線も、外国からのお客様で激混みとのこと。駅でも、写真をとるために点字からはみ出る人がいるわ、その注意のアナウンスやらで、押すな押すなの騒ぎらしい。

インバウンドおおいにけっこう、でもこれではインフルエンザもコロナもはやるわけだ。

人の流れが激しいから、感染症は流行する。マスクはずしたせいじゃないから。

 

富士山、今日は見えるかな?と思いながら、本棚から『富士日記』を取り出してしまった。ときどき思い出して拾い読みをする。夫のワガママにくたびれたときに読み返す本。好みのうるさい夫のために買い物をし、料理をつくり、車の運転をし、ときどき酔っ払ってトラになる。いきいきと描かれる登場人物たちのなんと魅力的なことか。夫の武田泰淳の本は何冊か読んだがさっぱり意味がわからなかった。

 

 

 

 

昨日いろいろくたびれてしまって、「あーもうやだ!」と言いながらめくった、栗原はるみさんの雑誌。巻頭のメッセージがすごしみたしみた。

 

「明日も早起きをして、いいことをひとつでも見つけましょう。好きな洋服を着て、やりたいと思ったことは迷いなく。自分の人生を楽しくできるのは、自分でしかないのです。」

(栗原はるみ5号 KODANSHA)

 

今にも雨が降りそう。大きくなったゴーヤをとっておく。

冷蔵庫はゴーヤでいっぱい。今日こそ佃煮を作らなければ・・・・・・

関東地方が梅雨明けしたのは3日ほど前らしい。気象庁の発表によれば。

ほんとに?もっと早くないか??

今年は、梅雨明け前に、梅干しが干し上がってしまった。

 

7月に入ったら予想外に快晴続きだったので、こりゃスッカリ梅雨は明けたと思い。

去年も梅雨明けは早かった。困ったことにテレビで言われることはまず疑うの体質になってしまった私は

天気予報も無視、勝手に梅雨は明けたなと判断、

夕立のない梅雨明け早々に干すべしと心ははやり、さっさと干してしまった。

さあ干すぞ! と勢い込んで、あっ!と思った。しそで漬けるのを忘れていた。

 

真っ赤なしその梅干しはまだストックが山ほどある。

なので今年はしそを使わずそのまま干してみた。

おかげで、白梅酢がタップリとれて大満足。

 

梅干しやり始めて6年目。どんどんテキトーになってるなぁ。

 

梅酢でいわしを煮る。

梅酢に鶏肉漬けて、唐揚げ。

うまいんだなこれが。

 

 

 

『ネット右翼になった父』という本を読んだ。

父親が病気になったことをきっかけに、長男である著者は実家に通うようになる。そして、「ネット右翼」になっていた父に驚愕する。いわゆる「ネトウヨ」と言われる人たちがネット上で発するような、韓国や中国の悪口を、平然と言い放つ父親に著者は唖然とし、かける言葉を失う。結局、本音で言葉を交わすこともないまま、父親は亡くなってしまう。

父の死後、著者は、父親の部屋に置かれた右傾雑誌や、開いたパソコンのブックマークの嫌韓嫌中のコンテンツを見つける。父親の信条は「大勢に迎合せず」だった。勉強好きで、リタイア後中国に語学留学したほどの父親が、なぜこうなってしまったのか?著者は貧困などをテーマに執筆するルポライター。著者の本にも目を通してくれていた父が、なぜ、「ヘイト思想」に毒されてしまったのか。

著者は父親を変えてしまった犯人を探し始める。

父親が晩年かかわった友人や親戚などにもていねいに話を聞きながら、著者は最終的にある答えに行き着く。父親はネット右翼などではなかった。

父親の生きてきた時代の、「モテたければ学生運動」で、一億総左翼、それこそが権威的だった時代背景や、父親が実際に仕事の現場で在日外国人との軋轢を体苦労していたことなどがわかってくる。そして、父親が口にしたヘイトスラングも、右傾化したコンテンツからの受け売りで深い差別意識はなかったこと、著者は過剰反応していたということにも気づく。

つまり、父を「ネット右翼」にして壁を築いていたのは、自分のほうだったと。

 

この本を読んでいて、昔近所でよく見かけた風景を思い出した。

まだご近所の人たちも若く、どこも犬を飼っていて、仲よく犬連れで立ち話をしていた。共産党のポスターを貼ったお家のおばさんも、旭日旗のシールのお家のおばさんも、○○学会のおばさんもいる。その面々が犬を連れて楽しそうに話し込んでいて、「イデオロギーって、ご近所づきあいには関係ないんだなァ」とじつに愉快な気分になったものだった。

 

それでいいのだ。

つまり、イデオロギーなんてものは、とりたてて意識しなければ、人と人との対等なつきあいには関係ない。

 

<総括すれば、様々の分断の主因は、「相手の等身大の像を見失うこと」>と著者は書く。

<狭い視点で見ればどれほど信じがたい主張や価値観を持っている相手だったとしても、その隣には自分と全く同じものを味わい、愛で、美しいと思う感性が共存し得る。人として相手に見るべきは、評価基準とすべきは、まさにこうした共有できる感性の部分だろう>『ネット右翼になった父』鈴木大介 講談社現代新書

 

きっと、私たちは、情報過多のあまり、頭でっかちになっているんだろう。一人一人が、できそこないの社会学者のように人をカテゴリーにはめて批判しあっている。

人をカテゴリーにはめて呼び名をつけ、批判するのは、差別のはじまりだ。

 

少し前に出た『ケーキを切れない少年たち』という本がある。

インパクトのあるタイトルで、ベストセラーになったため、内容は知らないけれどタイトルだけは知っている人も多いと思う。

最初このタイトルだけ耳にしたとき、私は、以前、非行少年にごはんを作り続けてきた広島の「ばっちゃん」から聞いた話を思い出した。親からあたたかいご飯を食べさせてもらうという経験をしていない子は、人とおかずをうまく分け合うことができない、と聞いたのだ。

なので、生い立ちのせいで、ケーキを見れば独り占めしたくなり、人に分けることのできない少年、という話なのだろうなぁと思った。

それで、内容を確認しようと思い読んだところ、まったく違っていて、えっ?と思った。

ケーキを他人に分け与えられないという意味ではなく、丸い形を3等分に切ることができない、つまり、ごく簡単な算数でさえわからないという意味だったからだ。

それは、単に、丸いケーキを切り分けた経験がないからだけのことでは? 

円形のケーキを三等分にするとき、ベンツのマークみたいに三等分するというのはひとつのやり方でしかない。それを知っているか否かだけの問題ではないか。

そこで切り方を教えてあげればいいだけのことではないか? 

「ケーキを切れない少年たち」とレッテルを貼ることなのだろうか?

 

先日もそんな話を聞いた。

富山の円形の鱒寿司を、タテヨコに切る人がいてビックリしたわ、という話になった。

なもので、私は、「その人はたまたま、鱒寿司を放射状に切る絵を見たことがなかっただけではないですか」と言ってみた。鱒の寿司を放射状にケーキのように切る画像は、私はデパート物産展のチラシで見るが、実家の母が昔作ってくれた鮭の押し寿司は長方形に切られていたし、バッテラなどの押し寿司も長方形だ。

すると、それを聞いていた別の人が、「東京に来たら、お好み焼きをケーキみたいに切るからびっくりした」と言った。大阪では、ヘラでタテヨコに切るのだと。お好み焼きは明らかにタテヨコに切るのがおいしそうだ。

 

ところ変われば常識もかわる。

 

そういえば、安倍さんが亡くなられ、近頃では「ネット右翼」も元気がなくなったらしい。