すずさんの針箱 | Minahei

Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

母から写メールが来た。なんだろうと思ったら、父の大量のネクタイをほどいてはぎ合わせて作った座布団の写真。地方銀行を勤めあげた父の大量のネクタイ、どう始末しようか考えた挙句、座布団カバーにしようと思いつき「今ほどいてる」と言っていたのが1か月前。見事に完成した様子。父母愛用のリビングの椅子にセットされたそれは、色合いも渋くてなかなかおしゃれ。「ごめんなさい、毎日尻に敷いています」の昭和の妻の一言に思わず笑った。高度成長時代も遠くなりにけり、である。

 

映画『この世界の片隅に』を見て以来、縫いものがしたくて仕方がなく、古切れやらなにやらひとまとめにしているのだが、なかなかまとまった時間がとれず。『この世界の片隅に』は、戦争末期の呉に嫁に来たすずさんの暮らしを描く映画。この原作のまんがには、すずさんが「はてさて」と言いながら着物をもんぺに仕立てる様子や、「裁ち間違えた…」と落ち込みながらもつぎはぎパッチワーク状のどてらをこさえるシーンが出てくる。私はこの場面が大好きだ。もんぺを作るシーンはそのまま映画に再現されていてうれしかった。原作を読んだとき、いやはや、なんと裁縫とはクリエイティブな楽しい仕事であろうかとおどろいた。すずさんは、裁縫上手なおばあちゃんにまかせっきりだったのに、自分で作るしかなくなって、「はてさて」と作り始める。ああなって、こうなって、と考えて着物を裁ち、縫い合わせる。和裁や洋裁の知識ががっちりなければできないものと、今の私たちは衣服づくりには手を出さないが、それは、「できない」のではなくてただ「やらない」という問題であったのだなぁ、とつくづく思った。裁縫の得意ではないすずさんの隣には、嫁入りのときに持ってきたのであろう、針箱が置かれている。私は祖母の針箱をもらって使っているが、それと同じようなものだ。道具は大事。木綿は貴重品だし、着物も何度も縫い直して使う。でも、道具だけはいつもきちんと揃えられている。

 

今、私にネクタイパッチワークに励むほどの時間はないけれど、とりあえず仕事の合間に、やぶれた衣類やフトンカバー類につぎをあてることに凝っていて、これがとても楽しい。仕事で打ち合わせに出かけるときには着られないけど、家では平チャラだし、なにしろつぎが当たっているとあったかい。色合わせを考えつつついだ、つぎはぎだらけのフトンや上掛けを干すときはいつもニコニコしてしまう。そんなことで楽しくなるなんちゅうケチな性格だと思うが、きっとこういう楽しみこそ、刺し子や裂き織などのアートにつながっているのだ。針箱をそばにおいて古着やら古布やら積み上げながら、「何ができるかなぁ」「何を作ろうかなぁ」と考えていると、自分はなんでも作れるアーチストのような気になってくる。針箱から無限の宇宙が広がっているような気がする。