インターホンいまむかし | Minahei

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ライター戸塚美奈のブログです。

先週末、インターホンが壊れてしまった。

2ヶ月くらい前の暴風雨の翌日から数日間、人がいないのにピンポンピンポン鳴って、おかしいナ、とは思っていたが、ついにおだぶつ。この時期お届けものも多く、困ったなぁと、とりあえず、「すみませんが故障中です」の貼り紙を。「故障しているので、大声で呼んでください」でもないし……と思いつつ。宅配便のおにいさんに申し訳ないし、なにか、鳴り物はないか、牛につけるベルのようなもの、チリンチリンと音のなるものなかったかな、と物置をゴソゴソしたけど、ない。 玄関先の見える窓のところに犬をおいとけば、ワンワン吠えるんだがなぁ、などと思っていたら、「コン、コン!」とノックの音。ああ、そうでした、ドアホンがなければ、ノックをすればよいのであった。そんなあったりまえのことを忘れていた。

 

昔むかしはフツーの家にはインターホンなんてなくて、インターホンなんてものは、門構えの立派なお屋敷にのみあるものであった。幼稚園の頃、成増のアパートに住んでいた。隣は、米軍基地にお勤めのアメリカ人家族。息子のジミーくんと私は仲よしで、アパートの周りで遊びまわった。大家さんのおばさんの家にしのびこんでいたずらするのが楽しかった。あちこちで遊んでいると、大柄なジミーくんのママが探しに来る。ジミーくんのママのドアのノックの仕方は、「コン、コン!」ではなかった。「オクサーン!」と叫びながらコンコンコンコンコンコンコン!!という高速ビート(と時折思い出して母が言っていた)。当然ドアホンはなかったろう。小さな2DKにドアホンもインターホンも必要あるまい。その後成増から目白の社宅に移ったが、そこにはドアホンがあったような気がする。ドアにはいつもきっちり鍵がかけてあり、小1の私が鍵のかけてある家に入りたくて、友だちにそそのかされて、玄関口の小さな窓から忍び込んだときには、こっぴどく母に怒られた。

その後山形に戻ったら、山形の友だちの家はみんな広く、物置なのか玄関なのか、畑なのか庭なのか、入り口がどこだかわかりにくい。ドアホンなんて見たこともない。子どもたちが玄関先と思われる場所で「あ~そ~べ~」と節をつけて友だちを呼ぶのだ。

店で買い物をするときにも「か~あ~う~」と節をつけて店番のおばちゃんを呼ぶ。

昔は、プライベートとそれ以外との境界が至極あいまいだった。家もそういう作りになっていて、畑がいつのまにか庭になり、勝手口になり、土間になり、家の中になる。いつのまにか誰かが庭にいる。

そういや、中学生の時、父に用があって住所をたよりにやってきた校長先生が、裏の畑からいきなり台所裏に現れ、「おーい!おまえんち、ここだが?」と言ったときはたまげた。大人たちも、商売の人も、ピンポンなんて使わず、ガラガラと玄関の戸を開けて「まいど~」「おーう!」だったっけ。

 

それらが原風景として残っているわたしだから、インターホンごしのやりとりがあまり好きではなくて、ピンポンが鳴ってもドアを開けて応じている。だいたいこんなウサギ小屋にインターホンつけて、モニターで話しているなんて、なに気取ってんだい、とちゃんちゃらおかしい。客観的に考えると相当アホらしいことじゃなかろうかと思う。

だもんで、私は文字通りの「呼び鈴」設置スタイルでもいいのだが、世間体を気にする次男が反対を示し、また宅配便のオニイサンにも気の毒であるので、結局、インターホン工事110番、というようなところに連絡して都内の業者を紹介してもらい、修理してもらうことになった。

検分してもらった結果、「もうムリです寿命完全に超えてます」。16年も使っていて、じゅうぶんすぎる、とのこと。7、8年くらいが寿命だそう。今年はお金がかかること続きだとガッカリした顔をしていたら、気の毒に思ってくれたのか、アマゾンで本体を取り寄せれば、工事費だけでよいとのこと、おかげでトータルで2万2千円で修理完了。

「今のは留守中来た人が録画されてますよ」と電気工事の親方が言うので、「そんな機能いらないんだけど」と言うと、「今は安いのでもみんなこの機能ついてますよ」だって! そういえば、お隣に駐車場代を払いに行くと「留守しててすみませんね、何度も来ていただいて」と言われるのが不思議だったのだが、そういうことだったのか。

我が家のご近所には、いまだにインターホンを使わないおじさんおばさんもいる。いきなりトントン、「どーも」、いきなりドアオープン。そうした訪問が、なつかしい昔のご近所さんを思い出させてくれて、私はほっこりするのだが、農村で暮らしたことのないダンナは、そのやり方にどうにもなじめないらしい。

 

本体が小さくなってしまって、こんなにスペースが余ってしまった。このすきまになに置こう。しかしねぇ。この狭い建売の貴重なスペースに、聖母像でもあるかのように偉そうにまぁ・・・。