東日本大震災から10年。


あの日は絶対に忘れられない。



次女がちょうどお腹にいて、臨月だった。


長女が幼稚園から帰ってきて、おやつでも食べようね。と言っていた矢先のこと。


強い揺れがきて長女を抱きしめて窓を全開にした。


私が死んでもこの子は守る。咄嗟にそう思った。


聞いたことのない地響きが聞こえ、あちらこちらから物が割れる音が聞こえてきた。


強い余震のたびにその音は聞こえてきた。


当時マンションに住んでいたのだが、同じマンションのママ友にCAさんが複数いて咄嗟のことに毅然と対応してくれてお水や食料を確保してきてくれたり流石だった。


身重だし突然の事にショックで状況を呆然と見ているしかできなかった。


そしてテレビでは津波の映像。


なんで?どうして?なんで?どうして?


壊れていく街を呆然と見ている事しかできない。


無力すぎて、なんで!どうして!の絶望感がやまない。


沢山の命が天に召されるなか、自分はこれから生きるという命を抱えた中での矛盾と絶望感がすごかった。


天に召された一人一人がお母さんのお腹で大事に大事に育まれて生まれてきた事を思うと、なんて惨い、なんて無慈悲と思った。


それから計画停電のさなか15日後に次女が無事に生まれてきてくれた。


大きめだったのでアチコチ痛く、特に骨盤がガタガタになってしまい歩けなくなってしまった。


思うように動けないし、産後のホルモンバランスもあり、命について考えるほど絶望して泣けてきた。


そして次女ももうすぐ10歳になる。


元気に生きている事は、もはや当たり前ではない。


何があっても命ある限りはありがたいことで。

生きて、生き抜かなければならないと、この日を迎える度に思う。