今の女優の主戦場はCMであって、CMヒエラルキーから脱落すると、テレビのバラエティや舞台などに追いやられることになる。もっとも、女優と名乗るには映画やテレビドラマが必要である。だがCMに出ない女優はどれだけ映画で主役を張ろうと所詮は二流扱いである。
なお以上は女優のヒエラルキーであって演技とは何の関係もない。そもそも邦画には演じるだけの価値を持つ脚本などほぼ皆無なのだから、そこに演技を求めるのは酷である。
落ちぶれたらバラエティ、離婚間際のテレビ出演。これは合理的な推測である。離婚したら収入源が減る。それまでの収入を補うためには自ら仕事を増やさなければならない。休業明けならば自然とテレビなども喜んでオファーをする。自然とテレビ出演が増えるわけである。
4月に入って目立ったのは上戸彩の登場だろう。焼肉だ、携帯だ、ドラマだ、バラエティだ、なんかよく見るようになった。昔よりもなんだか頬が削られてダダっぽい平面さを感じるけれども、存在感はいまだ健在である。
あと驚いたのは「毒島ゆり子のせきらら日記」。前田敦子が主演のドラマで、最後はAVかと思うような描写であるが、その時の表情はAV女優としてはいまいちであった。彼女にはやはり、そういう演技は無駄である。だいいち、かわいくない。
だが、日常における演技はなかなかいいと思った。やはり顔が崩れて不細工だから、演技だけがストレートに楽しめる。彼女の演じているという意志が見て取れるので、それがいい。
もちろん日本のドラマは脚本が漫画的なので、どうしてもコミカライズ化された演技が要求される。それに彼女の演技はよく合っている。
女優の不細工さ、または不細工な表情というのは、演技の上ではとても重要であるらしい。AKB が不細工と並々をミックスすることで、可愛さのヒエラルキーを明確化するとともに、ブースター効果によって、並が上にアップグレードする集団的心理を狙っている。
これを今時の女優は自分で演じることでこの効果の恩恵を受けようとしているのである。コミカライズとシリアル、崩しとフォーマル、不細工と可愛さ。いろいろな表情を使って、そこにある高低差を自分の個性にしようとする戦略である。
そういう意味では桜井日名子のCMが4月の一押しである。そこには不細工な顔とはっとするような表情の混在がある。
顔の表情ではなく、体の動きでコミカルさを表現しているのが相武紗季である。
では、石原さとみはどうであろうか。彼女の中にも当然、美と醜女の共存があって、更には、年を重ねて出てきた新しい魅力を模索しているように見える。
もちろん、テレビに映る彼女たたちの姿は、彼女たちの多くの中の切り取られた一枚である。その一枚の中にも真実はあるが、またその一枚から彼女たちの全体が見えるわけでもない。もっとも美しい瞬間を切り取ったとも言えるが、逆に言えば、彼女たちがもつ本当の自分とは程遠いかも知れない。
そうと知っていてもあれこれと語りたくなる。それは今の彼女たちに興味があるからではない。明日の彼女たちを見たいからだ。
なお以上は女優のヒエラルキーであって演技とは何の関係もない。そもそも邦画には演じるだけの価値を持つ脚本などほぼ皆無なのだから、そこに演技を求めるのは酷である。
落ちぶれたらバラエティ、離婚間際のテレビ出演。これは合理的な推測である。離婚したら収入源が減る。それまでの収入を補うためには自ら仕事を増やさなければならない。休業明けならば自然とテレビなども喜んでオファーをする。自然とテレビ出演が増えるわけである。
4月に入って目立ったのは上戸彩の登場だろう。焼肉だ、携帯だ、ドラマだ、バラエティだ、なんかよく見るようになった。昔よりもなんだか頬が削られてダダっぽい平面さを感じるけれども、存在感はいまだ健在である。
あと驚いたのは「毒島ゆり子のせきらら日記」。前田敦子が主演のドラマで、最後はAVかと思うような描写であるが、その時の表情はAV女優としてはいまいちであった。彼女にはやはり、そういう演技は無駄である。だいいち、かわいくない。
だが、日常における演技はなかなかいいと思った。やはり顔が崩れて不細工だから、演技だけがストレートに楽しめる。彼女の演じているという意志が見て取れるので、それがいい。
もちろん日本のドラマは脚本が漫画的なので、どうしてもコミカライズ化された演技が要求される。それに彼女の演技はよく合っている。
女優の不細工さ、または不細工な表情というのは、演技の上ではとても重要であるらしい。AKB が不細工と並々をミックスすることで、可愛さのヒエラルキーを明確化するとともに、ブースター効果によって、並が上にアップグレードする集団的心理を狙っている。
これを今時の女優は自分で演じることでこの効果の恩恵を受けようとしているのである。コミカライズとシリアル、崩しとフォーマル、不細工と可愛さ。いろいろな表情を使って、そこにある高低差を自分の個性にしようとする戦略である。
そういう意味では桜井日名子のCMが4月の一押しである。そこには不細工な顔とはっとするような表情の混在がある。
顔の表情ではなく、体の動きでコミカルさを表現しているのが相武紗季である。
では、石原さとみはどうであろうか。彼女の中にも当然、美と醜女の共存があって、更には、年を重ねて出てきた新しい魅力を模索しているように見える。
もちろん、テレビに映る彼女たたちの姿は、彼女たちの多くの中の切り取られた一枚である。その一枚の中にも真実はあるが、またその一枚から彼女たちの全体が見えるわけでもない。もっとも美しい瞬間を切り取ったとも言えるが、逆に言えば、彼女たちがもつ本当の自分とは程遠いかも知れない。
そうと知っていてもあれこれと語りたくなる。それは今の彼女たちに興味があるからではない。明日の彼女たちを見たいからだ。
